ゆるく長く続く「GAME」共時経験、言及つきニコ動つき
昨日、「チョコレイト・ディスコ」を地下鉄車内で聴いていた時に、ニコ動の動画が鮮明に浮かび上がってきて、これはこれでいいではないかと思ってしまいました。非公式PV。
インターネット上の浅いリサーチによると、Perfumeの「GAME」はいろんな人種の人たちに聴かれている形跡があります。
デビュー当時からPerfumeを熱烈に支持してきた層、ニコ動のアイマス動画で聞き込んだ層、capsuleから流れてPerfumeもカバーしている層、そして80年代のテクノポップの響きを見つけて買っている40代などなど。
共通しているのは、どの層においても「発売日だよ」「買ったよ」「いま聴いているよ」「ヘビロテ中」「初回版やっとゲットした~」「いまごろやっと購入」…などなどの発言がインターネット上で書かれ、読まれている状況があるということです。
発売日直後にレビュー投稿がホッテントリー化したり、すでにPerfumeがブレイクしてしまったという認識に立ってその背景を解説する投稿も出てたりします。
こういう幅広い人たちの言及があるなかで「GAME」を買い、実際に自分の部屋や地下鉄やなんかで聴いてみるという行為。
聴いているなかで、たぶんは、どこかで読んだ書き込みの一部を反芻していたり、ニコ動の動画の一場面がよみがえってきたり、YouTubeで見たPVが浮かんできたりする。そしてすきを見つけてTwitterに一言書いてみたり、ブログを上げてみたりする。
そういう時に消費されている対象は何なのでしょうかね。
こういうことを考えてみました。
普通、経験価値や経験マーケティングの文脈で言う経験とは、優れた品質のモノに付随して起こったり、リッツカールトンのような空間に付随しています。特定の日時のイベントに付随していることもある。要は、ある特定のモノやコトに付随して経験が提供され、それに大きな対価が支払われる。
それに対して「GAME」の周辺で起こっている経験は、「GAME」そのものを買って満足して聴くという、「GAME」そのものに付随している経験だけでなく、他にもいろんなものがくっついています。
「GAME」に関する誰かの言及を読んで感じたり考えたりしたこと、ついAmazonで予約してしまったこと、自分もつられて言及してしまったこと…。こういうネット上の言動や商品注文などのレスポンスも「GAME」の経験には含まれると思います。
ニコ動でPerfume関連のアイマス動画をアップしたり、それをたくさん見てきた層には、かなり長い待ちの期間があり、GAME発売日は一種のクライマックスだったのではないかと思います。昨年11月にワンマンライブでPerfumeのライブを見ていた人たちにとっても、かなりの感慨があった模様です。
こうした経験の中身は一様ではなく、その人のいる場所、Perfumeとの関係の持ち方、Perfume支持期間の長短などでかなり色合いが違うと思います。
けれども、比較的同じような時期に同じ「GAME」を買って、同じ盛り上がりを共有しているぐらいの意識はあるように思います。ゆるく、週単位で続くシンクロニシティのようなものを共有している図式になっています。
こういう、場所にもモノにも制約されない経験、あえて言えば、実体は脳の中にしかないような経験。そうした経験を、ある日ある時という時日の限定を伴わない形で(そこそこ長期にわたって)たのしんでいくことになるわけです。
このような脳内においてのみ集約が可能な不特定多数の人による共時的な経験とは、たぶん、あたらしいジャンルの経験価値として定義されていいんじゃないかと思います。
そしてここからが大事。普通、経験価値の文脈で言う経験は、明確に、1つの経験に対して、1つの対価が決まっており、それが支払われることで経験が供給されるというビジネスの図式があります。
それに対して、この「GAME」の周辺にある経験は、レコード会社やプロデューサーが設定しているビジネスモデルの枠を超えて、いわば、コンシューマージェネレーテッドな経験として供給されています。従って、直接的には、対価が製作者側に還流しない状況があります。
ここで論が終わってはかたておち。
現時点では、対価が直接的に還流しない構造があるけれども、それがそのままでは終わらないであろうという予感がそのへんに漂っているということがすごく重要です。その予感については、「GAME」をたのしんだ人ならほぼすべての人が同意すると思っております。
ここから先は、ビジネスの話になるんでしょうけれども、それはそれで、別な投稿を仕立てるべきでしょうね。