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台湾ETCの大胆な割り切りを見習いたい、あるいは日本での合理性を阻むもの

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普段は台湾に住んでいる友人を乗せて高速道路を走っている時に、台湾でのETCの話になった。

・台湾ではETCカードではなく、シール状のタグを車に貼っている
・タグを貼っていない車も、インターチェンジでは現金を払わず、スルーする
・スルーした車には後日請求書が送られ、コンビニなどで払う
・インターでお金のやり取りをしないので、インターはほぼ無人になった
・友人は外国人なので最初は事情が分からなかったが、請求書が来たので理解できた


「ETCに限らず、台湾って何かにつけて合理的なんですよ。例えば病院の診察待ちも番号で管理されていて、自分の番号が近づいてきたことは、スマホで確認できる。日本みたいに名前を書いて順番待ちすると、結局何時間も待つ事になりますよね」
なるほど。なるほど。


確かによく考えられている。何より僕がいいと思ったのは、シンプルで低コストな仕組みにするために、大胆に割り切っていることだ。
例えば、インターをほぼ無人にするという決断。これは「後で請求すればいいじゃん」という割り切りがあってこそ、できた決断だろう。

日本であれば、
・車のナンバーから、請求書の送り先を100%割り出せるのか?
・請求しても払わない人が多いだろう。どうするか?
・インターの従業員の方の雇用はどうなるのか?
・間違って侵入した車への対応は誰がやるのか
などなど、山のように懸念点があがり、「無人化なんて無理無理」となるだろう。そして日本では、なかなかこういう大胆な決断はできない。



ETCだけの話をしているのではない。別に日本のETCが特に問題があるとも思わないのだが、この手の話は日本の組織には本当に多い。
業務改革プロジェクトをやっていて、「こういう割り切りをすれば、スッキリします、手間も減らせます」という施策案をスムーズに実現できることは稀だ。

とにかく、何かを変えようとすると、みんなが本当に沢山の懸念点を出してくれる。
こういった懸念点のお陰で変革のプランは練られ、よりよいプランになるケースもある。だがちょっと度が過ぎていて、良いアイディア、大胆なアイディアが結局潰されてしまうことも多い。


「変革するとこんな問題が起こる」という指摘一つ一つは、大抵正しい。
ただ、「そういう事を考慮しすぎて、台湾みたいな合理的な仕組みを実現できない」という結果は、正しくない。
正しくない、と僕は思う。
企業であればコスト競争力を削いでいる。ETCの様な社会インフラであっても、コストが高いことをみんなが薄く広く負担している。

多くの人は、「業務をもっとシンプルにしたい。低コストにしたい」と思っている。でも、懸念点を割り切る度胸がなくて、見送るケースが多い。結果として、誰もいいとは思っていない、複雑怪奇な業務になっていく。頭がいい人々であればあるほど、いろんなケースを予め考え、対応し、制度や運用を複雑にしてしまう。

イノベーションとは、単なる発明のことではない。こういったスポイルを乗り越え、アイディアの輝きを残したまま、実装するまでがイノベーションだ。そして日本のようなカルチャーの社会、会社では、発明そのものよりも、その後の実装でスポイルされない様にする方が、ずっと難しかったりする。

 

 
割り切ること。腹をくくること。
大胆な意思決定をすると、後で問題が起きた時に責任を問われる。だから組織として大胆な決定を下すためには、「責任は俺が取る」という漢気(オトコギ)がある人が必要だ。

台湾で大胆な決定ができているとしたら、どうしてだろうか。
懸念点を山ほど出す心配症の人が少ないのか。日本人よりも腹をくくれているのか。問題が出たら、後で考えればいいや、と思っているのか。問題の責任を問うことよりも、何かを成し遂げる事を評価するカルチャーなのか。

何故日本ではできないのだろうか。
日本でも、組織の要所要所に、そういう意思決定をする人がもっと増えるといいと思う。そういう人が偉くなるといいと思う。
実際には、年々少なくなる絶滅危惧種の様な気がするけれども。

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