■驕るな■舐めるな■泣くなわめくな■逃げるな■投げるな
昨晩はひょんなことからある創業者のお話を聞けました。その人は昭和11年生まれ、つまり73歳の方です。数年前には、創業してから40年、売上高約170億円の会社の社長業を息子さんに引き継ぎ、ご自身は一線を退き会長になられました。
そこでされた5つの約束とのです。
■驕るな
■舐めるな
■泣くなわめくな
■逃げるな
■投げるな
二人で血判を押す覚悟で捺印をして引き継いだそうです。
お話の中でメモをさせてもらったのですが、なんとも重いです。創業社長というのはある意味自己責任の範囲がわかり自由です。世襲での二代目社長は全く違うメンタリティーに悩まされるわけですね。行間に漂う厳しさに考えさせられることが多いです。
世襲の是非もあるでしょうが、事業を継続していく際に必ず発生する社長の引き継ぎというイベント、さまざまな思いを感じました。
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その方の創業のころのお話を聞けました。
その人は静岡から出てきました。お父さんが高校の先生で、その家業を継ぐのが嫌で東京に無理やり出てきたそうです。中央大学法学部、学生時代はアルバイトで学費を工面しながら大学を卒業したそうです。そしてある製薬会社に就職します。すぐにその会社の子会社に出向し、ダイレクトメールを送るという、当時では珍しい業務を営業して回っていたそうです。
営業の過程で営業車を毎日のように八重洲の地下駐車場に置いていたそうなのですが、いつも満車で困っていたそうです。着目したのが洗車をしている人たちです。彼らに少し袖の下を渡して、満車の際には洗車場に車を置かせてもらって、満車問題を回避したそうです。そう、アイディアマンです。
あるとき、その洗車をしている人たちから相談を受けます。駐車場会社の社長さんが夜逃げをしてしまったそうです。その人たちからは「この会社を運営してもらえないだろうか」と頼まれたのです。なんとかせねばと、副業でそれを引き受け、実際の切り盛りは奥さんにしてもらいながら洗車場を運営することになります。20代後半の頃です。
洗車というのは季節性の高いもの。梅雨の頃は需要が減るし、雨が降ればこれも見事に誰も洗車に来ないという不安定なものです。季節変動が少ない安定した事業はできないだろうかといろいろと見ていると、5000本ある蛍光灯に目がつきます。地下駐車場です。その交換の費用もばかにならないものがあります。そこで蛍光灯の仕入れからその交換までの業務を引き受けられるようにし、事業拡大をしていきます。若くしてセドリックを乗り回していたそうです。
31歳のときには、その副業から稼いだお金500万円を資本金に、本業のダイレクトメールを送付するという事業でスピンオフします。ダイレクメールを送信するという事業を、いわゆる「社長の営業力」でどんどんと拡大されていったそうです。ただし、事業の存続危機は3回あったそうです。
昨日のお話はここまで。3月に入ったらまたお会いすることになりました。
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創業社長、強烈な営業力を持ったいわゆる「人たらし」です。精力的に人と会い続け、営業力というのはつながりだと言います。そして、それがどのようにつながっているのかは、後になってみなければわからないのだと言います。