人はなぜつまらなかった本の書評をじっくりと書くのか。
ネット上には、書評を公開できる場所がたくさんあります。Amazonもそうですよね。Amazonの場合、やたらと評価の高い本で、その評価者はその本の評価しかしていないというケースは要注意だそうです。何でも、評価をすると特典がもらえるとか、仲間内で高評価を書いているとかいうことがあるようですね。
余談ですが、Amazonナンバーワンというのも当てにならないようで、先日私のところにはAmazonで買ったと見られる「献本」が届きました。この本に限って言えば(名前は伏せますが)数多くのイベントで配布したり、毎週別の本屋で移動しながら本を買い、時期をずらして数々の大手書店のナンバーワンを獲得しているそうです。社員の方の名刺の裏には、ナンバーワンと大きく入っていますから、社をあげて、取り組んでいるのでしょうね。
話がそれましたが、読んでイマイチだった本の評価はどうしますか?
評価しない
どこが良くなかったかを書いておく
の2つに大きく分かれますよね?
ネガティブ書評を書く派の人は「あまりにひどかったから、次に買う人のためにじっくり書いておく」「この読後感の不快な思いをどこかにぶつけたい」などと言っていました。
私も、あまりにつまらないなと思った本の書評も書いたりしていたのですが、ある知人から「気に入らないものに時間を費やすより、気に入ったものに時間を使うほうが楽しいよ。気に入らないものに大事な時間を使うのはもったいないよ」と言われ、また別の知人からは「ネガティブなことでも、取り上げることによって相手の宣伝になることもあるよ。気に入らなかったら触れないほうがいいよ」などと言われました。
個人的には、Amazonの書評で、ネガティブな意見も読むようにしたり、あまりに誉められているものは、その書評を書いている人が他の本の書評も書いているかを調べたりして参考にしているのですが、ネガティブな書評って、難しいですよね。その本を書いているのも「人」なわけで、書き方次第では、知らない人をひどく傷つけてしまう可能性もあります。
自分の中で結論が出ていないのですが、ご意見などあれば伺いたいです。