オルタナティブ・ブログ > 夏目房之介の「で?」 >

夏目房之介の「で?」

戦後の大城のぼる 補足

»

先月、「戦後の大城のぼる」についてコメントした。

http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2010/09/post-8631.html#comment

その後、松本零士/日高敏『漫画大博物館』(小学館クリエイティブ 2004年)所収の『火星探検』の項の後にあった「大城のぼるインタビュー」を読みなおしてみたら、こんな箇所が。

〈-昭和27年に、「おもしろ漫画文庫」の1冊として「少女白菊」がありますね。あれは、いい絵でしたね。
大城 私はね、いい絵もなにも、漫画から離れようとしてたんですよ。そういう意識が出てきたわけですよね。そのころ、まだなかった、今の劇画ですよね、映画と同じようにカメラアングルをいろいろと移動させてね、そういうテクニックが人から新しいといわれたのを覚えてますよ。
-「少女白菊」は傑作だと思いますけれども・・・・・・。
大城 あれは、あんまり誉められても困るんですよ。私のわがままが出ちゃってるんですから。出版社で、よく怒らなかったなあと思ったんですよ。あれは漫画で描くべきじゃあないと思いましたよ。原作は落合直文の詩情豊かなものでしょう。だから自然に写実的な絵になったんです。/人形芝居のようになりましたけれど、しょうがないですよね。自分が描きたいほうへ、どうしても行っちゃいますね。[略]あれは漫画で描くのはいけませんなあ。真面目になってしまって・・・・。〉(同書80~81p)

ここで、大城の思っていた「漫画」の概念を超えて、戦後彼がどうしても向かってしまった、何か過剰なものが語られようとしている。それが、のちの「劇画」に近い「何か」であるという部分に、彼が戦後を生きたことの意味があったのかもしれない。いいかえれば、のちに「劇画」に結実する時代的なものが、この時点ですでにありえたかもしれない。いずれにせよ、戦後作品の復刻が望まれる。

Comment(1)