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株式会社インフラコモンズ代表取締役の今泉大輔が、現在進行形で取り組んでいるコンシューマ向けITサービス、バイオマス燃料取引の他、これまで関わってきたデータ経営、海外起業、イノベーション、再エネなどの話題について書いて行きます。

イノベーションvsわからんちん

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クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」によれば、イノベーションの成否は資源配分にかかっている。でもこれはよく考えてみれば当然の話で、資金も人材も分けてもらえない商品イノベーションのプロジェクトは、どう考えても難産になるだろうし、陽の目を見ないで終わる確率が高そうだ。

私個人としては、イノベーションの成否は、「わからんちんを『よしわかった!コレはいけるだろう!』」と言わしめるためのコミュニケーション術の有無、あるいは「わからんちんは、どう言おうがコレはやるまでなのだ」という頑迷固陋な独走推進姿勢の維持、のどちらかにかかっているのではないかと考えている。

ふだんイノベーションのことを口にしておきながら、自分が利害関係を持つ立場にいて、実際に何らかのイノベーションが具体的なアイディアや提案という形で目の前に出されると、怒り出してしまう人がいる。

イノベーションは通例、既成概念の否定を含んでいるので、自分が依拠する部分に抵触する可能性は多いにあり、理性的に考えて半ばは納得できても感情的には納得できないというケースもありえるわけで、提示された瞬間に態度決定がなされ、「ばかやろー」ということになったりする。「わからんちん第○号」である。
「わからんちん」が内輪の人間の場合もいるし、顧客の場合もいる。先生格の場合もあれば、後輩だったりするケースもあるだろう。ありとあらゆる場面において、イノベーションvsわからんちんの闘争が勃発する可能性がある。一種の生存競争のようなものかも知れない(+_+)\☆バキッ!!

以前仕事で、iModeを新規事業としてゼロから立ち上げられた榎啓一氏にお話を伺ったことがある。
当初はドコモ社内でもiModeの新規事業案はほとんど理解されなかったそうである。当然ながら、当初から豪勢なチームでゴーということにはならず、ごくこじんまりとした所帯で、途中で夏野氏や松永氏の参画を仰ぎつつ、具体形を煮詰めていったという。

チーム内で議論する場合はよい。みなが理解者である。問題はチーム外の様々な方々と議論をしながら、通信インフラの設計、サービス仕様の設計、端末の仕様の決定などなど、サービス実施に際して不可欠な多種多様な技術事項の具体化を進めていく際に、榎氏ご自身は明確には言及されなかったが、上述の対わからんちん闘争のような場面が多々繰り広げられたようである。

その際に榎氏が依拠したのは「イメージ」だったと言う。議論で理解が得られず、多勢に無勢で負けそうになると、ある「イメージ」を思い起こしたという。

ポケベル時代に遡る。1990年代半ばである。当時、榎氏はある地方都市でNTT移動体通信網の支店長を務めていた。お子さんが10代半ば。当時の高校生はみんながポケベルを持っていた。

高校生たちは登校時刻になるとみんないっせいにポケベルでメッセージを交換しあう。そうすると交換システムが間々、輻輳状態になる。輻輳すると業務でポケベルを使わなければならない顧客からクレームが舞い込む。支店長としてはクレームに丁重に対処しなければならない。ある時期は毎朝のように輻輳した。その都度クレームが殺到する。対処する。それが繰り返されたという。

子どもたちは、ポケベルの小さな端末で、カタカナだけのメッセージをぴこぴこ打ちながら、彼ら固有の簡略表記なども発明しつつ、メッセージの交換を必死にやっている。自分の子どももそうした端末を駆使しているのを、親の視点で、そしてまたサービス運営責任者の視点で眺めていたという。
通信サービスが輻輳するというのは、処理容量の増強が求められているということだが、「それだけ多く使われている→ユーザーは夢中になって使っている」ということでもある。榎氏はそのことを瞬時に理解したはずである。

その世代の子は当然ながらテレビゲームにも夢中になる。自分の子どもたちも家に帰ればテレビゲームをやる。小さなコントローラを持って数少ないボタンをぴこぴこ押しながら長時間没頭している。
このような「小さな端末/コントローラ上の数少ないボタンをぴこぴこ押しつつ、仲間とメッセージを交し合う若年層のイメージ」が榎氏の脳裏にくっきりと焼きついた。

数年後に榎氏は、移動体データ通信の新規付加価値サービス事業の立ち上げを命じられた。当時は誰も具体的なアイディアを持っていない。そのなかで榎氏は支店長時代に毎朝困惑したポケベルの輻輳と、その「イメージ」を思い起こした。そして確信した。このサービスはいける。世界的な発明と言っていいiModeはこの時、生まれたのである。

iMode事業を具体化するために、社内の様々な関係者と議論する際に、よりどころを見失いそうになると、彼はこの「イメージ」に立ち戻り、確信を強めて闘った。
「わからんちんは、どう言おうがコレはやるまでなのだ」という頑迷固陋な独走推進姿勢はかくして維持されたのである。

かくしてわれわれは今、iModeを日常的なツールとして使うことができる。そしてNTTドコモに莫大なキャッシュフローがもたらされている。もし彼によりどころとなる「イメージ」がなかったなら。もし彼がそれで闘わなかったなら。歴史はもう少し違ったものになっていたわけである。

イノベーションvsわからんちんの闘争のお話でした。

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