感情の表出、コントロールする技量
北原白秋の詩、山田耕筰作曲の最高傑作「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」。
「ゴン・・シャン・・ゴン・・シャン・・」で始まるこの曲。
「GONSHAN」とは九州の言葉で、良いところのお嬢さんのこと。
そして、曼珠沙華とは彼岸花。
真っ赤な血の色のように咲く7本の彼岸花を見て、「ちょうどあの子の年の数」と歌います。
日本歌曲の中でもこれだけ重く、深い内容の作品はないと思います。
あのシューベルトの傑作「冬の旅」にも匹敵する深さ。奈落の底を覗き込むような恐ろしさ。私は、特に「冬の旅」最終曲「辻音楽師」を思い浮かべます。ライアーという楽器を模倣した空虚なピアノ伴奏に乗って、自分の死を予感する旅人の心を歌う。何度聴いても鳥肌が立ちます。
2011年6月4日、合唱団コール・リバティストで東混のテノール、志村先生をお招きしての稽古を行いました。
林光さん編曲の「日本抒情歌集」の中から、この「曼珠沙華」を歌いました。
この「日本抒情歌集」は、林光さんの卓越した筆の冴えが、昔からある素晴らしい日本の歌を芸術的なまでに高めて現代に甦らせている名作品集。
その中でも、この「曼珠沙華」だけは、ピアノ伴奏が山田耕筰の作ったほとんどそのままなのです。
山田耕筰のオリジナルがあまりに完璧すぎて、ほとんど手を加えられなかったと林さんはおっしゃっています。
「この曲は、どうしても入れ込みすぎてしまう。そうすると、ただでさえ重い内容が、さらに重くなってしまう。テンポは遅くしようと思えばいくらでも遅くできるけれども、あまりゆっくりしすぎないこと。」
「こういう曲は、感情を込めすぎないこともポイントです。いつもニュートラルに保つことを心がけています。演奏する方が気をつけなくてはいけないことは、移入しすぎるとお客さんは引いてしまう。楽譜通り歌って、お客さんをこっちに引きこまなくてはいけない。」
「そのことは分かって演奏したいですね。それでも、やっぱり感情が入ってしまうことはあるんだけれども・・・。両方のバランスがとれていることが大事ですね。」
と志村先生はおっしゃいます。
ただ綺麗なだけではだめだと思います。感情の爆発があるからこそ人の心に訴える演奏になる。しかし、いくらそうなったとしても、それをコントロールするだけの技量は確かにいるのです。技量の足りない人がそれをやってしまうと聴ける音楽にはなりません。
感情の昂ぶりを抑えきれないとでもいうような表現、身震いするような瞬間があるこらこそ、演奏会は面白いのです。
この日は他に、中田喜直作曲の組曲「都会」より「星」と、林光編曲「早春賦」を練習しました。
感情表現は、音楽にとって最も大事なこと。
「表現したい」内容があり、技術とはそのためにあるもの。
内容が先に来るような練習、そして演奏をしていきたいですね。