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時間と宇宙のすべて

時間と宇宙のすべて

  • 作者: アダム・フランク、Adam Frank、水谷 淳
  • 出版社: 早川書房
  • 発売日: 2012/4/20

かつて、「月曜夜9時は街からOLが消える」と言われる時代があった。トレンディドラマと呼ばれるものが全盛であった、つい20年ほど前のことである。

しかし、もっと時代を遡れば、街頭テレビに民衆が群がり、プロレスラーに声援を送っていた時代もあった。この時代は逆に、放映時間に家から人が消えたという時代であったことだろう。

今を起点に過去数十年を振り返るだけで、私たちが時間に感じる同時性というものが大きく変貌を遂げたということがよく分かる。その背景には、常に科学技術の進化というものが存在した。

本書で描かれているのは、さらに、そこからもう一歩奥へと踏み込んだ世界の話である。すなわち、科学技術の進化を生み出した背景に、どのような宇宙観の変化があったのかということだ。

ITが社会をどのように変えたか、その類の本を見かけることはよくあるのだが、宇宙科学ひいては宇宙観が我々の社会をどのように変えたか、そのような切り口で書かれた本は稀有なのではないかと思う。それを著者は、「時間」という補助線を巧みに使うことで見事に表現している。本書はそんな人間的時間と宇宙的時間、2つの時間をめぐる壮大な物語だ。

まず人間的時間、その歴史は「一瞬」というものが形成されるまでに、どれだけの時間を要したかということでもある。

はるか昔の原始共同体の時代、時間は共同体の内部に存在するものであった。同じ時間軸を共有し、儀式をとりおこない、共通の記憶とともに共同体の規範・伝統を継承する。それが、農耕を中心とした社会構造が作られるようになると、時間そのものが年ごとに再生されるようになっていく。

一日を明確に分割する単位がはじめて登場するのは、都市革命のころ。さらに産業革命の頃になると生産効率性を追求するために、分が時間的交換単位となり、時間は圧縮され抽象的なものになる。と同時に、かつて共同体の内側に埋め込まれていた時間は外側へと取り外され、客観的に計測可能な定規としての時間性を持つようになったのだ。

やがて地球の端から端までが電信線で結ばれるようになると、電気的に調整された新時代の時間は、1秒よりはるかに小さい区分へと変わっていく。

一方で宇宙的時間、その歴史は宇宙創造という「一瞬」をめぐる議論へと収斂されていく。

コペルニクス、ケプラー、ガリレオ。歴代の科学者たちは、先人の理論を覆しながら、一歩づつ時間を作りかえていった。決定的に大きな変化がおきるのは、ニュートンとアインシュタインの時代である。

ニュートンは絶対空間と絶対時間というものを定義することで、運動を定義するための枠組みを作ることに成功した。空間を絶対不変の箱のようなものだと考え、その中で起きる物理現象を考えたのである。それに対しアインシュタインは、空間そのものを研究対象とし、その歪みに着目することで新たな時間を生み出したのだ。

その後、アインシュタインの相対性理論から、量子力学や素粒子物理学の分野に至るまでの諸概念を総動員し、特異点としてのきわめて重要な「創造の瞬間」へと向かう。それが宇宙の始まり、創成だ。しかしその後、「創造の瞬間」という概念そのものも、揺らいでしまうことになってしまうのである。

この人間的時間と宇宙的時間という二つの時間。この両者がお互いに影響を及ぼし合う様こそが、本書の見所の一つでもある。その触媒となったのは、両者における物質的な関わりというものである。

物質的関わりとは、古くは手で粘土をこねたり、火のなかに鉄鉱石をくべたり、羊毛を木の枠に張って引き伸ばしたりすることを指している。これらは徐々に進化しながら、人々は新たな方法で物質世界と関わるようになっていく。その過程で、時間は欠かせない要素であったのだ。

その代表的なものが、機械式時計の導入である。これによりヨーロッパは1日の秩序を変え、やがて天空の新たな比喩を生んだ。労働者が、タイムレコーダーに支配された、効率的な生産のための新たな生活に入っていくにつれ、彼らの世界は、重力と運動の簡潔な法則に支配された軌道を惑星が規則的に動いていくという、新たな時計仕掛けの宇宙像を忠実に写すものとなったのだ。

それから何世紀も経ち、今度は蒸気機関が導入される。この出来事が産業革命という新たな時代の幕を開け、タイムカードに基づいた労働者の生活リズムを促した。それだけでなく、蒸気機関で駆動する機械から生まれた熱力学の科学は、エネルギー、エントロピーという概念を生み出し、宇宙論的思考を作りかえる独自の比喩や道具をも生み出したのである。

また20世紀の幕開け直前に、列車と電信線が登場したことも、長距離における同時性の新たな経験を作り出す。これらはまさに、アインシュタインの相対論の基礎となるものでもあった。

本書に流れる半分の時間、すなわち人間的時間を理解するのは多くの人にとって容易なことであるだろう。しかし残り半分の宇宙的時間の世界は、ハードルが高いと感じる方も多いかもしれない。実際に僕も、何カ所か理解のあやしいところがあった。

ただ、それでも僕がこの本をおススメしたいと思うのは、本書がその深淵なる宇宙の世界へと誘う力が非常に強いということにある。

過去5万年の文化の変化を思い返せば、デジタル技術などを通じて実現する人間的時間の変化は、宇宙的時間の変化を反映するということが予想出来る。宇宙観なるものが、戦略や戦術に落とし込まれテクノロジーへと変化するまでには時間を要するからである。この実態が宇宙的時間と人間的時間の時間軸をずらすことで、非常に良く見えてくるのだ。

例えば相対論物理学の世界。この世界において、同時性の基準はすべて座標系に依存する。ある二人が正確に同じ瞬間、同じ「現在」に生まれたという主張は、実際には、その時間の測定をおこなった人の基準座標系によって変わってくる。相対論では、同時性もまた局所的になるのだ。

これを、現在のネットのつながりが可能にした疑似同期や選択的同期という概念と照らし合わせながら考えてみると、実に良くイメージができ、なんだか分かったような気にもなる。そこに宇宙的時間と人間的時間の100年近いタイムラグが垣間見えるのだ。

もっと愚直に述べると、相対性理論という宇宙的時間が技術にまで落とし込まれたGPS、これを携帯電話に搭載することにより、超高精度の空間が超高精度の時間と織り合わされ、新たな人間的時間の構築が可能になったということである。

つまるところ、宇宙的な時間とは人間的な時間の未来を指しているとも考えられるのである。宇宙論は決して科学者たちだけのものではなく、我々の未来でもあるということだ。であるならば、はたして、ビッグバン理論以降の代替宇宙論とされる、ひも理論やブレーン宇宙論、多宇宙モデルといった新しい宇宙観は、われわれの社会にどのような形で再現されることになるのだろうか?

本書で描かれているのは、人間的時間に関する「瞬間」のヒストリー、そして宇宙的時間が投げかける未来の社会へのミステリー。読んでみたけど、よく分からなくってヒステリーっていうのだけは、ご勘弁を!

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宇宙はなぜこんなにうまくできているのか (知のトレッキング叢書)

宇宙はなぜこんなにうまくできているのか (知のトレッキング叢書)

  • 作者: 村山 斉
  • 出版社: 集英社インターナショナル
  • 発売日: 2012/1/26

宇宙関連の領域に明るくない方には、副読本としてこの本がおススメ。宇宙の歴史から、最新の宇宙理論までが実に分かりやすく書かれている。

時間の比較社会学 (岩波現代文庫)

時間の比較社会学 (岩波現代文庫)

  • 作者: 真木 悠介、、真木 悠介のAmazon著者ページを見る、検索結果、著者セントラルはこちら
  • 出版社: 岩波書店
  • 発売日: 2003/8/20

文化や社会の形態によって異なる時間の感覚と観念。これらを比較した古典的名著。時間意識というものが、どのように形成されたかが、丹念に分析されている。

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naichi

ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物 (飛鳥新社ポピュラーサイエンス)

ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物 (飛鳥新社ポピュラーサイエンス)

  • 作者: バート・ヘルドブラー、エドワード・O・ウィルソン、梶山あゆみ
  • 出版社: 飛鳥新社
  • 発売日: 2012/4/19
ヒトをヒトたらしめていることの一つに、農業を営むということがあげられる。狩猟採集から農耕定住へと進化することで、食料の安定性を確保し、文明への新たな一歩を踏み出しのだ。

しかし動物の中にも農業を営むものがいるとは、知らなかった。しかも農業を始めたのが、人類よりも何千万年も早いのだというから驚く。それが本書で紹介されているハキリアリという生物だ。

もしも生物学者が会議を開いて「動物界の七不思議」を決めるとしたら、ハキリアリは絶対に外せない ― 著者にそうまで言わせるハキリアリは、中南米の本土では頻繁に見かけることができる昆虫だ。

著者はピュリッツァー賞を受賞したこともある人物。集団全体で一個の動物のようにふるまう、超個体としてのハキリアリの生態を、見事に描き切っている。

ハキリアリたちは葉を切り取り、傘を差すような格好で背中にかつぎ、大行列を行う。そしてバケツリレーのように葉を受け渡しながらコロニーに持ち帰り、糊状の物質を作り出すのだ。それをコロニーの壁の材料とし、そこに生えてきた菌類を食べることで、彼らは生きているのだという。

これを可能にしているのが、彼らの階級制度である。特徴的なのは働きアリの中でも体の大きさやつくりに著しい違いがあるということだ。一番小さい働きアリと超大型の兵隊アリは、頭の幅にして約200倍の開きがあるのだ。この体型の違いによって、作業が各クラスターに振り分けられいてる。

この分業体制は、具体的には以下のようなフローで事が進む。
①中型サイズの運び係が、葉を切って巣に運搬する
②それより少し小型のアリが、噛み切って細かくする
③さらに小型のアリが植物片を押し固めて粒状にし、糞を落とす。
それから、すでに作られた菌園の土台に新しい粒を足す
④もっと小型のアリが、菌糸のかたまりを抜いて新しい畑に植えかえる
⑤最後に最も小型のアリが菌園をパトロールする。

このような複雑な活動を行うだけに、コロニーも非常に大きい。部屋数は8000個近くにまで及び、巣の深さは地下7〜8mにまで達しているものもあるのだという。

図版や写真も多く、何度読んでも飽きない一冊である。そして読了後は、絶対にハキリアリの実物を見たくなるはずだ。ちなみに中南米まで行かなくても、東京の多摩動物公園で見られるそうなのでご安心を!

(※HONZ 5/7用エントリー

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naichi

誰だって物事が上手く進まなかったり、失敗したりすることで、回り道を強いられることがある。しかし、その時はショックであったことでも、後から振り返ると「なんであんなことで落ち込んでいたんだろう」と思うようになることもある。

僕にとってHONZというのは、まさにそういう存在だ。何を隠そう、僕は現・HONZメンバーで唯一の「HONZに落ちた男」なのである。そんな僕の目から見たHONZに入るまでのこと、そして入った後のこと。

◆HONZ以前
「あ〜ぁ」と会社の喫煙室で大きなため息をついたのは、2011年1月5日のことだった。手にしたiPhoneで見ていたのは成毛眞ブログ。その日に発表された「本のキュレーター勉強会」(当時)の合格者の中に、僕の名前はなかった。

ビジネス本ばかりをベスト10に選出してしまったことから、多分落ちるだろうなとは思っていた。しかし、何よりショックだったのは、合格者たちの選出した本が、とにかく面白そうであったということである。こんな世界もあるのかと思いっきり目を見開かされた僕は、きっと1年後にも応募があるに違いないと勝手に思い、それまでの読書傾向を一変することを決意した。

数ヶ月間ほど「本のキュレーター勉強会」の模様を眺めていて、一つだけ分かったことがあった。どうも普段通っている本屋では、HONZで紹介されているような本を見つけることができない。そう思った僕は、ちょうど約一年前のGW初日、丸善丸の内店へと向かった。そして、新刊が置いてある棚の前に立ち、そこにある本30冊程度を全て買うことから始めてみたのだ。

GW中は一歩も外へ出ずに、購入した本を片っ端から読み漁ってみた。するとどうだろう?その時に読んだ本のいくつかが、「本のキュレーター勉強会」のメンバー達が選んだ本とカブり出していくではないか。ふっふっふっ、ここら辺がメンバー達の圏域か。待ってろHONZ!

◆ひとりHONZ
実は、僕の読書歴というのは非常に浅い。いわゆる土台がないわけだから書評の質には目をつぶって、インプットの量とアウトプットの速さのみを心がけるようにした。そうこうしているうちに、本格的に読書にハマっている自分に気が付く。本を読むことも書評を書くことも、とにかく楽しくて仕方がなくなってきたのだ。

気分はひとりHONZ。密かにメンバーへ対抗心を燃やしている時期もあった。メンバー達が選びそうな本ばかりを狙い撃ちして、彼らよりも速く書評を書くのだ。そうすることで、いつの日かメンバーの人達が気づいてくれるかもしれない、そんな思いもあったのは確かだ。ちなみに後に知ることとなるのだが、メンバー達が僕の存在に気付いていたフシは全くない・・・

◆突然のメッセージ
2011年7月15日、「本のキュレーター勉強会」がHONZへと様変わりした。まさに、その日のことである。こんなサイトになったのかなどと思いながらHONZを眺めていたら、突然Facebookにメッセージが。そこに書かれていたのは、代表・成毛眞からの「内藤さん、HONZに入りませんか?」という目を疑うようなメッセージだったのだ。

予兆はあった。その数日前に、とある本の書評を書いた時のこと。ブログの更新を知らせたFacebookのウォール上に”せっかくの厚めの本の書評、あと400字がんばってほしい!”という成毛眞からのコメントが入っていたのだ。それでもその時には、次年度の応募の際にちょっとは有利になるかなくらいにしか思っていなかった。

即座に「お願いします!」と返信。声を掛けてもらったことにも驚いたのだが、オープンしたその日にレビューアーの増強に動いているという、成毛眞の経営者的な目線にも驚かされた。

◆まさかの二度目の落選?
そんな訳で、まずはHONZの編集長・土屋敦と会うこととなる。しかし、てっきりHONZに入れるものだと思ってノコノコと出かけていった僕がバカだった。そこで受けたのは鬼編集長からの厳しい指摘。要は「読んだ本が自分のものになっていない」というものであった。本のキュレーター勉強会に落ちた人は50人位いると思う。しかし、二度まで落ちた人は僕くらいだろうな、そんなことを思いながら、トボトボと帰ってくる羽目になったのだ。

ところが鬼編集長は、ただの鬼ではなかった。それから約一ヶ月、自分なりに書評を改良し、更新し続けた甲斐があったのだろうか。鬼編集長から次の定例会に参加するようにとのメッセージ。その時は良く分からなかったのだが、行ってみたらそれがHONZに入るということであったのだ。

その日は、その後も奇妙なことばかりが続いた。なぜ成毛眞に挨拶もしていないのに、誕生日祝いのダンスを踊っているのか、なぜハマザキカクという人は新刊じゃない本ばかりを紹介しているのか。???のオンパレード。それでも何とかついていけたのは、ノンフィクションの本が好きという共通の趣味嗜好があったからであった。

◆書評ではなく勝手広告を
HONZには副代表の東えりか、編集長の土屋敦という二人のプロの書評家がいる。この二人を真似しようとしたら怪我をするなということだけが、自分がHONZに入ってすぐに理解できたことであった。もちろん代表の成毛眞もそうなのだが、本に関する引き出しの数が半端ない。まさに人間そのものがリファレンスエンジンという印象であり、その知識が書評の端々にまで表現されているのだ。

結局僕がどれだけ上手く書評を書こうとしても、彼らに敵うわけがない。だけど思い起こせば、僕だって広告のプロフェッショナルだ。そうか!書評を書こうと思うからいけないのだ、広告を作ろうと思えばいいんだ。そう思ったあたりから、自分の立ち位置が明確になってきた。

広告の中には勝手広告というジャンルがある。特に企業の許可を取らずに、勝手に作成し発表した広告風作品のことだ。勝手に作るわけだから制約があるわけではないし、自由で特有の悪ノリ感がある。そんな風に書評を作ることが出来れば、通常とは違う回路でコミュニケーションできるのではないかと考えたのだ。

僕が自分のレビューを本当に届けたいと思っているのは、かつての自分のような、本に対して無関心であったはずの人たちなのである。

◆「2割だけノマド」というワークスタイル
さて、組織体としてのHONZについてなのだが、その性格を特徴づけているのは、メンバーみんなが本業を別に持っているということに尽きると思う。しかし幸か不幸か今の時代、多少のことに目をつむれば、本を探すこと、本を買うこと、本を読むこと、書評を書くこと、いずれも時間や場所を選ばない。

僕としては、自分のスキマ時間を集積して、全体の2割ほどの時間をノマドワーキングに割いているという感覚だ。そして、そんな各人の部分の集合体が、HONZというノマド型の組織なのである。これは流行っているからとかそういう理由ではなく、そうでなければ成立しえなかったということなのだ。そういえばメンバーの久保洋介には、まだ会ったことがない。

◆毎日のエントリーが会議の代わり
HONZのメンバーが目的をもって一同に会すのは、月一回の朝会の時のみだ。しかし、それでも組織体が回っているのは、毎日のエントリーが情報共有会議の役割も果たしているということなのではないかと感じている。

朝会が同期的・広場型の会議なら、日々のエントリーは非同期的・フィード型の会議というわけだ。これを可能にしているのが、共通のカルチャーをベースに持っているということ。それは差異を面白がるということだったり、本の使い方を分かっているということであったりする。

毎日のエントリーから読み取れるメンバー自身の情報というのは、案外多いものだ。村上浩が2000文字程度しかレビューを書いていなかったら相当仕事が忙しくなっているはずだし、栗下直也が真面目な本ばかり取り上げていたら、病気の可能性も否定はできない。

結局メンバーのエントリーを一番楽しみにしているのも、一番被害者となっているのも、ほかならぬメンバー達自身なのである。そして、これらを愚直にパブリックに晒していたら、同志たちがネット上で可視化されてきた。現在の状況というのは、そんな感じなのではないかと思う。

一年前の今頃、後に関西弁を喋る分子生物学者クイズの女王と知り合いになるだなんて、誰が想像できただろうか。ただひたすら、本を読み続 けてきただけなのに。

こんな奇天烈な集団であるHONZだが、この先の展開が全く読めないのも大きな魅力の一つだと思う。このエントリーを読んでいるあなただって、いつ巻き込まれるか分かったものではないので油断は禁物ですよ。皆様どうぞ、今後ともHONZをよろしくお願いいたします。

(※HONZ 5/1用エントリー

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naichi

Facebookなどを眺めていると、定期的にスパムアプリらしきものを見かけることがある。今でこそ簡単に引っかかる人も少なくなってきたが、最初のころは友人達が軒並み引っかかっているのを見て戦慄に近いものを覚えた。人間関係を利用した手法がいかに強力であるか、視覚的に確認することが出来たからである。

そんな人間関係を悪用したソーシャル型犯罪、そのはしりとなったのが、2000年代初頭に暗躍した「オレオレ詐欺」だろう。本書は、後に「振り込め詐欺」という正式名称も付くことになる犯罪を、日本で最初に始めた男の告白記である。

著者は、北関東の片田舎で生まれ育った人物である。中学時代に東京へ憧れ、高校入学とともに上京。DJの腕を見込まれクラブにも出入りし、合コン漬けの毎日。ここまではどこにでもいそうな高校生の話なのだが、後輩にカジノバーに誘われたあたりから運命が大きく変わりだす。

より強い刺激を求めてカジノバーの常連客になる→借金が増える→怪しい人物と知り合いになる→闇金業で働くようになる。そんな典型的な転落ストーリーを歩み、あれよあれよという間に落ちていくのだ。

闇金業の仕事は、与えられた名簿に電話をかけてセールスをするというだけのものである。しかし何を思ったか著者の後輩が突然、債務者の家族構成の欄に記されていたおばあさんの自宅に電話をして「オレオレ」と孫のふりを始めたのだ。これが後に大きな社会問題にもなる事件の発端なのである。

たまたま遊びでやったことで編み出された技法が上手くいくとわかると、あとは会社全体でゲームのように犯罪が加速していく。そしてノウハウも共有化され、手口もどんどん進化していった。また特徴的なのは、その手法の簡易さから類似の詐欺が爆発的に広まっていったということなのだ。

しかし著者たちも警察に動きがばれかけことを察知し、一度は詐欺から手を引く。それなのに、しばらくすると再び詐欺を始めてしまうのだ。一体、何が彼らをそうさせたのか?

2012年の現在になっても、振り込め詐欺の被害は一向に減らないのだという。特に被害が大きいのは東京、名古屋などの大都市で人間関係が希薄な地域。しかし同じ大都会でも大阪圏は被害件数が著しく少ないそうである。

刑事の見解では、大阪はもともと、人との触れ合いを好む文化があり、詐欺犯がお年寄りに電話をしても、「あんた、何をやったん?詳しく説明しい」と根ほり葉ほり聞くからなのであるそうだ。大阪のオバチャンのようにウザいと思うほど詳しく聞くのがポイントだとか。人間関係を悪用した犯罪は、防ぐのもまた人間関係ということなのか。

(※HONZ 5/1用エントリー

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「ガード下」の誕生――鉄道と都市の近代史(祥伝社新書273)

「ガード下」の誕生―鉄道と都市の近代史

  • 作者: 小林 一郎
  • 出版社: 祥伝社
  • 発売日: 2012/4/3

これまでにもダムマニアだとか団地団だとか、いろいろ見てきたのだが、「ガード下学会」なるものまで存在するとは、知らなかった。

本書の著者が、その「ガード下学会」の一員。普段からさまざまなガード下を訪ね歩き、「あの現し(あらわし)、いいね〜」などと熱く語り合っているそうだ。ちなみに「現し」とは、本来化粧仕上げするところを、あえて化粧仕上げせずに、下地となる木材などを見せることを指す。

本書は、そんなガード下の歴史を、日本の都市の近代化とともに振り返った一冊。「戦前」「高度経済成長期」「現代」など、大きく3つの時代に分けて紹介されている。

戦前のガード下の代表例の一つは、何といっても新橋駅〜有楽町駅間。我が国で初めて鉄道を敷設したのはイギリス人技師。車両を輸入したのもイギリス。それなのに、なぜかこの区間の鉄道敷設の担当だけが、ドイツ人技師なのだ。そのため、意匠・デザインなど、ベルリン高架鉄道の設計思想を受け継いでいるそうだ。

高度経済成長期に誕生したガード下の一つが吉祥寺だ。JR吉祥寺駅が高架化されたのが1969年。この時期に誕生したガード下のキーワードは「再生」である。大掛かりな再生工事を経て、現在はアトレ吉祥寺と名称も変えた。ガード下であることに違いはないのだが、美しく心地よく洗練された町づくりとなっている。

さらに最近作られた現代のものとなると、もはや何でもありだ。赤羽駅の葬儀場や銭湯、経堂駅の図書館、祖師ヶ谷大蔵駅の保育園や舞浜駅のリゾートホテルなど、幅広い用途として利用され、都市空間の重要な施設となっているそうだ。

時代とともに移り変わるガード下の風景。しかしその原点は、誰をも拒むことなく、日々の営みが息づいている生活道路となっていたところにある。本書を片手に、そんな「ガード下」の、個性や優しさを見つけに行ってはいかがだろうか。

(※HONZ 4/3用エントリー

日本の医療 この人を見よ (PHP新書)

日本の医療 この人を見よ (PHP新書)

  • 作者: 海堂 尊
  • 出版社: PHP研究所
  • 発売日: 2012/4/14

ビジネスの世界では、時として組織や専門性の壁が邪魔になる時がある。世の中全体が垂直統合から水平分散へと大きく構造を変えていく中で、既存の受け皿では解決できない課題というものが増えてきているのだ。

医療の世界も、また然りのようである。本書に登場する12人。大学病院の運営に経営的な視点を持ち込み黒字化を果たした男、Aiという死亡時の画像診断で死因究明の仕組みを変えようとする担い手、法律と医学の間に切り込む法医学のプロフェッショナル。登場人物たちが取り組んでいるテーマをざっと眺めるだけで、複合的な問題の種類の多さを伺い知ることができる。

そんなボーダーレスな課題を打破するためのヒントが、人に着目することで見えてくる。案内人は、『チーム・バチスタの栄光』でもおなじみの人気作家・海堂 尊。本書はCS番組「海堂ラボ」での自由闊達なトークを書籍化したものである。

なかでも非常に印象的なのが、海堂氏の紹介におけるスタンスだ。

ともすれば評論家は辛口で悲観的なことばかり口にする。それでは日本は明るくならないし、そもそも「海堂ラボ」の根本精神と合わない。

どのゲストも、「すごいでしょ。こんな人がいて、日本を支えてくれているんだぜ」と胸を張って言える方たちばかりだ。

この”まえがき”に書かれたコメント、HONZにおける「オススメ本紹介」のスタンスにも通じるところがあるなと思いながら読んでいた。すると次の頁で突然、HONZ副代表・東 えりかの名前も出てくる。なんと、番組を書籍化する際の構成を担当したそうだ。危ない危ない、"まえがき"を読み飛ばして知らずにレビューを書いたら、赤っ恥をかくところであった・・・

さまざまな分野を横断しながらも、コンパクトに纏まった12人のインタビュー。本書の最大の見所は、彼らを動かす原動力が何なのかというところにある。

警察庁長官狙撃事件で数発の銃弾を撃ち込まれながら、奇跡の生還を果たした國松 孝次。退院後に主治医から「あなたは都内だから助かった。地方だったら亡くなっていただろう」と言われたことがきっかけで、地方の救急立て直しのためにドクターヘリの普及を推進する。

救急隊と医療機関との連携をより緊密にするガイドラインを制定し、埼玉県における交通死亡者数を激減させた堤 晴彦。「動かなければならないときは動く」を信念に、日付の入っていない辞表をトップに提出するほどの覚悟で臨んだ。

相互扶助精神が無くなってしまえば、社会は成り立たないと考え、非配偶者間体外受精や代理出産にも深く関わってきた根津 八紘。倫理観には絶対的倫理観と相対的倫理観があり、相対的倫理観は、時代とともに変わっていく可能性があると主張する。

変わり種は、「フェイコ・プレチョップ法」という画期的な手術法で白内障の手術を3~4分で完了してしまうことを可能にした赤星 隆幸。手術のための器具を自ら開発し、特許を取得しなかったのだという。彼の思いは、一人でも多くの人達に光を取り戻してもらいたいというものだ。

組織の壁、限られた予算、少ない人的リソース、前例がないというリスクに伴う葛藤、直面する様々な問題に、彼らは一体どのように立ち向かっていったのか?

本書に登場する人たちは、必ずしも医療の世界でメインストリームにいる人たちばかりではないのかもしれない。しかし、変革の波はいつだって周縁から押し寄せる。周縁という名の最前線、打開のヒントは個に宿る。医療に興味のある人のみならず、多くのビジネスマンにとっても一読に値する一冊だ。

(※HONZ 4/17用エントリー

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naichi

先日、家でテレビを付けていたら、東大童貞男とAV女優が一日限定でルームシェアをするという番組がOAされており、思わず見入ってしまった。偏差値の世界では天下無敵の東大生が、AV女優に手玉に取られていくプロセスは、なかなか見応えがあり、放送後もずいぶんと話題になっていた。

番組名が「ミズトアブラハイム」という名前であることを後から知ったのだが、水と油のように対極な二つが組み合わさると、情報が拡散されるという好例なのだと思う。

そういった意味で、本書はタイトルからして秀逸だ。ローマ法王と米。この縁もゆかりもなさそうな、両者をタイトルに入れることができた時点で、PRの仕事の大部分が完了しているとも言える。はたしてこの両者が、どのように結びついていくのだろうか?

舞台は石川県羽咋(はくい)市という、地方にある小さな市。主役は、市役所で働く一人の公務員だ。突然、上司から言われた「おまえみたいなヤツは、農林課に飛ばしてやる!」という台詞。まるでドラマのワンシーンのようなシチュエーションから本書は始まる。

羽咋市の中にある神子原(みこはら)地区は、神子原、千石、菅池の3集落からなる農村集落だ。住民の多くが農家というこの地区の最大の課題は、高齢化率が高く、離村率も激しいということ。とくに菅池は高齢化率が57%にも達し、住民の平均年間所得は87万円。いわゆる"限界集落"と呼ばれるにふさわしい状況であったのだ。

そんな限界集落を立て直すための特命を下されたのが、本書の著者でもある高野 誠鮮さん。本書は、後にスーパー公務員とも呼ばれることになる高野氏の奮戦記だ。

著者は、神子原地区をにぎやかな過疎集落にするために、「山彦計画」と名付けたプランを立ち上げる。そしてそれを実現するための手法は、会議はやらない、企画書もつくらない、上司には全て事後報告でスピード化、予算は60万円というもの。全てが型破りのやり方であった。

矢継ぎ早に繰り出したプロジェクトは「空き農地・空き農家情報バンク制度」「棚田オーナー制度」「烏帽子(よぼし)親農家制度」というものである。これらはいずれも、神子原地区に若者を多く集め、あるいは移住させることで、集落の人たちとの交流を図るという、過疎集落の活性化を目的とした施策であった。

例えば、烏帽子親農家制度とは、主に学生などの若い人に農家に2週間泊まってもらって農業体験をしてもらうという制度だ。しかし、この制度には、旅館業法や食品衛生法にひっかかるのではないかというクレームがついてしまう。そこで「あくまでも仮の親子関係である」という事実を強調して切り抜けるために、平安〜室町時代から伝わる伝統文化「烏帽子親制度」になぞらえたのだ。

この時に、特に著者が話題作りとして熱望したのが「酒が飲める女子大生」の受け入れである。このやり方など、いかにもTV的な手法なのだが、それもそのはず。著者は、大学在学時に雑誌のライターやテレビの構成作家の仕事をしており、テレビでは「11PM」や「プレステージ」なども手がけていた経歴の持ち主なのである。

そして、その極めつけが、本書の標題ともなっているローマ法王を活用したブランド化戦略だ。大前提にあったのは、そもそも神子原地区のコシヒカリが非常に美味しいものであったということである。碁石ヶ峰の標高150mから400mの急峻な傾斜地にあるので、山間地特有の昼夜の寒暖差が激しいことから稲が鍛えられているのだ。

しかし神子原米そのものが認知されておらず、なかなか売上に結び付かない。そのために話題作りが必要であったのだ。

神子原を英語に訳すと、「the highlands where the son of God dwells」になる。「サン・オブ・ゴッド」は「神の子」、神の子といえば有名なのはイエス・キリストではないか。すると神子原は、キリストが住まう高原としか翻訳できないんです! ならば、キリスト教で最大の影響力がある人は誰か?全世界で11億人を超える信者数がいるカトリックの最高指導者であるローマ法王しかいない。

そんな半ば強引ともいえる拡大解釈を経て、著者は本当にローマ法王へのアタックを開始する。そして、バチカン大使からの回答は、以下のような粋なものであったのだ。

あなたがたの神子原は500人の小さな集落ですよね。私たちバチカンは800人足らずの世界一小さな国なんです。小さな村から小さな国への架け橋を私たちがさせていただきます。

かくして、神子原米はローマ法王への献上が認められたのである。

これには、さらに裏話がある。著者は最初からローマ法王を狙っていたわけではなく、そもそもは天皇陛下への献米を目論んでいたのだ。そして同時に、アメリカを米国と書くことから、アメリカ大統領へもアプローチをかけていたのだという。TV的にアイディアを考えて、Web的にトライ&エラーを繰り返す。ここら辺が成功の要というところだろうか。

この他にも、米の袋にある「能登 神子原米」の文字をエルメスのスカーフをデザインした書道家の先生にお願いしたり、アラン・デュカスとのコラボレーションを行い、外国人記者クラブで記者会見を行ったりと、情報の組み合わせやベクトルにさまざまな創意工夫をこらし、確実に売り上げへと結びつけていく。

世の中を動かすための「人」「モノ」「金」「情報」。多くの場合、モノを変えるということは簡単には出来ないだろう。そこで、人と情報を動すことからスタートし、最終的に金を動かすに至ったということなのだ。

さらに僕が感心するのは、これらのPRの効果が一過性のものに過ぎないということを著者がよく理解しているということだ。著者自身、対症療法と根本治療という言い方をしているのだが、これらをあくまでも対症療法として行い、根本治療のための施策は別に打っていたのだ。

その一つが、神子原米の品質維持のために行っている、人工衛星による食味測定だ。これは高度450kmの上空から、人間の目には見えない近赤外線を当てて、水田内の稲の反射率と吸収率を測定し、タンパク質含有率を計算で割り出す仕組みである。

一般的に、タンパク質の含有率が6%以下だと食味が良いとされている。水田区画のどの部分が6%未満に相当するのか、パソコン画面に色分けで表示されることにより一目で把握することができるのだという。

もう一つは、農家経営の直売所「神子の里」を開店したということだ。農林漁業の一次産業の最大の欠点は何かというと、自分で作ったものに自分で値段をつけられないことにあるそうだ。そこで、生産者自身が株主となって農業法人を作り、生産・管理・流通のシステムを作るという、まさに根本治療となる手立てを打ったのだ。

普段、僕が仕事をしている中でも、本書の著者のように対症療法と根本治療の双方へきちんと目配りできる人というのは、なかなかお目にかかることが出来ない。目的意識がはっきりしていて、物事の本質をきちんと分かっている人なんだろうなと感じる。

そんな著者が現在行っているのが、『奇跡のリンゴ』でおなじみ、リンゴ農家・木村秋則さんとの自然栽培に関するプロジェクトである。来たるべきTPPの時代にどのように打ち勝つか、そのための対抗策に取り組んでいるのだという。

本書はいわゆる重厚なノンフィクションとは一味違うのだが、繰り広げられる手数の多さに、とにかく圧倒される。そして、著者自身が投げかける「最近の会社員、とくに大企業に務めている人は、公務員化しているようです。けれど、私は聞きたいのです。実際に動き出すのはいつですか?誰ですか?」という公務員らしからぬメッセージが、妙に頭の中にこびりついて離れない。
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僕がアップルで学んだこと 環境を整えれば人が変わる、組織が変わる (アスキー新書 214)

僕がアップルで学んだこと 環境を整えれば人が変わる、組織が変わる (アスキー新書 214)

  • 作者: 松井博
  • 出版社: アスキー・メディアワークス
  • 発売日: 2012/4/10

著者がアップルに入社した1992年、アップルは不良が跋扈して荒れている底辺高校のようなひどい状態であったそうだ。そのどん底時代からスティーブ・ジョブズが復帰して以降の黄金時代までを見続けた著者による改革指南書。職場のレイアウトから社内政治まで、幅広く言及されている。はたして内側から見たアップルの真の姿とは?

さよならヴァニティー

さよならヴァニティー

  • 作者: 柘植 伊佐夫
  • 出版社: 講談社
  • 発売日: 2012/4/6

商品のみならず人物だって、見せ方一つで伝わる力は大きく変わっていく。著者の仕事は「人物デザイン」という変わった職業。映画「おくりびと」、NHK大河ドラマ「龍馬伝」「平清盛」などでキャラクターデザイン及び、「衣装」「ヘアメイク」「小道具」などの各部門を統合する役目を務めた経歴の持ち主だ。そんな著者による、時代を見据えた人物デザイン論。

 
ツーリズムとポストモダン社会―後期近代における観光の両義性―

ツーリズムとポストモダン社会―後期近代における観光の両義性―

  • 作者: 須藤 廣
  • 出版社: 明石書店
  • 発売日: 2012/4/4

観光客にとっても観光地住民にとっても、観光は「社会的アイデンティティ」の生産装置なのであるという。このような「観光」による自己承認が、1980年代の以前と以降では大きく変わっているのではないかというのが、著者の仮説。映画『ザ・ビーチ』や日本国内の観光名所などを題材にあげながら、「観光のまなざし」の正体を探った一冊。

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僕がアップルで学んだこと 環境を整えれば人が変わる、組織が変わる (アスキー新書 214)

僕がアップルで学んだこと 環境を整えれば人が変わる、組織が変わる (アスキー新書 214)

  • 作者: 松井博
  • 出版社: アスキー・メディアワークス
  • 発売日: 2012/4/10

スティーブ・ジョブズやアップルの関連本も百花繚乱の様相を呈しているが、本書の著者はアップルの中の人。著者が入社した1992年、アップルは不良が跋扈して荒れている底辺高校のような、ひどい状態であったのだという。

そのどん底時代からスティーブ・ジョブズが復帰して以降の黄金時代まで。16年間に渡って、著者が内側から見続けたアップルのBefore/Afterこそ、本書の最大の見所である。

スティーブ・ジョブズが暫定CEOに就任してからのしばらくは、恐怖政治のような状態が続いたのだという。利益よりも自己満足が優先されていた数々のプロジェクトは一掃。敷地内での喫煙は禁止、ペットの連れ込みが禁止、勤続年数に応じて与えられるサバティカル制度の廃止、等々。

その中でも一番の改革は、働く環境を変えたことにあるのだと著者は力説する。それなら、具体的にはどのような方向を目指したのか?それはシンプル志向というものだ。アップルの製品そのままに、組織そのものもシンプルにしたことが、さまざまな効果を産みだしたのだ。

また、社内政治や上司との付き合い方という泥臭い部分にも踏み込んでいるのが、特徴的だ。社内政治の熾烈さはシリコンバレーの中でも屈指といわれ、ポジションが上がれば上がるほど激しさを増していくのだという。まさかの状況に出くわさないためにも、社内の情報によく通じ、商品開発用にウリを作り出し、情報発信をしていかなければ生き残っていけないそうだ。

組織にせよ人にせよ、それらが活動する基になるのは「環境」である。変化の激しい時代ではあるが、「環境」をどのように味方につけて、生き抜いていくか、そんなヒントが満載の一冊だ。

※本書は、(株)アスキー・メディアワークスの吉田様より献本いただきました。吉田様、どうもありがとうございました。

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ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

ピダハン―「言語本能」を超える文化と世界観

  • 作者: ダニエル・L・エヴェレット、屋代 通子
  • 出版社: みすず書房
  • 発売日: 2012/3/23

早いもので、もう4月。新しい年度を迎えて、新社会人、新入生など、新しい生活へと身を転じることになる方も多いのではないだろうか。

新しい環境に入ると、えてして慣れるまでに時間を要するものであるが、この要因の一つに文脈の把握に時間が掛かるということが挙げられる。話している言葉そのものは理解できても、本当の意味で理解できるようになるためには、その組織体の文化を含めた背景がきちんと理解されている必要があるのだ。ほんの些細なことでさえも、異文化間で解釈が大きく異なるということは起こりうるものである。

そんな中、本書の著者の異文化体験のユニークさは、群を抜いている。ブラジルの先住民、ピダハンの人々と30年以上に渡ってともに暮らし、彼らがどのように世界を見て、どのように理解しているのかを観察し続けたのだ。当初の目的はキリスト教の伝道師として、布教活動を行うこと。しかし、そこでの生活は著者の運命を大きく変えるようなものであった。

南アメリカ北部、アマゾン川を河口から南南西へ向かうとアマゾン川はやがてマデイラ川と名前を変え、南へと支流が分かれている。その支流のさらに支流となっているのがピダハンの母なる川、マイシだ。支流とはいえ川幅が200メートルにもなる大河であり、その川辺の約80kmくらいのエリアに棲む400〜500人の部族、それがピダハンだ。

ピダハンは羽毛飾りをつけないし、手の込んだ儀式もしない。ボディ・ペインティングもせず、アマゾンのほかの部族のようにはっきりと目に見える形で文化を誇示しない。いわゆるヤノマミのようなフォトジェニックさに欠けるのだ。しかし、その最大の特徴は、彼らが使用する言語そのものにある。

ピダハン語は、現存するどの言語とも類縁関係がないという。音素は現存する言語のなかで最も少ない11種類しかなく、その他にも多くの言語に見られる要素が欠落しているのだ。 まず数がない。そして物を数えたり、計算をしたりということもしない。また、「すべての」とか「それぞれの」「あらゆる」などの数量詞も存在しない。それだけでなく、左右の概念もない、色を表す単語もない、神もいないという、ないない尽くしなのである。

しかし本当に驚くポイントが、さらに2点ある。一つ目は、きわめて音素が少ないピダハン語だが、声調やアクセント、音節の重みなどを駆使し、口笛や鼻歌、叫び声や歌のようにさえ聞こえる言葉を発生するということだ。

これを著者は、「ディスコースのチャンネル(伝達の回路)」と呼んでいる。ピダハン語には5つのチャンネルがあって、それぞれが特別な文化的役割をもっているのだ。5つとは、口笛語り、ハミング語り、音楽語り、叫び語り、それに通常の語り、つまり子音と母音を用いた語りだ。

口笛語りは狩りの時に使われ、ハミング語りはプライベートな語りの時、音楽語りは新しい情報を伝達する時など、文化的な用途に応じて語りが選択されるのだ。このような手段が存在するということは、文化が言語に多大な影響を与えているということの確固たる証拠とも言える。そして、この文化と音声構造の関係というのは、長らく言語学によって完全に無視されてきた領域であったのだという。

もう1つが、多くの言語学者が普遍的な文法の1つと考えていた「再帰」という形式を持たないということである。例えば、「魚を釣った男が家にいる」というような文を例に見てみよう。

「魚を釣った人物」という関係節が「これこれの男」という名詞句のなかにあり、それがさらに「男が家にいる」という文のなかに登場している。このような文や句が、別の文や句のなかに現れる入れ子構造は「再帰」と呼ばれ、言語に無限の創造性を与える基本的な道具であると考えられてきた。これがピダハン語には見られないのだ。よってピダハンの文章は、単純な構造の文章のみで構成される。

このことが真に重要なのは、大部分の人の思考のプロセスで当たり前のように行われている「再帰」が、ノーム・チョムスキーが提唱した「普遍文法」、あるいはスティーブン・ピンカーの提唱した「言語本能」であるという定説に真っ向から反する事実であったということだ。文法というものが、遺伝子の一部という先天的なもの依拠しているのではなく、知性の働きの一部という後天的なものに依拠している可能性すら示唆しているのだ。

一体なぜ、ピダハンの言語はかくも特徴的なものとなったのか?著者の更なるフィールドワークにより、このピダハンの言語を規定している決定的な要因が「直接体験」というものにあるということが、導き出されてきた。ピダハンの言語と文化は、直接的でないことを話してはならないという文化の制約を受けているのだ。

この原則に依れば、ピダハンが実際に見ていない出来事に関する定型の言葉や行為を退け、何らかの価値を一定の記号に置き換えるのを嫌うということの説明がつく。数や色がないことも、その一例である。これらは直接体験とは別次元の、普遍化のための技能であるからだ。 その代わりに、実際に経験した人物、あるいは直接聞いた人物が、その価値や情報をできるだけ生の形で言葉を通して伝えようとするのが、ピダハン特有のコミュニケーションということなのである。

このような思考様式を持っているからこそ、ピダハン社会は外の世界の知識や習慣をやすやすと取り入れないようになっているとも言える。実際に、宣教師として訪れたはずの著者は、キリスト教の布教を断念し、なんと最終的には無神論者へと鞍替えしてしまうのだ。

そして本書が問いかけているのは、我々がこのピダハンの特異な文化を、どのように受け止めるべきなのかということでもある。僕は、この「直接経験の法則」に基づく言語を、「言葉の断捨離」と位置付けたら、面白い捉え方が出来るのではないかと感じた。

ピダハンはその法則に基づき、自分たちの思考の範囲を「今、ここ、自分」に絞っている。このことによる機会損失はもちろん否定できないのだが、同時に不安や恐れ、絶望といった西洋社会を席巻している厄災をも、ほとんど取り除いてしまっているのだ。

事実、ピダハンには、抑うつや慢性疲労、極度の不安、パニック発作など、産業界の進んだ社会では日常的な精神疾患の形跡が見られないのだという。また、著者自身、ピダハンが心配だという言葉を発することですら、聞いたことがないそうだ。

これに倣えば、我々が普段口にする発言の内容を「今、ここ、自分」に絞り込むことによって、さまざまな弊害が消え、毎日の気分が軽くなる可能性だって否定はできないと思うのだ。

今日、世界には6500ほどの言語があり、その半数が今後50年から100年の間に消滅する恐れがあるという。すでに400人を割っているとされるピダハン語も、その一つだ。そして、これらの消滅言語が一体なぜ残されなければならないのか?本書は、そんな疑問に対するシンプルな解答も提示している。そこには、消えてしまっては二度と取り戻せない、生きるための智慧があるからなのだ。
(※HONZ 4/1用エントリー
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ヤノマミ

ヤノマミ

  • 作者: 国分 拓
  • 出版社: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2010/3/20

ヤノマミは、ブラジルとベネズエラに跨る広大な森に生きる先住民。本書は、NHKのドキュメンタリー番組を作るために、4度に渡ってヤノマミの集落で暮らした日々をまとめたもの。幻覚剤を使用したシャーマンに「敵か、味方か?」と凄まれ、あわや殺される寸前にまであう日々。そして、あまりにも衝撃的な、出産時におけるヤノマミの定め。そこにあるのは、倫理や善悪を超えた、剥き出しの生と死だけなのだ。

言語を生みだす本能〈上〉 (NHKブックス)

言語を生みだす本能〈上〉 (NHKブックス)

  • 作者: スティーブン ピンカー、Steven Pinker、椋田 直子
  • 出版社: 日本放送出版協会 (1995/06)
  • 発売日: 1995/06

言語の獲得がどのようになされるかをテーマに書かれた古典的名著。著者のスティーブン・ピンカーは、ノーム・チョムスキーの言語理論に沿った形で言語獲得の問題に真っ向から取り組んできた有名学者。彼の立場は「文法習得能力は遺伝子にあり」というもの。あるレベルにおいては、これもまた真実だろう。併せて読むと、ピダハンの言語が、いかに定説を逸脱したものであるかがよく分かると思う。

宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰

宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰

  • 作者: ニコラス・ウェイド、依田 卓巳
  • 出版社: エヌティティ出版
  • 発売日: 2011/4/22

言語と同じくらい人類と密接な関係にある宗教は、はたして先天的なものなのか、後天的なものなのか。おそらく初期人類の宗教に近いものを今でも実践していると思われる、アボリジニ、アンダマン諸島民、クン・サン族。彼らの宗教上の特徴などの踏まえながら、道徳性の起源に迫る。

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「機動戦士ガンダム」の巨大基地をつくる!

「機動戦士ガンダム」の巨大基地をつくる!

  • 作者: 前田建設工業株式会社
  • 出版社: 幻冬舎
  • 発売日: 2012/3/21

アニメに出てくる架空の建造物を、プロの建設会社が真剣に作ろうとしたら一体どうなるのか?そんな、とてつもなく壮大なスケールの企画が実現した。

担当したのは、大手ゼネコン・前田建設のファンタジー営業部。過去にも『マジンガーZ』の地下格納庫や『銀河鉄道999」の高架橋など、各種の建造物を積算をしたことでもおなじみのプロジェクト。本書は、Webで連載していたその模様を、書籍化したものだ。

今回挑戦するのは、国民的アニメ『機動戦士ガンダム』の地球連邦軍基地ジャブロー。時は、人類が宇宙に移民を開始してから半世紀が過ぎた宇宙世紀の時代。場所は、南米アマゾン川、ギアナ高地周辺の地下深く。地球連邦軍の総本部としてひっそり佇む地底の巨大秘密基地、それがジャブローである。

遊び心を持ちながらも真剣に検討している様子が、ディテールへのこだわりから伝わってくる。例えば、ジャブローの建造物が、はたして最初から軍事基地だったのかという視点。これについては、貴重な生態系のあるアマゾンという立地を鑑み、元々は生物多様性の研究施設だったものを用途変更したのではないかと仮説を立てる。リアルな設定が魅力のガンダムとはいえ、現実と架空の間には埋めなければならない溝が、実に多いのだ。

また、「ジャブローに関連して何を検討して欲しいか?」というアンケートにおいて、圧倒的多数で要望が寄せられたのが、量産型モビルスーツ「ジム」の生産工場。これに応えるために、重量や大きさが近い、大型トラックやホイールローダーの生産工場を見学しながら悪戦苦闘する。

はたして気になるジャブローのお値段は?そして、工期はどれくらいかかるのか?ちなみに本のオビには「本当に請け負います!!」の文字が。建設業の面白さも余すところなく伝えており、ガンダムファンならずとも楽しめる一冊。
(※HONZ 3/23用エントリー


東京右半分

東京右半分

  • 作者: 都築 響一
  • 出版社: 筑摩書房
  • 発売日: 2012/3/24

最近、紹介する本が3,000円を超えていると「ブルジョア本!」の掛け声がかかり、俄然、みんなのチェックが厳しくなる。要は「3,000円超える本なんだから、さぞかし良い本なんでしょうねぇ。」というわけだ。

そんな中、本書はブルジョア基準比200%を達成する6,000円(税抜き)のお値段だ。ダブル・ブルジョア本、略してダ・ブルジョア。厚さ:32ミリ、重さ:900グラム、ページ数:575頁。しかし、その内容の濃さが、スペックを軽く上回るのだから、紹介しない訳にもいかない。

本書で紹介されている東京右半分とは、地図で見たときに東京23区の東側に位置する地域だ。すなわち北区、荒川区、文京区、新宿区、足立区、葛飾区、江戸川区、江東区、墨田区、台東区、品川区。そして今、東京のクリエイティブパワーはこの右半分に移動しつつあるのだという。

表紙の美少女からして侮れない。新手のアキバ系美少女かと思いきや、なんとラブドール。しかも右半分と言いながら、両方の胸の半分を見せているところがニクい。

そのラブドールの製造元が、台東区・上野にあるそうだ。2001年にシリコン製のラブドール登場というパラダイムシフトが起きて以来、その顔の作り方なども大きく変貌を遂げたという。美人をそっくりに真似しても、死体のようになってしまい魅力的にはならず、人間の造形美を良いほうにデフォルメするのがコツだと、造型師さんは熱く語る。

バーや飲み屋の話題も盛りだくさん。足立区竹ノ塚のフィリピン、錦糸町のタイのようにアジア色が濃厚な地域もあれば、褌スナック、梵字バー、男の娘メイドバーなんていうのもある。その酒池肉林のディープさは、まさに禁断の果実。

もちろん、本関係の施設だって見逃せない。新宿区の楊場町には、SM・フェティシズム専門の雑誌・資料を蒐集している資料館があるほか、台東区鳥越には女装図書館などというものまであるというから驚く。

85の物語と108のキャラクターで綴る、都心でも郊外でもない、地方としての東京。東京スカイツリーの開業で沸き立つ東京右半分だが、本当に面白いのは、ガイドブックなどには載っていない、こんな場所なのだと思う。

本の値段はブルジョアジーだが、紹介されているお店での値段は、その面白さに比べれば決してブルジョアジーではないはず。損して得を取るべし。
(※HONZ 3/27用エントリー

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「当事者」の時代 (光文社新書)

「当事者」の時代 (光文社新書)

  • 作者: 佐々木 俊尚
  • 出版社: 光文社
  • 発売日: 2012/3/16

約1年ぶりとなる佐々木 俊尚さんの新刊。事前に御本人から本書の執筆についてお話を聞かせていただく機会などもあり、非常に楽しみにしていた。新書で468ページはさすがに肩が凝ったのだが、歯を食いしばって一気読み。ただし歯を食いしばったのは、頁数の問題だけではなかったのだが・・・

これまでの佐々木さんの著書というのは、「今」もしくは「時代の先端」を的確に切り取りながら、進むべき方向を示唆するというものが多かったと思う。つまり「これからの時代がどう変わるかを知りたい!」というニーズに応えるためのものであった。そこには多分にマーケティング的な意味合いも含まれていたのだろう。

しかし本書には、その類の要素やソーシャルメディア周りの情報が少ししか登場しない。どちらかというと時代の潮流とは別に、自分自身の内部にある本当に書きたいものを書きましたという印象なのだ。

本書を読まれるにあたっては、佐々木さんの過去のTweetが纏められた以下のtogetterを副音声 代わりに読まれると、非常に面白いと思う。話の文脈がよくわかる上に、佐々木さん自身の苛立ちもダイレクトに伝わってくる。当事者→トゥジッシャー→トゥギャッター。うん、語呂もいい!

「弱者を勝手に代弁する人たち」について(2011/5/3)
佐々木俊尚さん、心ないフォロワーに怒る(2011/5/24)

「当事者性 VS ないものねだり論者」という対立軸(2011/8/29)

さて本題だが、本書の大きな問題意識は昨今の言論に蔓延る「マイノリティ憑依」というものにある。上記のリンク内にも登場するのだが、マイノリティ憑依とは、例えば被災地以外のエリアに住む人が「被災者の前でそれが言えますか」などと被災者の立場を勝手に代弁して、反論してくることを指している。

つまり当事者としてのインサイダーから一歩アウトサイダーに出ることによって、空を飛ぶような俯瞰的な視点ですべてを見下ろすことができるというものだ。本来どこのエリアにいようとも、そのエリアとしての当事者性があるはず。しかしエリアのアウトサイドに立ち位置を置くことによって、インサイドにいることによって引き受けなければならなかった苦悩も取り払われ、神の視点を持つことが出来てしまうのだ。

日本人の本音と建前という二層構造は、誰もが知るところである。限られた範囲の中でしか語られることのない本音、パブリックではあるが誰にも非難されることのないように細心の注意を払う建前。この建前を構築する際の絶対的な安全弁として、マイノリティ憑依という技法が育まれてきたというのだ。

そして、このマイノリティ憑依というものの源泉を辿って、1960年代のメディアの論調まで遡り、戦後の思想史の在り方そのものを一刀両断してみせる。 1960年代半ばに勃興してきたベ平連のリーダー・小田 実による「加害者=被害者」論や、続く津村 喬の「内なる差別」論。そして本多 勝一が67年に『戦場の村』で書いた当事者主義。だが、その難しい領域に入り込んでいった結果、本多 勝一のような卓越したジャーナリストでも勢いをつけすぎてもんどりうって、マイノリティ憑依という壁の向こう側に転げ落ちてしまったのだという。

これら全体を構成する個々のエピソード自体も、本当に面白い。まるで、キュレーション仕立てで仮説を検証してみましたと言わんばかりだ。日頃目にする佐々木さんのTweetが、いかに氷山の一角であるか。水面下には無数のコンテンツがトポロジー構造で眠っていたのだ。これが視座というヤツか。

Twitterという言論の刹那をきっかけに、過去の言論のアーカイブへと深く入り込み、時空を超えて構造を描き出す。願わくば、こんな読書がしたいものだ。

また、本書にはソーシャルメディア周りの話はほとんど出てこないが、着眼の一端をソーシャルメディアが担っていたという点には注目したい。フォロワー数が15万を超える佐々木さんが、無償の評判経済の領域において、時には窮屈な思いもしながら着想を得て、出版という貨幣経済の領域では本当に書きたいものを書く。ここに評判経済における格差の一端が垣間見えているとも言えるだろう。

本書の内容は、誰もが容易に情報発信ができる総表現社会だからこそ、多くの人にとって示唆に富むものだと思う。ただ僕自身の場合、マイノリティ憑依という状況に陥る危険性というのは、あまり実感が湧かない。昨日は〇〇、今日は××とマイノリティのテーマを取り扱った本ばかり数多く読んでいるので、憑依するほど憶えていられないというのが本当のところだ。そういった意味で、マイノリティに関する本をたくさん読むというのは、マイノリティ憑依を防ぐための特効薬になるのかもしれない。これが必ずしも当事者意識を持つということとイコールではないとは思うのだが。

僕はむしろ、逆方向への憑依にも落とし穴があるのではないかと感じている。それは権威への憑依や空気への同調というものだ。例えば、本のレビューなどを書く際にあたっては、著者への憑依というものが考えられる。レコメンドするうえでの自分の立ち位置を見失うと、それが著者の意見なのか、自分の意見なのか、曖昧になるということは起こりうるのだ。特に本書のように、直球ど真ん中でボールを放り込まれた時に、それは時折顔を出す。

これを広く捉えると、情報の送り手としてのマイノリティ憑依、情報の受け手としての権威への憑依、この両者のねじれが「当事者」不在の加速装置となっていたとも考えられる。いずれにしても重要なのは、自分自身の立ち位置を明確にしておかなければならないということだろう。

本書は全体の構造がフィクションのようでもあり、いつくもの伏線が一本の線に収斂されていく様は壮快だ。著者の肩書きが、「ITジャーナリスト」から「ジャーナリスト・作家」へと変わったのも頷ける。

ただ予めお断りしておくと、結論部分の後味は必ずしも良いものではない。何か自分が会社に入ったころの古傷を触られたようでもあり、自分の弱さをまざまざと見せつけられたような気分にもなる。これも「当事者」というテーマの難しさを表す象徴的な心象風景なのだと思う。いつもは「こうすべき」と明快に回答を示す佐々木さんが、「私はこうします」という言い方に留めているところからもその一端が伺える。

様々な文献や著者自身の経験に裏打ちされている部分も多く、時代の風雪に十分耐えうる息の長い一冊になると思う。しかし40年前の「当事者」と今の「当事者」という言葉の受け止め方が違うように、40年後にもきっと「当事者」という言葉の意味は変わっているのだろう。そして、それがどのように変わるのかは、私たち今の「当事者」が鍵を握っている、そんな覚悟を迫る一冊だ。
(※HONZ 3/21用エントリー
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文明はなぜ崩壊するのか

文明はなぜ崩壊するのか

  • 作者: レベッカ コスタ、Rebecca Costa、藤井 留美
  • 出版社: 原書房
  • 発売日: 2012/3/9

文明を停滞させ、滅亡へと向かわせる最大の要因として「スーパーミーム」という概念が提唱されている。「反対という名の思考停止」「個人への責任転嫁」「関係のこじつけ」「サイロ思考」「行きすぎた経済偏重」などが、その一例として挙げられているが、マイノリティ憑依などもその一種と言えるだろう。対抗策としては、「意識すること」「大胆なパダライムシフトを選択すること」「成長する機会を与えないこと」の3つであるという。

伝説のCM作家 杉山登志---30秒に燃えつきた生涯

伝説のCM作家 杉山登志---30秒に燃えつきた生涯

  • 作者: 川村 蘭太
  • 出版社: 河出書房新社
  • 発売日: 2012/1/21

杉山登志は、モービル石油「のんびり行こうよ、俺たちは」など数々のCMを手掛けた伝説のCM作家。そんな杉山がある日突然、謎の自殺を遂げる。残された遺書には、以下の文言が。
リッチでないのにリッチな世界などわかりません
ハッピーでないのにハッピーな世界などえがけません
「夢」がないのに「夢」をうることなどは・・・とても
嘘をついてもばれるものです。

これもあるいは、当事者意識が強かったがゆえなのか。複数の関係者の証言に基づいた回顧録。

 
エピジェネティクス 操られる遺伝子

エピジェネティクス 操られる遺伝子

  • 作者: リチャード・フランシス、野中 香方子
  • 出版社: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2011/12/9

かつて第二次世界大戦の終結を目前としたオランダで、大飢饉が起きた。この飢饉の悲劇が特徴的だったのは、飢饉によるマイナスの影響が、子孫の代にまで及んだということだ。1945年の飢饉の時に母親の胎内で経験した子供達が18歳になり軍隊に入隊した1960年代の半ば以降、肥満になる割合が高いこと、統合失調症になるリスクが高いことなどが分かってきたのだ。さらにこれは孫の代にまで影響を及ぼすのだという。これは社会的な環境が遺伝子に影響を与えたということを意味する。『「当事者」の時代』で描かれていることも、生物学とメディア論という違いこそあるが、社会的に影響を受けた遺伝という意味で、似たような構造を持つ問題なのではないかと思う。

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内藤 順

内藤 順

広告会社勤務。ソーシャルメディア、IT、サイエンスなどの書評が中心。Facebookページはこちら


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news094.gif ストレス社会との付き合い方
政府がメンタルヘルス検査の義務化を検討しています。しかしうつになった後だけではなく、なる前の予防も大切なのではないでしょうか。(5/24)

news094.gif 「思いやり経営」のススメ
産学・NPO連携の民間団体が先頃、「思いやり経営」という観点で評価した指標や企業ランキングを発表した。企業のマネジメント力を知る手立てとして注目されそうだ。(5/24)

news094.gif テレワークが労働者のマインドを変える
テレワークが普及すると、労働者の評価は従来の「時間×生産性」から「成果」へと変化する。時間や場所を自分の裁量でコントロールできる変わりに、成果を最大化するために労働をマネジメントする能力とマインドが労働者には必要になる。(5/23)

news094.gif 求む、クックパッド男子
高身長も高学歴も高収入もいらない。私が男性に求めるのは「料理の腕」だけです。(5/18)

news094.gif 37歳の常識――我々は一生学び続ける
学び続けなければ衰退するのみだ。(5/18)

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