日本の歌「早春賦」とモーツァルト
作曲家、林光さんのマジックにかかると、どんなに使い古されてみんなの耳にタコができてしまったような曲でも一つの芸術作品として蘇ります。
林光さんの、混声合唱のための日本叙情歌集は、リアルタイムで歌った年代も、あまり馴染みがないけれど聴いたことあるという年代にも、親しみやすく感動する美しい作品になっています。
「早春賦」という曲もそうです。
「早春賦」は「春~は名~のみ~の 風~の寒さや~」で始まる有名曲です。
日本人にはよく知られるこの曲。
実は、モーツァルト作曲の童謡、「春への憧れ」ととてもよく似ています。
そして、モーツァルトは自作の童謡を、彼の最後のピアノ協奏曲になってしまった第27番k.595のフィナーレに転用しました。
このフィナーレを、物理学者アインシュタインの従兄弟にあたる、音楽学者のアルフレッド・アインシュタインが「この世を去った幼な子たちが天国で遊びたわむれているようだ。モーツァルトは天国の門、つまり永遠への戸口に立っている」と表現しています。
一見楽しいこの曲の裏側には「死の予感」が漂っているのです。
そのため、ただ楽しく明るく演奏すればいい、というものではないところに難しさが隠されています。
孤独や寂しさを心にいっぱい持ちながら、明るい微笑みを浮かべる。
そんなモーツァルトが立っています。
天才ピアニストでモーツァルト弾きのエリック・ハイドシェック(シャンパンメーカーの御曹司でもある)は、「切なくて胸が痛くなる」と語ったそうです。
日本の歌、「早春賦」を林光さんがモーツァルト風に編曲しているのも、ピアノ協奏曲27番をイメージしているからではないかと想像します。モーツァルトに匹敵するほどの筆の冴え。合唱で演奏するのも楽しみです。
それでは、今日は、スペインのピアニスト、アリシア・デ・ラローチャの演奏で、モーツァルト作曲、ピアノ協奏曲第27番変ロ長調k.595の第3楽章(フィナーレ)を聴いてみることにしましょうか。
モーツァルト作曲ピアノ協奏曲第27番変ロ長調k.595
寂寥感を前面に押し出した演奏ではないですが、引き締まった構築感はいささかの揺るぎもありません。気品ある音色。間合いの美しさは彼女の独壇場。神レベルだと思います。