能面だけどまじめなのが日本の強みだと再認識した
おはようございます。
1週間のギャップがあると、夜明けがずいぶん遅くなっていることに気がつきます。今朝は荷物が多く、傘は持てずに出ました。始発二番目の電車、途中から結構な雨が降ってきて、麹町からは濡れねずみに。 ><
今朝は二つの事象から感じた日米社会の特性について。
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■隣り合った人と打ち解ける良さ
アメリカは人に挨拶をよくする社会です。ふと目が合えば会釈して声をかけたり、飛行機で隣に座ったら、まず間違いなくおしゃべりをします。かなりおしゃべり好きな社会であるともいえます。打ち解けあえて楽しいです。
今回の出張でも往復の飛行機、4回乗りましたが、その全てで隣り合った人と打ち解け合ってしまいました。お互いの退屈しのぎにもなります。
一方、日本は、他人を無視する社会です。いや、気がつかないようにするのがマナーとでも言うのでしょうか。駅などで人に会っても、目を極力合わせない、まるでその人が存在しないようにしています。
成田エクスプレスから横須賀線に乗り換え、大きい荷物をかかえておたおたしている自分を、いかにも迷惑そうに追い越していく能面のような人たちの、その不気味さに、やはり違和感を覚えました。変です。
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■仕事をまじめにできる良さ
他人との人間関係の構築に両極端がある一方、仕事となると、別な両極端が発生します。
アメリカの、人にとがめられなければ、雑な仕事をしてもいいという低いモラルがあります。あるいは、モラルの底辺が人によって異なるとでも言うのでしょうか。かなり低い人が目につきます。例えば、飛行機に預ける荷物はかなり雑に取り扱われます。その荷物の持ち主の気持ちになることができないのです。
今回も預けた荷物に『Fragile』というシールをつけてもらったのですが、成田で引き取ったときにはそのシールすらはがれていました。途中、荷物がどのような扱いを受けたかと思うと、少し寂しくなります。
一方、日本の、仕事において愚直なまじめさを通すところ、プライドを持って目の前のことにまじめに取り組む風土があります。仕事に魂を込めるとでもいうのでしょうか。「時給なり」と割り切って雑な仕事をしようなら非難されます。仕事においては、極端にモラルが低い人が少ないです。
ベンチャーを興したアメリカの同級生が東京に来るたびに、日本人の、どのような職種であれ、まじめに取り組む姿勢に感心していました。焼き鳥屋に行くたびに「どうしてあんなにプライドを持ってやっているんだろう。そういうところが好きだな。」と。
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■人ありきか仕事ありきか
上記の例は、あえてアメリカの強い格差社会における上下の人々の極端な例と、日本の均質化した例とを対照的に挙げています。ただ、そこからあぶり出される視点が、『人ありきで仕事をしているのか、仕事ありきで人がいるのか』、というところではないでしょうか。
格差社会が行き過ぎると、アメリカも見られる、モラルが欠けた仕事をやる層が出てくるともいえます。世界中でモラルは貧困と反比例します。逆に言うと、日本の強みというのはこの、均質化したモラル感にあるといえます。仕事ありきで人がいるという社会そのものです。これは極端な貧困が少ないことから生まれます。
それなので、仕事において、他の人の仕事のやりやすさを気遣うことができるのです。
このようなことができていることが、我々の社会の一つの強さなのだろう。そして、その強さをできていないことを非難するのではなく、どのようにしていけばより伸ばしていけるのだろうか。このようなことを考えた朝でした。