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【書評】『ニッポンの国境』:終わらない戦後

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著者: 西牟田靖
光文社 / 新書 / 250ページ / 2011-07-15
ISBN/EAN: 9784334036331

3.11の震災によって、すっかり忘れられてしまった感もあるが、昨年の後半はずいぶんと領土問題が世間を賑わせていた。2010年9月には尖閣諸島沖で中国漁船問題が発生し、11月にはロシアの元首として初めてメドベージェフ大統領が北方領土に上陸した。はたして、これらの領土問題は、なぜ発生し、くすぶり続けるのか。本書は、その歴史的背景や外交の舞台裏を追いかけ、原因と真相に迫った一冊。

◆本書の目次
第1章 国境の誕生

1-1 国境の誕生と領土のルール
1-2 あいまいな日本の領土
第2章 戦後の復興と領土問題の発生
2-1 東西に分断されていたかもしれない日本
2-2 サンフランシスコ平和条約という爆弾
第3章 冷戦の道具にされてきた島々 ― 北方領土編
3-1 日本政府と北方領土
3-2 日本とロシアの影響力
3-3 四島返還へのこだわりが生んだもの
第4章 日韓に打ちこまれた楔 ― 竹島編
4-1 日本と韓国の温度差
4-2 密約とアメリカの影
第5章 隔離された島々 ― 尖閣諸島編
5-1 自由に行けない政治的秘境
5-2 動き始めた「禁断の島々」 

著者は、北方領土と竹島の両方に上陸したことのある、数少ない日本人である。その詳細は、前著『誰も国境を知らない』に詳しいが、本書でもそのルポの模様がダイジェスト的に紹介されている。北方領土へも竹島へも、日本政府の姿勢は「行かないように要請する」というものである。しかし、実態としては、いずれもロシア経由、韓国経由で渡航することは可能なのだ。日本政府が行かないように要請しているのは、それを認めるが、日本の領土ではないと認めることと同義になってしまうからである。

これらのルポの模様が興味深い。対日戦勝碑と古い日本家屋が共存している国後島では、室内アンテナを変えると「笑っていいとも!」が映しだされたという。地理的、心理的に日本を身近なものと感じている現地の人々の声は、非常に印象的だ。また、韓国から竹島へ移動する際には、船が日本製だったというエピソードなども紹介されている。

しかし、本書の本質は、そのルポの模様よりも、国境の変遷を丹念につなぎ合わせ、その全体像を浮かび上がらせようとしているところにある。見えてきたのは、アメリカの影。いずれの問題も、根底にはアメリカの二枚舌が潜んでいるのである。どうやら領土問題の火種の要因は、ポツダム宣言の受諾から占領状態を脱したサンフランシスコ平和条約調印までの間にあるようだ。

1946年1月のSCAPIN677の規定において、一度は、竹島や北方領土は日本の領土から切り離されたものとして線引きされている。しかし、その後1951年に調印されたサンフランシスコ平和条約では、竹島、尖閣諸島という地名は消えあいまいなものになっていたほか、千島列島の範囲も言及されていなかった。また、領土がどの政府に対して放棄されたのかも、明記されておらず、非常にあいまいなものであった。

著者の見立てによると、これらはアメリカが日本と近隣国の間に楔を打つことが目的であるそうだ。ソ連や中国という共産国はもちろん、韓国も朝鮮戦争の結果いかんでは共産国になる可能性もあり、火種を残しておいた方が日本を西側諸国の一員として担保できるということなのである。領土問題は、冷戦の道具として利用されたものに過ぎないのだ。

しかしその領土問題と引き換えに、アメリカとの特別な関係を保ち、日本が経済発展を築いてきたのも事実なのである。領土問題と経済発展はコインの表と裏の関係だったのだ。正念場を迎えるのは、これまでのような経済発展を期待できない今後の姿勢にあり、どのように解決に向き合っていくべきか課題は多い。

著者の夢想する特区構想は、ナーバスな問題に触れながらも、本書の読後感を爽やかなものに仕立て上げている。いずれにしても大切なのは、この問題を風化させないという一点に尽きる。3.11の後、戦後は終わったという声が、数多く聞こえてきた。確かに精神的な意味においてはそうかもしれないが、領土をはじめとする物理的な問題は、いまだ戦後のままなのである。

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