夏休み 廃墟となってしまった軍艦島を目の当たりにして、未来のスペースコロニーを夢に見る
長崎旅行の今回の目玉のもう1つが、軍艦島上陸ツアーだった。
長崎軍艦島は、長崎港の南西およそ17.5kmのところに浮かんでいる、端島(はしま)という島のことだ。その形が軍艦「土佐」に似ているということで、通称軍艦島と呼ばれている。
最初は南北約320m、東西120mの小さな瀬で、それを数回に亘り周囲を埋め立てることで、南北480m、東西160mに拡大した人工島だ。なんのための島かと言えば、もちろん炭鉱の島だ。
この島には、昭和30年代には5,000名以上が暮らし、人口密度は1平方メートル当たり、8万3,600人となり、当時の東京のじつに9倍にも達していたとのことだ。この島を有名にしたのは、大正時代から後に5,000名以上が暮らすことになる街を、コンパクトに、最新の土木工学の技術を用いて造り上げていたことだ。日本初の鉄筋コンクリート造りの高層アパートが、なんと大正4年にここで造られたのだ(完成は大正5年)。この建物は後に増築を行い、7階建ての高さになっている。さらに、大正7年には、9階建ての社宅アパートもできあがっている。
右の写真が、最初に造られた30号棟という7階建ての鉄筋コンクリート製アパート。吹き抜けの中庭があったらしい。当時の軍艦島での生活水準は高く、まだ電気店や裕福な家庭にしかテレビや冷蔵庫がなかったころから、すべてそれらが揃っていたとか。炭鉱の悲惨な生活のイメージとは異なる。もちろん、採掘は過酷な労働であったことは間違いないが、かなり近代化した技術を早々に取り入れ、さらに労働条件などもいいものへと改められていたようだ。その理由は、採れた石炭が良質で、八幡製鉄所などで高く買い取ってもらうことができ、当時は経営して会社自体が相当儲かっていたためだ。
もちろん住宅だけでなく、生活に必要なお店や学校、娯楽のためのパチンコ店から映画館、居酒屋、神社にお寺、さらには遊郭もあったとのこと。映画は東京と同じタイミングで封切りされたとかで、長崎市内からわざわざ軍艦島に船で渡って映画を見に来ていたらしい。野菜やくだものは船で運ばれていたが、高いものから売れるくらい景気は良かったとか。屋上では野菜を作っていたりもしたとのことで、日本で最初の屋上緑化だったのではという話しもある。
下の写真は学校の跡。下の階が小学校で、上の階が中学校だった。雨が降っても濡れずに社宅から学校に通うことができたらしい。
もちろんいいことばかりではない。ここは台風の通り道。何度も何度も台風に遭い、その度に島は破壊され、それを補修して感じだったようだ。40m以上ある建物を越えて高波が島の反対側に達するとかで、台風の際には想像を絶する世界だったのだろう。
この軍艦島の炭鉱が閉山したのは、1974年、昭和49年のこと。まだ鉱山側も経営的には余裕がある時期だったとかで、円満な閉山だったそうだ。閉山から30年以上、誰も住んでいない島となった。そして、いまこのような廃墟になっている。これらは意図的に重機などで壊したわけではなく、自然と倒壊しているとのこと。潮で内部の鉄筋などが腐食し膨張して、コンクリートが破壊されるのだ。今日のこの姿が、半年後、一年後に訪れたなら崩壊が進み変化しているはずだと、ガイドの方が説明していた。
軍艦島を訪れるには、いまでは上陸ツアーが行われている。Webサイトから予約して、人数限定で上陸できる。天候が悪く、海が荒れてしまうと上陸ができなくなる。年間でも100日程度しか上陸できないとのことで、一度の訪問で無事に上陸できたのはかなりラッキーだったようだ。ツアー当日に長崎の港を船が出ても、軍艦島に着いてから海が荒れていて上陸できずに、周遊の遊覧ツアーに変更になることもあるらしい。
以前にテレビの番組でここで紹介された後には、上陸して落書きをするような人が現れたとか。当時はとくに規制もなにもなかったのだろう。この煉瓦の建物は、炭鉱のメインの事務所にあたる建物の跡だが、煉瓦の壁に白く残っているのがその当時の落書きの跡だ。落書きも建物の風化とともに薄れてはきているようだが。
軍艦島に上陸して、あるいは船から眺めていて、今は崩壊して廃墟となってしまったのだけれど、なんだか当時の活気のある様子がなんとなく頭の中にイメージされた。気象条件の過酷ななかに、当時の最新技術を注ぎ込んで造られた快適な居住空間。なんだか、今後宇宙に人類が移住する際には、こんな街を造ることになるのかなぁと、ふと想像する。もちろん、当時とは技術がまるで異なるけれど、1つのコンパクトな世界を人間が造るとこうなるのかなぁと。
この貴重な文化遺産を世界遺産にして保存しようという活動がある。2009年1月15日に世界遺産暫定リストに掲載されたとのこと。いい形で残していければいいなと思う。そしてまた再び、ここを訪れてみたいなぁと思うのだった。