日本社会非難の風潮に縮こまることの方がもったいないです
★希望の持てる社会を創るなんて気張らないでもいいです。自分の周りを肯定するだけで世の中は変わっていきます。
【朝メール】20090507より__
===ほぼ毎朝エッセー===
□□希望の持てる社会
自分はNHKを観ている率が高いです。だから受信料は喜んで支払っています。GW中は奇しくも「ハゲタカ」の再放送にひっかかってしまいました。なぜだかひきつけるものがあります。ちょうど天気の悪いGW後半だったのでついつい見入ってしまったのです。そして気づいたのですが、この連休中のNHKの意図したテーマは「希望が持てる社会」にあったようです。さまざまな番組を観ていて、希望というものが何なのかということが妙に考えさせられました。
自分なりには「希望が持てる社会」=「成長する実感」というキーコンセプトにたどり着きました。昨年よりも今年、今年よりも来年、「成長しているんだ」という実感が持てれば、帰結的に将来はもっとよくなるという約束された気持ちになる、それが希望なのではないかと思ったのです。
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では、実際にこの社会に成長する余地があるのでしょうか?
今後日本は人口減少が進みます。少子化はひとつの現象ですが、その結果、2050年には日本国民の人口が8000万人、2100人には4000万人にまで減るという見通しも出ています。そのような中で、内需だけで従来の経済成長的尺度での成長がありえないということは、誰でもわかります。そこに希望を持てということにも無理があるのかも知れません。
でも、がっかりする必要はありません。
まずは「希望が持てる社会」などと、手の届かない難しそうなことを大上段に構えて目指すのではなく、まずは自分の周りを肯定しようと決めればいいのです。自分の場合は、それが「理想組織を創る」、それと相乗作用で一緒に育つ「いいビジネスを創る」、そこに全力をかければいいのだと定まります。一人ひとりが仕事を通じて真に自分の成長を実感できる、そういう場を創ることが、希望が持てる人を増やし、それがまわりまわって希望が持てる社会を創るように自動的につながっていく、そうなるはずです。
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観葉植物を例にとってみてもそうです。社内にあったパキラ、一度は日差しの少ない環境でやられ、鉢では殆ど枯れてしまいました。ギリギリ緑だった枝たちを救済し、ペットボトルの水栽培でじっくり回復してもらいました。根が出て、土に植えも大丈夫くらいに元気になるのを1年半ほど待ち、先週ついに、従来の鉢に戻してしっかりと植えてあげられるくらいになりました。
きっと、じっくりと成長を待っててくれて、それに応えることができたパキラの枝たち、「もっと成長するぞ」という希望を持つこと、それ自体がその枝たちの存在価値を高めているように思えてならないのです。親ばかでしょうか?
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自分には希望が無かったことがありません。単なる馬鹿なのかも知れませんね。いつの時も「根拠の無い自信に満ち溢れている」のです。きっと我々の近い未来には、人の本来の仕事の仕方とか、成長を実感する価値観とか、そういった余地が、いつのときも、たっぷりとあると本気で信じているからなのかも知れません。
我々の社会には、現在の経済的尺度でまだ実証できていない、お金の多少が人の生き方のクオリティに比例するという、原始的な概念の段階からは違うステージが待っているだけなのです。そこに向かって、日々できることをやればいいじゃないですか!無駄に社会を非難する風潮に縮こまっていることの方がもったいないです。
★下手に自分の社会に懸念を示すことがインテリの役割だなんて思ってはいけません。手近にやることはいくらでもあります。
★ところで話は変わりますが、「外事警察」、なぜだか面白いです。