「下流社会」を読んでみました
仕事で階層別のアプローチを少し考えようということになったので、最近売れていると聞く「下流社会」(三浦展著、光文社)、を読んでみました。
コンシューマに対して製品やサービスを提供している企業の方々は、とりあえず通読することをお勧めします。また人材関係の仕事をされている方も必読文献かも知れません。内容については読めばわかることなので書きません。
筆者は元「アクロス」の編集長だった方で、さすがにセグメント層の切り分け方がうまいです。かなり真面目なアプローチで書かれており、世間をあっと言わせてそれでおしまいという本ではありません。
ただ、批判的な読み方をしないで、彼の記述を真に受けてしまうと、非常に暗くなります。この先どうなるんだ日本的な暗さにとりつかれてしまいます。よって、ある予見をもって統計をとってみた結果、日本社会はこのように記述すること「も」できるのであって、別な予見を持って別種の統計をとれば、まったく違う記述も可能であるに違いない、と考えて読むのが正しいと思います。
自分が「上」「中の上」「中の中」「中の下」「下」のどれだと思いますか?という非常に主観的にしか答えられない設問がすべての発端であり、私は、彼が記述したのとは別な様相の社会も広がっていると思っています。
これを読んで、自分はどれに当てはまるかなどと考え始めるのはよくないです。あくまでこういう目線を持ったマーケッターがいて、このように記述していると突き放して読むのが正しい。影響されやすい方は、そこのところ、重々気をつけたほうがよいです。
コラムで触れていておもしろいと思ったのが、例の百ます計算の陰山英男氏の言葉として、百ます計算だけで学力が向上するのではなく、「早寝、早起き、朝ごはん」の習慣が身についていてこそ、百ます計算でアタマの回転がよくなるのだということを紹介しているくだりです。
「早寝、早起き、朝ごはん」。基本かも知れませんね。
この本で深く考えさせられたのが、「学習組織」の延長線上にある「学習国家日本」の「学習」が侵食されつつあるということです。何が侵食しつつあるのか。各自よく考えてみる必要があると思います。可処分時間を意識したマーケティングを考える際にも、「学習国家日本」に悪影響を与える商品(サービス)を作っていないかという観点は不可欠です。
とまぁ真面目に述べてみました。