メルマガ連載「ライル島の彼方」第11回 ケアラーの働きかた(1) ~2025年問題に備える~ 転載(2015/7/27 配信分)
この記事は、メルマガ「デジタル・クリエイターズ」に月1回連載中の「ライル島の彼方」の転載です。
第11回 ケアラーの働きかた(1) ~2025年問題に備える~
(前回からの続き)
印刷媒体から非印刷媒体へ、ヴィジュアル・デザインからデータ・デザインへ。
勤務先とベクトルが合わず退職した筆者は、失業保険を受給せず、すぐに開業した。
なぜなら、再就職は不可能だったからだ。
筆者は親の看護をしながら勤務していた。夜間の通院に付き添って点滴を見守り、明け方わずかな仮眠をとって出勤、という日もしばしば。過労死を避けるには昼間に仮眠をとるしかない。
だが、1998年当時、在宅勤務制度のある企業は(筆者の知る限り)まだなかったのである。
今では、介護保険制度ができ、テレワークも可能になり、労働環境は整ってきている(★1)。 だが、その恩恵にあずかることのできない労働者は少なくない。介護離職者は増加の一途だ、
今後、人口の多い団塊世代が高齢化していく。2025年には後期高齢者が2000万人を超えるという予測もある。
医療の発展により健康寿命が延び、介護ロボット技術により介護者の負担が軽減するとしても、介護者不足、技術継承の断絶、社会保障費の増大......問題は山積だ。
医療・介護・住宅・雇用の問題については、さまざまな観点から議論が始まっている。
本稿では、それら以外の、ITが関わる問題について取り上げてみる。
■真偽を見抜けない情報の拡散と抑制
団塊世代には、現在の戦前生まれの高齢者とは、大いに異なる点がある。
それは、在職中にパソコンが登場し、端末を操作するスキルを持っているということだ。
そして、(そうではない人もいるが)、沈黙を美徳とする昭和一桁生まれとは違い、積極的に自分の言葉で伝えようとする姿勢がある。
つまり、インターネットを利用しての発信力があるのだ。
そのため、"デジタル機器の操作が苦手な"現在の後期高齢者には見られない現象が起こり始める。
ベテランの経験やノウハウがブログなどで発信されると後進の役に立つ。ネット上での世代間交流も生まれるだろう。
そうしたメリットがある反面、デメリットも生じる。
一部の高齢者の自動車事故と同じ類のことが、ネット上で発生する恐れがあるのだ。
ブレーキではなくアクセルを踏んでしまうのである。
通信網が未発達で電動車いすもなかった時代、高齢者は「顔見知り」に対してのみ発信した。相手は、表情や口調や身体の状態から、情報が事実かどうかを比較的正しく判断できた。
固定電話が普及すると、雲行きがあやしくなってはきたが、発信した情報が短時間のうちに拡散することはなかった。
ところが、インターネットと操作性のよい端末により、状況は一変する。
発信される情報が、発信者個人にのみ属するものであれば、問題はない。
風景写真と説明の整合性がとれていなくても、ペットの名前が間違っていても、誰も間違いに気付かないか、由無事としてスルーするだけである。
だが、それが、介護や看護を担う者との関係から生じた情報であったなら?
そして、認知機能に問題の生じている発信者が、そのことに気付かぬまま、発信してしまったとしたら?
年を重ねると、誰もが、智慧を蓄えた、重みのある一言を放つ長老になる、というのは幻想にすぎない。高齢者の生活環境は様変わりしている。
栄養過多の食事は脳血管性認知症の素地を作り、土や花木に触れることのない空調完備の住居は五感を鈍らせる。
また、性別役割分担が常識だった世代では、妻は夫に精神面の依存を形成し、夫は妻に生活面の依存を形成していることがある。依存相手を失ったときには、大きなストレスが脳を襲う。
認知が曇る。記憶に欠落が生じる。自分の思考と事実を区別できない。そのうえ制御機構が機能しにくくなる。
もし、そのような脳の持ち主が、タブレットやスマホの操作能力を備えていたらどうなるか。
コンテクストと結果を考えず、見聞きしたと本人が思っていること、事実であると誤解してしまったことを、不特定多数に対して発信してしまうのではないか。
たとえば、「ご飯を食べさせてもらえない」というツィートが発せられたとしよう。
この短いテキストから、発言者の脳の状態をうかがい知ることは難しい。
事実は何なのか?
発信者の記憶に問題が生じているのか、それとも同情というストロークを得るための虚偽なのか、あるいは虐待の告発なのか。
虐待だと判断した人は、正義感から情報を拡散するだろう。
介護者の個人情報はすぐさま曝され、義憤にかられた人々は大挙してネット上で非難する。
そうした現象は一過性で、短期間で終息するものの、情報は削除されることなくネット上を漂う。
たとえ虐待ではなかったとしても。
介護者がそれまで築いてきた社会的な立場は一日にして崩れる。人脈が断ち切られ、在宅業務すら困難になり、孤立する可能性もある。
影響は介護者の家族にも及ぶ。介護事業所や訪問診療を担う病院までもがダメージを受けるかもしれない。
介護情報の交流サイトの運営者も、頭を抱えることになるだろう。当事者が投稿していようものなら、批判のレスが連投されるだろうからだ。
シンギュラリティに至らずとも、現時点でもヒトは、特定の機能において、既に計算機にかなわない。
計算機は命令しない限り実行しない。
ところが、ヒトは、フライングする。何かを実行するよりも、実行しないようにすることの方が難しい。
前頭葉の処理に問題が生じている発信者に対して、投稿前に内容の再確認を促す処理は、効果薄だ。
運転免許制度に倣ってスマホ免許の更新を義務付けることも、人権への配慮から難しいだろう。
かといって、全ネット民が、リアルで事実確認をしたうえで、レスを付けたりツイートできるかといえば、それは不可能というものだ。逆に、隠された虐待を見逃すことにもなりかねない。
現状では、誤解の拡散を防ぐ手立てはない。
こうしたリスクを減らすには、ITを以てITを制す、しかないだろう。
情報の発信行為自体を物理的に抑制するか、発信された情報が公開される前にフィルタリングするのだ。
たとえば、
・発信者の脳波などの身体情報をセンシングして、明瞭ではない意識で入力されている場合は、投稿操作を無効化。
・日々センシングしてクラウドに蓄積されているライフログと発信内容を照合して、正確かどうかを検証、事実ではない可能性が基準値を超えた場合は投稿操作を無効化。
・発信者の脳を直接制御する非侵襲的外部制御装置。あるいは、記憶を補う外部記憶装置。
などの開発である。
いくら予防医学が速く進み、脳機能を維持できるようになるとしても、2025年まで、あと10年しかない。地方の一般市民にまで、最先端の医療が適用される可能性は低い。
今から虚偽情報の発信過失への対策を考えていけば、それは社会の役に立ち、ビジネスとしても成立するかもしれない。
■ネット注文の誤発注を防ぐ、御用聞きビジネス
年をとるにつれ、車の運転が難しくなる。歩行も遅くなる。握力が弱る。重い物を持てなくなる。
買い物も掃除も洗濯も、面倒な家事は、ネットで外注。......そんな高齢者が増えてもおかしくはない。
家事を一手に担ってきた妻が事故や病気のために伏せってしまい、夫が介護者となるケースでは、なおさら外注が増えるだろう。
筆者の知る限り、女性は実店舗の売り場を見る行為や依頼先とのやりとりにも価値を見出すが、男性は商品やサービス内容のみに価値を見出す傾向があるように思う。男性は、同じ商品や同じサービスなら、ネットで注文するのではないだろうか。
では、ネット注文するユーザーに、先に書いたような認知機能の問題が生じていたとしたら、どうなるだろう?
老老介護も認認介護もますます増えていく。要介護者だけでなく、介護者も、認知に問題を抱える可能性がある。
まずは、食品や日用品などの買い物。
高頻度で誤発注が起こる可能性があるだろう。
それが誤発注だったとしても、ショップ側では、受注情報の正誤を判断できない。たとえ物忘れ外来で軽度認知障害と診断されている顧客からの発注だとしても、診断結果のような個人情報をショップ側は知る由もない。
配達した挙句、対応に追われるようになりかねない。
ならば、ユーザーからの注文を待つのではなく、ショップ側担当者がユーザー宅へ出向き、ヒアリングすればいいのではないか。
御用聞き、あるいは置き薬方式である。
毎日必ず食べるものや、日用品を切らすことがないよう、担当者が定期的に巡回して在庫を確認し、不足分を随時補充する。その際に、追加で必要なものがあるかどうかを尋ね、その場で担当者がタブレットから発注する。
冷蔵庫内が映るようにカメラを取り付ける許可を得られるなら、献立や不足する品を事前に考えておき、次回訪問時に提案できるだろう。
もし、ユーザーが、商品を入手するだけではなく、買い物の雰囲気を味わいたいのなら、ショップの担当者がリアル・アバターとなればよい。ウェアラブルカメラを頭に付けて売り場を巡り、視覚情報をユーザーと共有し、携帯端末で指示を仰ぎながら買い物をするのだ。
この方法は、ネットショップでは取り扱いにくい商品、たとえば"日替わり弁当"などに有効だと考えられる。
また、システム構成によっては、一人の担当者が二段カートを押して、同時に二人のユーザーの買い物をする、ということも可能かもしれない。足腰が弱り互いに行き来しにくい高齢の友人同士が、それぞれの自宅にいながらにして、同じ売り場の様子を眺め、おしゃべりしつつ買い物を楽しむのだ。
洗濯、掃除も同様である。
いまやクリーニングや部屋の掃除も、ネットから依頼できる。
これについても、誤発注が考えられる。
クリーニング業者は、定期的に巡回して、洗濯ものを回収する。高齢になると、とりわけ難しくなる、シーツやマットの洗濯は喜ばれるに違いない。
お掃除サービス業者も、定期的に巡回して、風呂場や換気扇やエアコンだけでなく、長押やベッド下など、脚立が必要だったり腰をかがめなければならない部分の掃除をする。
ゴミ屋敷化しそうな家には、了解を得て臭気センサーを取り付け、通知されるデータによって訪問時期を判断するシステムも考えられるだろう。
ペットショップも同様である。定期的に訪問して、ペットの世話をする。飼い主がセルフ・ネグレクトに陥ったために、じゅうぶんな世話をされなくなったペットを救えるだろう。
計算機が発達すればするほど、痒いところに手の届く細やかなサービスを提供する事業者が生き残っていく。
業者にとっては、契約条件次第では、定期的で安定した売上を見込めるビジネスになるのではないか。
ユーザーにとっても、依頼したい作業が介護保険の適用範囲内かどうかを、ケアマネージャーに逐一確認する必要がなく、気軽に依頼しやすいというメリットもある。
これらの作業は、介護専門の事業者よりも、販売やハウスクリーニングのノウハウを持つ専門の業者に任せた方が、物流の面でも、技術や道具の面でも、担当者が一日に訪問できるユーザー数の面でも、効率的ではなかろうか。
また、ユーザー側にもメリットがある。複数業者に外注すれば訪問者が増える。転倒や衰弱や急病を早期発見できる可能性があるのだ。
現行の介護制度は「ヘルパーが身体を動かす作業」にしか適用されないが、要介護者の健康を維持するには「ヘルパーが脳を動かす作業」も必要だ。
介護事業者が「ヒトでなければできない、要介護者のパーソナリティに合うようカスタマイズされた」心に寄り添う作業をできるような制度が望まれる。
傾聴や会話には、軽度認知障害から認知症への進行を食い止める効果も期待できるだろう。
■介護の負担を減らす、事前の家事力スキルアップ
前述の、食品や日用品の購入にせよ、掃除にせよ、家庭内労働を外注するには、発注者側に、多少なりとも家事の知識や経験が必要である。そうでなければ、何をどう外注すればいいかさえ分からないだろうからだ。
注文フォームに入力はできても、栄養価を考えず、自分の好物ばかり注文してしまうかもしれない。賞味期限や消費期限を考えず、大量に購入してしまうかもしれない。そしてそれは、要介護者が服用している薬剤の効果を帳消しにするか、あるいは強化し過ぎる食品かもしれない。
また、日常の主な作業は外注できたとしても、それですべての家事をカバーできるわけではない。
ゴミの分別、入れ歯の洗浄、冷蔵庫内の整理、タオルや枕カバーや電球の交換、車いすのタイヤの空気入れ。
入院準備や付き添い、インフォームド・コンセント、病院や役所や介護事業所での諸手続き。
置き忘れてしまったものを探したり、すり減った靴を買い替えたり、握力が弱ったために落としてしまった食器を片づけたり。
ところが、家事に不慣れな者は、そういった細々とした作業の必要性に気付かない。 仮に気付いたとしても、面倒くさくて後回しにしがちになる。後回しにすればするほど細かな作業は積み重なり、気付いたときには、素人の手には負えない状態になってしまうのだ。
介護者と要介護者が良好な関係を維持するには、日々の生活が快適なものでなければならない。
そのためにも、老々介護の当時者となる場合に備えて、あらかじめ家事のスキルを身に付けておく必要がある。
そうすれば、もし自分の方が要支援・要介護状態になった場合でも、身のまわりの全てのことを介護者に依存する状況は避けられる。介護者の負担を軽減することができる。
しかしながら、家事を座学だけで身に付けることは難しいだろう。
本を読んで知識だけ蓄えても、応用できない。
体を動かして実践してこそ、失敗もするし、失敗から学ぶこともできる。
家庭科共習ではなかった世代の男性や、昔の授業内容を塗り替える新しい情報を得たい女性が、基本的且つ実践的な生活スキルを習得できるセミナーは、ビジネスとして成立しそうである。
ただし、会場を借り上げて受講生を集める必要はない。
調理機器や食材、掃除道具は、存在しなくてもいいのだ。
マンツーマンで、自宅にいながらにして、遠隔地の指導者からの助言を聞きながら、訓練するのだ。
たとえば、Microsoft Hololens のような、ホログラムを使って(★2)。
これには副産物がある。
今もし、家族の中に、家事と介護の両方を担っている人がいるなら、家族全員が生活スキルを身に付けることにより、介護者の負担は軽減される。
また、最低限の栄養学の知識と料理のスキルを身に付けていれば、健康を維持しやすい。いま既にメタボリックでも、即効性を求めて投薬治療に頼る前に、生活改善を試みることができるだろう。それは医療費抑制につながり、社会のためにもなる。
ヒトの能力を上回る万能介護ロボットが開発されるまで、介護はずっと苦しく辛い労働であり続けるのだろうか?
いや、そんなことはないだろう。
悲観的にならずに、考えよう、アイデアを出してみよう。
ITを活用すれば、打開策は見つかるはずなのだ。
介護者と要介護者、その家族、彼らと接する介護事業者や医療関係者、誰にとっても、メリットのある方法が。