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株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

忘れるまで2年

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今日の午後もミッドタウンのトシ・ヨロイヅカの前には十数名の客が並んでいました。午後3時過ぎ。昼飯時の客はいなくなってしまって、夕方の出足にはまだ早いという頃。そういう時間帯でも十数名並んでいるということは、やはり人気なのでしょう。
ある方の報告によると、1人の顧客が購入を終えるまで何分かかかるので、10人で30分といった待ちになるようなのです。でもそれだけ待って食べる甲斐があるので、みなさん待つわけです。この待ち行列が落ち着くまで、だいたい2年ぐらいかかるでしょう。

大多数の人さまが新規出店のフレッシュさを忘れて、定番客だけで回るようになるまで2年。そんなものだと思います。

今まで書きませんでしたが、実は、日ベースで更新する個人のウェブページも旬でいられるのはおおよそ2年。そのように考えています。96年から98年頃にかけて、当時流行ったウェブ日記を一生懸命更新していた経験から、そのような体感的な認識を持っています。おおよそ2年も続けていると、飽きがくるか、ネタが切れるか、更新意欲が低調になるか、だいたいそんなものです。メディアというものに尋常ならざる意欲を持っている、根っからのメディア人は別です。また、「書き」ということ、「表現」ということに、人並み以上にアイデンティティの証のようなものを結びつける方向の人も別です。そうでない限りはだいたいは2年。そのように考えています。

昔は週刊誌の編集長も2年で変えるべき、みたいなことが言われていました。2年というのはほどよい期間です。

以前に少し書きましたが、メディアでアウトプットを出し続けるには、インプットがなくてはなりません。立花隆が「知のソフトウェア」(知的生産のノウハウについて語った名著。梅棹忠夫氏の「知的生産の技術」に次ぐ)で言っていたことが正しいとすれば、インプットが多ければ多いほどアウトプットの質が高まる、インプットが少なければアウトプットの質もよくならない、ということです。

人間毎日24時間。この時間のなかで日ベースでアウトプットの質を高められるほどインプットを行うことができる人は、そういう職種であるか、そういう日ベースの日常ができているか、才能があるか、特殊な方か、といったところでしょう。多くの場合は、日ベースメディアのアウトプットにインプットが追いつかず、息切れになってしまいます。それは、そういうものだからです。あまり悲観する必要はありません。

インプットがなくてアウトプットを続けていると、おそらくは書く当人がつまらなくなってしまいます。「こんなもの出せない」。そういう投稿が多くなってきます。それは、しょうがないのです。インプットがたくさんないと、本来はアウトプットというものはできないのです。それが世のメディアの歴史的な真理です。このブログとて、その真理から免れることはできません。

仮に、個人が運営する日ベースのメディアの旬は2年であるという知識をベースに生きるなら、いろいろとやりようは出てきます。1年目にピークを持ってくるとか、力をずっとたくわえて(ということは、あえて書かないネタをいくつか温存しておいて)、2年目近くになってから公開するとか。戦術が立てられると思います。
しかし、旬はおおよそ2年という知識がないままで進めていると、2年が近くなるにつれてつらくなることが多くなるかも知れません。しかし、上述のように、それはそういうものだという認識があれば、そうしたつらさから免れます。

だいたい95-98年ぐらいにウェブ日記をやっていた人のほとんどは、このブログ界にはいませんが、彼らはみな「やっぱ旬は2年だよなぁ」ということはわかっています。大人なので、ブログを始めたばかりの人に、「おまえなぁ、旬は2年だからなぁ。時限でがんばれよ」みたいなことは言いません。でも、わかっているのです。たぶん。

私はどちらかといえば、ライターくずれであり、メディア系に寄った人間なので、メディアをどうすれば縦に展開できるか、どうすれば横に並べられるかといったことは、おおよそ体で認識しています。なので、どういう状況にどう対処すればいいかは、わかるつもりでいます。ドッジボール選手が、ボールの来る方向に応じて、どう動けばいいかわかる。それに近いです。このオルタナティブブログで、それに近い認識を持っていらっしゃるなぁという方は、いわずもがなですが、松尾さんです。私のことは置いておくとして、松尾さんのようにメディアの縦や横をわかっている方なら、2年という年限を越えて、どこまでもどこまでもおもしろい投稿を書き継いでいくことができると思います。そうでない限りは、よほどの特殊な何かがない限りは、自然に終息するということで、よいのではないかと思います。無理はよくないです。

「忘れるまで2年」という本投稿のタイトルは、ここまで書いてきた内容と少しずれています。けれどもまぁ、すわりがいいタイトルなので、そのまま残すこととします。

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