リーマンから段ボール箱を持って出てくる人の映像で何かを納得してはダメ
以前に米系の大手銀行や証券会社のお仕事を手伝った程度で、恐縮ではありますが…。
昨日から今朝にかけて大きなニュースが相次ぎました。リーマン・ブラザースの破綻、バンク・オブ・アメリカによるメリル・リンチの買収決定、米最大手保険会社AIGの資金繰り危機。
朝のお茶の間向けニュースショーでは、扇情的な文言が躍ったフリップやでか看板を駆使して、天地がひっくり返ったかのようなトークを展開していますが、これもあんまりです。事あるごとに、ニューヨークの投資銀行から段ボールを持って出てくる普段着の人の映像を映したりとか。何かを伝えようとしているのでしょうが、あまりいい趣味とは言えません。
海を隔てたこちら側にいる人間としては、こうした出来事から極力、よけいな影響を受けないように、”仮想的な防波堤”を作ることが得策だと思います。
今回の出来事は、米国の投資銀行や証券会社が考案した金融商品によって、所持万般においてレバレッジが効かせられるようになり、それで投資銀行や証券会社の業容、特に法人間取引の業容が膨らみ、いずこも好業績を維持していたところが、水面下ではリスク(レバレッジの別な側面)が肥大化しており、それらの取引全体を支えることができなくなった。それによって、レバレッジのかかった部分が吹き飛んでしまった。
レバレッジは考案され、それが拡大し、維持できなくなって、雲散霧消してしまった。そういうことなのだと思います。米欧の金融業界の特殊な出来事です。全然関係のない業界がたくさんあります。
このレバレッジが住宅需要に関わっているだけに、実体経済に与える影響も決して小さくはないと思いますが、しかしそれにしても、住宅価格が妥当な水準以上に高められており、それが自然に逆戻りする過程だと思えば、そう悲観する必要もないはずです。むしろ、これから住宅を取得しようと考えていた一般的な勤労世帯にとっては、適正な水準に戻ってきたということになるでしょう。
金融市場の混乱があるなかで、人の生活というものに目を向けると、いかに米国の最大手証券会社の救済合併が決まった日であるとは言え、人は普通に朝食を食べ、子どもを学校に送り、車や公共共通機関を使って仕事に出て、職場界隈でランチを食べ、職場では個人顧客や法人顧客の対応をしたり、社内の調整に精を出したり…ということをしているわけです。
鳥瞰的に見れば、中間層の生活というのは、ほとんど影響を受けないまま、連綿と続いていきます。
勤勉で、向上心に富んで、購買意欲も旺盛な中間層は、米国東海岸だけではなく、いまや中国沿海部、東アジア全域、インドの大都市、トルコ、東欧、メキシコ、ブラジルなどなど、世界の全域で、日々働いたり食べたり笑ったり子どもを育てたりしながら、毎日の生活を送っているわけです。その数は軽く見積もっても15億人はいます。
そうした普通の人々の普通の生活に根ざした経済の大きさは、米国のバブルでやや膨れた住宅需要の大きさなんかを軽く蹴飛ばすぐらい大きく、また今後の成長性も高いわけです。
そのへんに目をやると、ニューヨーク界隈の金融村で起こった大きなプレイヤーの市場退出という出来事は、世界経済的にはあまり騒ぐに値しない。むしろ、まだまだ貪欲に成長を追い求めている普通の人たちが世界のあちこちには無数にいるのだという、健全な成長機会の方に目を向けるのが得策というものです。
「Globality」まだまだ読み終わりませんが、おもしろいです。成長機会は世界にごまんとあふれています。