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株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

これからの企業の変化を読み解くシンプルなレンズ

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現在の世界経済の大きな変化は循環的なものではなく、不可逆なものであるかも知れないと考え始めている人も少なくないと思います。金融に関してはそういう発言をしている人をちらほら見かけます。まだ読んでいる最中の"When Markets Collide"でも、これから起こる変化(執筆時期は2007年末)は過去の延長線上にあるものではないであろうことが詳述されています。

今泉としては、こうした変化を非常に単純な図式に落とし込んで、先読みをするための”レンズ”を作るのが好きです。状況の単純化は関連諸分野の専門の方々からすれば厳に慎むべきことなのかも知れませんが、1企業人としては、そういう単純な図式が手元にないと、「あっちに行こうかここで留まろうか」という判断をする際に、非常に手間がかかって不便です。

McKinsey Quarterlyなど米国経営誌がすばやくそうしたレンズを出してくれるかと期待していますが、まだそこに至ってはいません。渦中の米国の人たちが将来に有効な思考の枠組みを確立するには、まだかなりの時間がかかるものと思われます。(その関連では、日経ビジネスオンラインに出た御立尚資氏の「世界的デフレか、それとも価格“正常”化か」がすごくよかったです。)

前提を簡単に共有しておくと…。

・過去10~15年程度の世界経済の成長はグローバリゼーションに伴うもの。
・新興国は当初、人的資源の供給源としてグローバリゼーションに貢献したが、国富が蓄積されるに及んで先進諸国への資金の貸し手として機能するようになった。
・グローバリゼーションの背景としては、米国の旺盛な個人消費(米国GDPの7割)が挙げられる。
・ブッシュ政権下、米国の持ち家政策が浸透し、サブプライムローンの信用供与が旺盛になされて低所得者層も積極的に新築の住宅を購入した。
・関連諸産業がすべて恩恵を受け、米国経済の活況がもたらされた。日本の輸出産業も、中国などの生産拠点も等しくその恩恵を受けた。
・ローン主体で回っている米国の個人消費を最終的にファイナンスしていたのはグローバリゼーションで国富を蓄積した国々。
・米国に近い図式がイギリスやスペインなどでも発生した。
・世界経済の活況の中で金融技術が大きく進歩し、レバレッジとリスクヘッジを組み合わせた多様な法人向け金融商品が生まれた。これを世界各国の金融機関や機関投資家が購入した。
・これら金融商品が過去数年程度は大きなリターンをもたらし、それがより多くの機関投資家等を引きつけて投資規模が拡大していった。
・これらの全体的な図式はある時期から維持不可能なものになった。

以上はざっとめぼしいものを挙げただけで、実際には非常に多くの要素が組んずほぐれつしているので、どこをどう解きほぐしてみても、納得してスッキリという感じにはならないのではないかと思います。これらがすべてあいまって、不可逆な変化をもたらしているわけです。

過去をじーっと見ても未来が見えてこないので、未来を見るために簡単な図式を考案してみると、次のようなものがよいのではないでしょうか。

・世界全体の企業活動を支えていた原理「付加価値の向上」が付加価値の供給過剰を起こし、様々な企業が付加価値を恒常的に高めていくシステムが維持不能になったと考える。
・別な視点で言えば、現在の企業の付加価値を購入する顧客が市場から非常に速いスピードで消えつつある、と考える。
・今後の企業活動の焦点はより「本源価値」に焦点を当てたものとなる。
・個々の企業の具体的な活動において、顧客を獲得し維持していくためには、これまでとはまったく異なる方向性が求められる。価値発想の原理の転換が必要になってくる。
・過去の延長で付加価値を追求する企業は顧客を失い、自ら考え抜いた本源価値を追求する企業が顧客を得ていく。

現在の世界的な大手企業の生産見直しなどの動きは、おおむねこの思考枠でよく説明できると思います。ここでは諸事実が厳密に整合しているかどうかというより、この簡易な説明でスッキリ納得できるかどうかということが重要だと思います。ただし、本源価値がどのようなものであるかは、これからみんなが考えていかなければなりません。

ここで言っている付加価値をわかりやすく言うと、おおむねモダンな生活が成立した1970年代あるいは1980年代の生活水準を支えていた企業活動を基準とし、その後に付加された様々なモノ、サービス、機能などを指します。
最近たまに高度成長期のモノクロの日本映画を見たりするのですが、あの頃でもまったく人は普通に生活できていたわけで、しみじみとした思いにかられます。同様に1970年代1980年代でも、日本においても米国においても、かなりモダンな消費生活は可能だったわけで、そこまで時間軸を戻して考えると、生活において何が不可欠で、なくてもよいものは何かが見えてくると思います。(もっとも70年代80年代と根本的に異なっているのはネットとケータイの存在で、これは不可欠な部類に入るんでしょうね。)

タイトルで言ったレンズとは、これからは企業が付加価値を追求する時代ではなく、より本源価値に絞り込む時代になるだろう、という見立てです。この前提で自分たちの動きを設計したり企業一般の動きを測ると、見誤らないのではないかという気がします。

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