夏目房之介の「で?」

「夏目漱石財団」閉鎖についてのお知らせ

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  2009年7月当ブログで、同年4月に設立されていた「夏目漱石財団(一般財団法人夏目漱石)」に対し、私は、同意いただいた親族とともに活動に反対する旨、ご報告いたしました。その後、財団の一部の方と連絡協議し、財団は活動停止状態になっておりました。

 今回、2年の活動停止をもって、公式に財団閉鎖の手続きが終了したとのご報告をいただき、閉鎖事項証明書のコピーを入手いたしました。事情を知らずに財団に参加された方々にはご迷惑をおかけしましたが、ようやく正式に財団問題が解決したことになります。

 この厄介な問題をともに解決していただいた財団の方、及びご協力いただいた方々に心よりお礼申し上げ、ご報告させていただきます。

 以下に、当ブログでご報告した記事と、関連情報のURLをご紹介します。ただ、知らずに財団に関わってしまった方々に、さらにご迷惑をおかけしたくないので、ここではコメント欄をカットして転載いたします。

当ブログ2009/07/10 「「夏目漱石財団」なるものについて」

最近、僕のところに「夏目漱石財団」なるものを設立したので協力してくれとの手紙が届いた。一部の親族が関わっているらしいが、僕の連絡した親族たちは困惑し、いささかうんざりしている。放置しておくと混乱も予想されるので、急きょ相談の上以下のような文書を報道機関、出版社、博物館などに送付した。各方面に周知し、良識的な判断を望みたい。

             2009.7.12   夏目房之介

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みなさま

 いつもお世話になっております。

 このたびは、漱石長男純一の息子・夏目房之介として、夏目漱石に関連することでお知らせがございます。

 本年6月17日付で私のもとに「夏目漱石財団」設立の知らせ及び協力要請の手紙と、一般財団登記の事項説明書コピーが送られてきました(同様のものが漱石長女筆子の娘・半藤末利子宛にも送付)。それによると設立は本年4月1日。

同財団の「目的」は、以下の通りです。

 〈当法人は、夏目漱石の偉業を称えるとともに文芸の興隆を図り、豊かな社会の実現に寄与することを目的とするとともに、その目的に資するため、次の事業を行う。

1.    夏目漱石に関する人格権、肖像権、商標権、意匠権その他無体財産権の管理事業

2.    夏目漱石賞の選考及び授与に関する事業

3.    文化、文明及び文芸に関するフォーラムの開催事業

4.    夏目漱石記念館の設立、維持、運営、管理に関する事業

5.    夏目漱石の愛用品をはじめ、夏目漱石ゆかりの品の管理に関する事業

6.    その他この法人の目的を達成するために必要な事業〉

(一般財団法人夏目漱石 履歴事項全部証明書 会社法人番号0110-05-002766 より)

 役員には、評議員として漱石次男伸六長女・夏目沙代子(旧姓・坂田)、理事として夏目一人(沙代子長男?)の名があり、手紙送付者は財団事務局・中村まさ比呂とあります。

 財団登記の規制緩和による設立のようですが、こうした動きには、私も半藤末利子も関与しておりませんし、また協力するつもりもありません。夏目沙代子家以外の他の親族からも、この話は聞いておりません。また登記された「目的」にある「人格権」はそもそも相続されないもので、何らかの権利が相続されるとすれば権利の管理に関しては相続者全員の同意が前提のはずですので、「目的」自体、不可解な部分の多いものです。

 ご存じのように漱石の著作権は戦後すぐに消滅しております。その後も、著作物の利用、演劇・映画化など翻案、あるいは漱石写真の利用、漱石イメージのCM利用など、様々な場合の問い合わせが父・純一や私のもとに参りました。が、私の代になってからは、消滅した著作権に関する案件はもちろんのこと、他の利用もすべて一切の報酬を要求せず、介入もしないことを方針にしてきました。

「漱石という存在はすでに我が国の共有文化財産であり、その利用に遺族や特定の者が権利を主張し、介入すべきではない」というのが私の理念だからです。また、純一所有であった漱石遺品などは純一死後、母と同意の上そのすべてを神奈川近代文学館に寄贈しております。この考え方にいたった経緯に関しましては、拙著『孫が読む漱石』(新潮文庫)該当部分引用[註1]をご参照ください。

上の理念にしたがい、私はこの「夏目漱石財団」に対して反対の立場を取ります。私以外の遺族に関しましても、ほとんどが財団設立とは無関係であり、私同様反対の立場であることも申し添えたいと思います。

また、この財団が事情を知らない人々への許諾や権利主張によって既成事実化し混乱をもたらすことを恐れます。この件につきまして、できるだけ早く公表周知すべきだと判断し、今回のお知らせとなりました。みなさまには本件につき、良識的な判断をとっていただくようお願い申し上げます。

現在までに同意をいただいた親族は以下の方々です。

半藤末利子 漱石長女筆子四女

半藤一利  半藤末利子夫(09年9月24日

吉田一恵  同四女愛子長女

岡田千恵子 同長男純一長女

仲地漱祐  同四女愛子長男 (09年8月6日)

夏目倫之介 同房之介の長男

新田太郎 夏目直矩(漱石の兄)の孫(09年7月14日)

松岡陽子マックレイン(漱石長女筆子の三女 09年7月15日)

夏目季代子(伸六次女きく子長女 09年7月15日)

なお、本件に関するより詳細な資料を必要とされる方は私までご連絡ください。

 以上の文書の一部と経緯に関しましては、随時私の個人的なブログにおいても公表してゆくつもりです。http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/ 夏目房之介の「で?」

 とりいそぎのお知らせで、読みづらいところもあるかと存じます。ご容赦ください。

               2009年7月12日  夏目房之介

註1 〈漱石のような存在については、社会に広く共有された文化として、享受とのバランスで権利の範囲を考えるべきだというのが、僕の現在の考えである。
 映画化や演劇化などとっくに切れた著作権にかかわる翻案やパロディなどはもちろん、著作利用やCMへの肖像利用についても、僕は基本的に何もいわない。報酬も要求しない。

 むしろ、そうすることが漱石という文化的存在を将来にわたって維持し、享受や批判をさかんにして再創造につなげてゆく方向だろうと思っている。〉夏目房之介『孫が読む漱石』新潮文庫 40p)

追加情報

http://www.soseki-natsume.org/

漱石財団HP

※09年7月16日確認したところ、これまで読めた内容は見られず「準備中」とされていました。

http://www.city.shinjuku.tokyo.jp/division/261000bunka/

新宿区文化観光国際課

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E4%B8%80%E4%BA%BA
夏目一人ウィキペディア

http://www.j-cast.com/2009/07/14045334.html

J-CASTニュース

※追伸

ブログのコメントについて

以前にも玉石混交ともいうべきコメントで溢れたことが何度かありました。僕は基本的にそれらを削除したりするような手段はできるかぎりとらないできました。それは「何をいっても自由」だからではなく、ブログのコメント欄というものが、いい意味でも悪い意味でも無責任なものであり、本来管理するのが困難な性格だからです。よほど状況的に書き込みが本人だとわかる場合を除き、これらの書き込みは匿名的で、それを根拠に責任のもてる発言のできるものではありません。それらに意味や価値を認めるか、批判するかは、どこの誰ともわからないブログ読者の人々の個々の責任においてなされるべきことで、そこに良識があるか悪意があるかも、また読む者の判断に任されます。
したがって、コメント欄に書き込まれたものに対して、それを参考にすることはありえても、僕自身が財団の問題にかかわる判断をそれによって直接行い、発言することはありえません。コメント欄の記入が財団関係者のものであれ何であれ、このことは常識の範囲内と思われます。ブログ読者のみなさんもまた、過剰な反応よりは冷静な判断をされるようお願いします。

夏目房之介 2009.7.18

J CASTニュース 2009.7.14

http://www.j-cast.com/2009/07/14045334.html?p=all

当ブログ209.10.6「漱石財団の経緯と財団解散を巡る議事録」

http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2009/10/2-f3b9.html

Comment(5)

コメント

JKK

この財団の狙いは漱石の商品化だったんじゃないかって気がします。商売狙いで財団は設立できないたてまえだけど、企画の管理がどうとかとHPにはあったから、たぶん(以下略)

むむ

あなたは正しいことをしてる。

財団問題が解決して良かったですね!

たこりん

出雲大社で知ったのですが、、、
すでに、江戸中期以降、大国主命のお社に、大黒様(大国)を置かれ始め、、、
世界中のおそらく?人類が人工化するまでの時期で、
まだ大自然が動物たちに与えた秩序、理性で本能的に畏怖したり、弱い者を保護しようとしたりする本能的な博愛心?や祈りが、きっと、信仰の姿の起源に思えます。。?
どんどn、理論、形而上的な認識が頭脳により開花され、
宗教に言葉による定義付けやルールが作られ、それが、また、斬新で先進的でもあり、高尚に感じ、
宗教が一気に力を制して行ったように思います。。?
おそらく?指導者らは言葉やディベートの達人でしたでしょうしたでしょうし、
商人らと連動し、物流を動かす人たちとの接点もあり、
海千山千でもあったのではないでしょうか?垢抜けし、憧れ半分で、どんどん、虜にされて行った。。?
そうなると、その地域の社会基盤であった農業、漁業など、「長」らが治めていた村の秩序が崩され、そこで、本来の根本的な信仰も、宗教ナイズされ対抗する必要が出てくる。。?
そう考えると、、人類史は理解しいやすいように、一貫した視点で、資本を追求し、地球の支配者に君臨しようとするテロ勢力(奴隷、テロリズムの黒幕)と、
彼らの餌食にされる多くの素朴な人たちを守ろうとして、前者らと攻防してきた組織や人脈が、地球上のあっちこっちにできた功績が、カトリックローマ法王を支えてきた修道院だったのかもしれない??
何が言いたいかというと、、、美しい功績ほど、それに群がりたがる権力者は多く、
矛盾を消すために、クーデター的な破壊活動を平気でする。。ゴメン!
でもね。本当の日本人は、木でも石でさえも、土も、自分たちの祖父母や曾祖父母たちの時代からあるものに、愛着があって、生身の人間は死んでしまうけど、
雑草や土や木や池や海辺が、太古から守られて来た姿から、祖先たちの生きた証が息づいてるように感じて励まされるもの。。
資本主義社会の人たちのように、、
それらの遺跡?に自分たちの名前を刻み込まずにはおれないという独占欲に辟易してしまう。。
渡来人や遊牧民らが、戦争での本当の黒幕だったというようにも思える??

たこりん

中2の後半に突然、やってきたヒトラーを東洋人にしたような?唇を動かさないで早口で話し、瞳は瞼に隠れ気味で濡れて光っていて、どこを見てるのかよく分からない。。そんな仁井国夫氏が始めは、図書館の司書(それまでは同窓生のお姉さんがしてくれていた仕事ですが)をし始め、
いつの間にやら、、同志社女子中高の校長になっていた。。
堀数馬校長は知らない間に去っていて、彼が毎朝の栄光館チャペルでの礼拝で、校長先生が座るところに座って、あろうことか、声を荒げ、壇上から個人を指差して攻撃する。。
夏、締め切ってエアコンが無い栄光館で、特に梅雨場は若かった生徒にはきつい暑さと息苦しさがある。。
でも、堀数馬校長までは、そのまま、栄光館が建てられた時から同じように、礼拝をすることで、
過去へのいざない、共感、感性を育んでくれたのを思う。。
あまりひどく蒸す時には、さすが、先生は、そっと扉を開け放してくれたり、カーテンは閉めたままだけど、換気してくださったりね。。
仁井氏が来るまでは、先生方も生徒もとってもアットホームで、
家族のお父さんやお母さんに気安く話すように、接する雰囲気が先生の方からも作られてらして、、
でも、先生方もとっても個性的で、、、ただ、先生という年長者で教えてくれる人としての節度はさすが、京都の老舗の跡取り御嬢だけあって、はっきりしてましたが。。
だから、威猛々しい言動がなく、和やかな先生との関係があり、
仁井氏がやってきて、「ここは生ぬるい湯のようだ」と、ヒトラーっぽい話し方で説教された時には、何を言わんとしてるのか、ともかく、同志社女子中高がそれまでは育んできた文化が、
競争社会の視点から非難されてるということは分かった。。
彼はこのまま、同志社大学進学せずに、外部入試をするようにと、
しばしば、説教に教室へ現れた。。
今、同志社で、同窓会名簿を個人情報保護法で発行していないというし、
同級生や先輩とも連絡が取れず、老舗の後をとってるはずだが、
のれんと名字はあっても友達は消えてる。。
同志社卒業生がターゲットにされることが、このs44時点で決まっていたのではないか?
入学した当初から受けてきた絶対評価の教育方針で、
人間教育、良き家庭の母親、主婦、妻になることも大切なことだという視点だったのが、、?あれ?
って感じでどうしちゃったんだろう?
高校からの入学者は成績優秀だけれど、阪神大震災ごろにマスコミされていたような残忍な人たちも入学してき始めた。。
中学から地方の名門の御嬢でおっとりおおらかな、マイペースなのに道を外さない私にはお姉さん的な友人が、繁華街の不良に紹介され、ひどい目にあったり、海外に売られかけるという事件が起こったり、同女でかつ江戸期からの明治期からの京都人や末裔で、歴史の証人のような先生方がつぎつぎ、高2までに急死された。。
開戦前に来日されたデントン先生の教え子の老先生もご健在で、
毎年、二回、アメリカ旅行され、お元気でしたのに。。
漱石のプロフィールって、鴎外、寅彦、一葉、岩波書店、朝日新聞、芥川龍之介、だけでなく、
サレジオ会のチマッティ神父を育てたDonボスコの時のローマ法王、英米、岩崎久弥を振り返ると、、
新島襄の背景がリアルに浮かんでくる。。
漱石の兄や父は続いて、死んだことにしてお葬式をし、
実は、英国からの探偵として、江戸幕府繋がりで捜索している。。
漱石の妻は裁判所の書記官の娘だし、
漱石がのち、英国から帰国後、200青年連続ヤラセ?自殺事件の第一号の藤村操事件があり、、
その後も漱石は、官僚にはならず、一介の教師として問題の地域を転勤し、
この200人の調査をしている。。
つまり、、この自分たちと同世代の若者を葬った若者たちが、漱石の周囲にも取り巻くが、
彼らの親世代に、新島襄が生きている。。
そして、、同志社のプロテスタント会衆派(組合教会)と、
横浜のプロテスタント長老派(一致教会)との抗争が、
設立しようとしてる同志社の初代を乗っ取ろうとしてる人たちが新島襄を初代にしないようにと、、
起こしてる?
彼が病死するとすぐにおさまってる。。
そして、、私の在学中もアーモスト館は別格でしたが、
同志社の最初は、栄光館がある同志社女学校が始まりのはず?
また、先ほどのプロテスタントとひとくくりにされてるが、実際には、
限りなくローマ法王人脈である宗教界もあること。。
今のエキュメニズムが阪神大震災以降、ホロコーストと連動した中で進められる中で、
プロテスタントと言っても、ヘンリー8世の英国教会や新島襄の同志社での礼拝は、カトリックの修道院と共通点が多い感性だったことを思います。。
卒業後、学生時分の毎日の礼拝を求めて探し歩きましたが、、
サレジオ会の星光学院内での小さなカトリック天王寺教会の価値観が、
学生だけでなく普通の生活者が通う教会として、デランジェラ神父様のお話しが、
とてもしっくりきて、マニュアルや定義から解き放たれたアンテナで、
同じ素朴な生活者を大切に支えてる信仰と励ましの場としての教会を思いました。。
デラ神父も聖心女学院の英国教会やカトリックの同じで、開戦前から戦時中も日本にいらして、
西欧欧米との表向き戦う日本に居続けて、戦火に煽られ、激化しないようにと、
居続けた方々でもあります。。
彼らを救うべく、無線で翻弄されてる日本軍をますます、ホロコーストされないように、
日本に巣食ってるテロリストラが幕末以降、明治期に鉄道や電気やガス灯や工事をする中で、
爆発物などを埋め立てられている可能性を一掃するための東京大空襲だったのではないだろうか?
沖縄からビラを巻き、空襲予定日と地図とが書かれ、そこから立ち去るようにとのメッセージが日本語で書かれていたという。。

関東大震災を体験された早川徳次さんの証言って、広島原爆体験者が訴えていたことと共通点が多い。。
なお、、ツタンカーメンって、日本で言うと明日香村から出土した鮮やかな壁画でしたので話題になった遺跡がありますが、それと似た発見と騒がれ方を思います。。?
これも拝火教の歴史、エジプトの女王の歴史ではなく、伝えようとしてひょっとしたら?作られたものではないだろうか?
王子というが、性器はなかったというので、実は王女の遺骸だったということではないだろうか?
背骨も崩されてるというので、ひょっとすると?井上靖さんの楼蘭に繋がる文化があったのだろうか?
カトリックでも第二公会議で、結局は、カトリック内での長年の敵対してきた対立があり、
歴史で言うと、奴隷資本を展開させるスペインと英米の修道院と英国教会系。。
福者?23世が実際には黒幕で?その後の法王にエキュメニズムを進めさせている?ってことではないだろうか?
世界中で起こされてた内乱、紛争、地震って、、原発事故って?実は、ホロコースト事件だったんじゃあないか?ってね、、カトリック教会に起きた急変劇で消え去ってる古くからの信者さんたちの消息が辿れなくなってること、、尼崎脱線事故から始まってる街の急変。。
仁井氏がもし?独ナチスでも実際には彼のような人物が、仕切ってるとすると、、?
ってね。。S44から始まってる。。!

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