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記者から広報担当・PR会社というキャリアチェンジ

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記者から企業の広報担当、またはPR会社へというキャリアチェンジは意外と聞きます。

電波新聞から某IT系広報という方も複数存じ上げていますし、日刊工業新聞からPR会社へという方も。IDGから外資系PR会社という方もいますね。

ウリとしては「記者と広報側との両方の立場がわかる」ということだと思っていますが、ある大手広報代理店の幹部の方は「記者だった人は、PR会社からサービス提供を受ける側だった人。その切り替えがうまくいかず、記者に横柄な態度を取る人もいるのでうちではあまり積極的に採らない」と言っていましたが、(ギクッ)どうなのでしょうか。(このあたりは個人差も大きそうですし、いろいろな解釈もあるので、今回は言及しないでおきます)

さて、実は今回、お世話になった、ある編集・記者の方からそのようなキャリアチェンジをされたという連絡をいただきました。

私も、アスキー、ソフトバンクでの編集・記者経験を経て、IT企業のマーケ・広報担当となり、独立したのですが、その過程で体験したことや感じたことをまとめたら、その方に役立つのかなと思い、ちょっとまとめてみます。書き始めたら長くなりそうだったのでとりあえず3つほど絞ってみました。

周りから消えたPR会社

まず、周りからPR会社・企業のPR担当の人がすっと消えていきました。仕事上の役割だけでつながっていた人がいなくなっていったのです。彼らからすれば、「クライアントの記事を書いてくれる記者」に接点は必要でも「同業者」になったらもう接点はいらないということだったのでしょう。ちやほやしてくれたPR会社の人が「私個人」を見ておらず、私の所属している媒体を見ていたということもあったのだと思います。ある意味ショックな体験でもありましたが、それでも私の周りに残ってくれた人が本当にありがたかったと思いました。ここである意味人間関係の整理ができました。

このあたりの話は、こちらにも少し書いています。

利害関係のみで成り立っていた関係は一旦整理されたのですが、結局のところ、今もPR会社の方々とは仲良くさせていただいています。大手から個人までいろいろな方と情報交換をしたり、案件を紹介しあったり、飲みにいったりしています。自分が記者だったときとは、仲良くする理由や位置づけが大きく変わった気がしています。ちなみに他のPR会社の人たちとこのような試みもしています。試み1試み2。(試み2は、純粋に楽しむためにやっています)

頼れる記者の友人・元同僚

広報担当になって、実はとても助けてくれたのは、記者の友人や、元同僚・上司でした。自分の記者・編集者体験ももちろん頼りになるのですが「この内容だと記事にしづらい」「こういう追加情報が必要」「事例が必要」「これじゃあ、宣伝になってしまう」などと、媒体に載せている記事と、私が用意したネタとの差異を教えてくださったり、一緒に考えてくださったりしました。本当にありがたいことです。

執筆以外が大事という異なる視点

記者時代は、「段取り」(取材の調整等)を広報担当の方にやってもらった中で、「どう、読者に喜ぶ内容を、うまくまとめて記事にするか」に重点を置いていたのですが、PRの立場になると、気にするポイントが大きく変わります。「どう整理して記者に渡すか」「どんな質問が予測されるか」「この情報で記事が書けるだろうか」「部屋の明るさは」「資料の文字は見やすいか」「何人参加が予定されるから会場はどこにしようか」「午後は眠くなるからコーヒーを出そうか」「受付に人は2名いたほうが誘導できる」「本社の外国人に説明するための媒体資料を英文にしなければ」「海外の発表会の、現地での食事会どうしようか」「説明する人間のプロフィールも用意しておけば、記事にしやすいかも」・・・なるべく、「記事を書く」部分に記者の方に集中してもらえるよう、それ以外の部分は出来るだけこちらで引き受けるようにするため、いろいろなことを想定して相手の身になって動くということが求められるようになりました。

以上、感じたことをざっくりと書いてみました。いいたいことは

・人間関係がガラっと変わる

・元同僚・上司が助けてくれる

・仕事の重要なポイントが変わる

ということです。当たり前といえば当たり前かもしれませんが、壁にぶつかったときは、元同僚や上司に相談しつつ、是非ご活躍いただきたいなと思いました。

とりとめもないエントリですが。

 

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