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株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

tumblrを色々見ていて思ったこと

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さっきまで、ある人のtumblrがおもしろくて、そこからたどってまた色々見ていました。
ブログシーンで関心が持たれているトピックとはまた違うものが関心の対象になっていて、そこには鮮やかな印象の画像も入ってくるし、誰かがふと書き込んだTwitterの一言も入ってくるし、ブログの1センテンスも貼り付けられていたりします。

言えるのは、「いまこの瞬間に関心を持った対象」をぱきぱき記録していく行為が、ある程度の時間持続されてみると、そこには必然的に文脈が生じるということです。
1人の文脈が、別な人の文脈とクロスする時があって、そこに複合的な文脈が生じ、それらの文脈全体を俯瞰してみると、たぶんそこには「いま」が記録されているのではないかと思います。

この「いま」は、誰もが感じているように、経済の問題や自分と社会との距離の取り方の問題や未来の見通しの悪さやなんかがあって、本来的なものであるようには思えない、けれどもその中で生きていかざるを得ない「いま」であって、そのいわく言いがたいハンドリングのしにくさが、そうした文脈によく出ているように思いました。

この種の文脈は少し前であれば小説を書く人なんかが真正面から向き合って、作品世界として提示していたものですが、いまは複数の人が日常的に記録するtumblrの上で生成されている、現実の一様態です。リアリティの裏付けのある文脈です。

とは言え、別な視点では、この文脈の上でご飯を食べたり仕事をしたり、服を買ったりCDを鳴らしたりすることはできないのであって、要は、身体性という意味では一歩も二歩も遠ざかったところにある文脈だ、と言うこともできます。簡単に言えば脳内で生起している文脈です。

だからある日、さっと光が差して、あっと言う様な価値観が自分に降ってきたら、その文脈のリアリティがすごく遠い世界のように思える…というようなことも起こり得るし、起こらないかも知れないし。

自分の場合、いまはプロテスタンティズムの人なので、世界はすべて聖書的に見てしまうし、価値観の根源は聖書、特に新約から汲み取っています。これは1つのあり方なので、誰にも押し付けるつもりはありませんが。

けれどもそうした立場を取ることができるようになるまでが長かった。実に長かった。「ハリウッドにも行ったし、レッドウッドにも行ったし…」というのはNeil Youngの歌の一節ですが、そんなところです。

何も無駄にはなりません。

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