「誰の許可を得てコリアン・ガールにお茶なんか出したの」
昨日の記事でご紹介しました、韓国人ヴァイオリニストのチョン・キョンファ。
アメリカ国内の国際コンクールで優勝したあと国際的な活動を始めるのですが、前途多難でした。
残念なことなのですが、この日本においても韓国人ということで辛い思いをしたという話が、お母さんであるイ・ウォンスクさんの著書「世界がお前たちの舞台だ」に書かれています。
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コリアンのアーティストにお金を払って聴きにくるような、そんな物好きなお客は数が知れてますよ」というつれないものばかり。ある有名な主催者の「誰の許可を得てコリアン・ガールにお茶なんか出したの」という大人気ない言葉まで私の耳に入ってきた。その後10年ばかりに渡って、日本の代表的なオーケストラの幹部が「神聖なドイツ音楽に異種の匂いを持ち込む」と発言したことが新聞種になったとか、日本の楽界に隠然たる勢力をもつ音楽評論家が「聴衆にはもっと良い音楽を提供すべきだ」と言った娘の演奏を暗に拒否したという伝聞が外国にいる私のところにも伝わってきた。日本の音楽関係者の中に「クラシック音楽は西洋人が作ったものだから、西洋人がやってこそ価値がある」という固定観念にとらわれている人がいても、私はすぐに責める気にはなれない。こういう考え方は少なからず他の国にもあるのだから。私はこれに対抗するために、西洋人ではない人間が西洋人を超える演奏でそれに応える以外、道は開けてこないと思っている。
・・・・・(以上引用)・・・・・
この本の初版が2004年ですから、そんな大昔の話ではありません。
「”韓国人のヴァイオリニストの演奏するクラシック音楽なんて”という東洋軽蔑の観念から脱けだせない人が依然いる」と、本には書かれています。
今でこそ「韓流」と言われ、韓国ブームに沸く日本ですが、つい最近までそんな時代があったのですね。
イ・ウォンスクさんのおっしゃるとおり、今は世界的に韓国人や中国人の活躍が目立ち、クラシック界を引っ張っていく勢い。パイオニアたちの努力がやっと実を結び始めているのです。
私は、ラジオから流れてきたキョンファの演奏を聴いて、最初はだれが弾いているかさえ分からず、「これは本物の天才ではないだろうか」と直観しました。
本物であれば、どんな人にでも通じるのではないだろうか、いや、通じるはずだ、と私は思います。それは「好き」「嫌い」ではなく、「良い」かそうでないか、という次元で。
何かに影響され、本物が見えなくなってしまう。本物が分からなくなってしまうのでしょうか。
そんなとき、本物とは何かなのか?と深く考えてしまいます。
本物とは?
今後も常に自分に問うていきたいと思っています。