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夏目房之介の「で?」

ササキバラ・ゴウ氏と交流会

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ササキバラさんが翻訳自費出版されたトプファーの『Mヴイユ・ボア氏』購入をめぐって、氏と連絡がとれ、うちのゼミ生や知り合いの研究者と交流会をもつことができました。
ゼミ生以外の参加者は、小田切博氏、藤本由香里さん、椎名ゆかりさん(「英語でマンガ、アニメ!」 http://d.hatena.ne.jp/ceena/ 主宰、エージェントも)、野田謙介氏(「pen」誌でコミックの特集を構成した人、現在グルンステンの著書翻訳中)など。
目白周辺の店で始まったお話は、ものすごく盛り上がり、忘年会で大騒ぎの店を出て近所のロイホに移動して結局11時半まで続いた。マンガやコミックの原理的な言及についてなど、かなり白熱した議論にもなって、こんなに議論で盛り上がる交流も珍しいというほどだった。

驚いたのは、ササキバラ氏のマンガ論へのモティーフが佐々木マキだったこと。僕もまったくそうなのだが、氏は61年生まれなので、僕よりだいぶ後で同じような佐々木マキ経験をした、ということなんだろうか。当時のマンガを巡る言説の、60~70年代の先行知識人から「ぼくら語り」世代への移行は、僕も今ぼちぼちやろうとしているところだが、ササキバラ氏も「70年代の半ばあたりが、見えないんですよね」といって、霜月たかなか『コミックマーケット創世記』の話になったり・・・・。

あと、すごく興味深かったのは、マンガ編集者としての意識と、マンガ論をやる分析的な意識のズレについての話。ササキバラ氏は、元徳間書店のマンガ誌編集者だが、今もフリーで編集者をしている。マンガ編集者として重要なのは、面白いかどうか、受けるかどうかについての、読者的な感覚。作家に対して、打てば響く速度で対応できる直感的な反応が重要なようだ。でも、マンガ論や批評だと、もっと分析的になるし、作家に対しては表現をもっと深くしたりするのには役立つかもしれないが、作品が受けるかどうかについては逆効果になる場合もある、というような話をされた。マンガ編集者が、往々にして理論を嫌い、批評を排除しようとする傾向(もちろん全員ではないが)を持つ理由が、そのへんにもあるのかなと思った。

ササキバラ氏は「マンガの研究をしたいという人がこんなに集まっていると何だか頼もしいですね」といわれていたが、そういう時代になったんですよ。今後とも、ぜひ色々と教えていただきたいものであります。

ササキバラ氏に関する過去のブログ↓
http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2008/11/post-dbb2.html

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