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気の長い話:Winnyが作る歴史

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Winnyの判決が持つ意味を、少し大きな枠から考えてみたいと思う。しばらく更新をさぼっていたが、Winny開発者である金子氏が逮捕された前後に多くのエントリを書いてきたことを考えると、この機会に一言、思ったことを書いておかざるを得まい。

★有罪か。

個人的には、そうかあ。という気分だ。Winnyに関する議論は一通り出尽くした感があるので、この有罪という結果は「途中経過」として受け取るばかりだ。もちろん弁護団は控訴するわけだから、一つのマイルストーンに到達したな、というような感想を持つ程度だ。

この判決が「ソフトウェア開発者」にとって実際にどのくらいの危機を及ぼすかというと、その点は疑問だ。(これはもちろん後知恵だが)金子氏は脇が甘すぎた。今回の有罪判決が導かれた大きな理由は、金子氏のこれまでの発言が一貫して「反現行著作権的」だったということにあるのではないか。その発言と、Winnyのようなソフトウェアの開発をセットで見ると、確かに怪しさは高まる。例えば、金子氏が開発の経緯でずっと著作権の遵守をユーザーに強く求める発言をしていたら、今回のような判決はあったか。あるいは、金子氏が一度でもWinnyを題材に学会発表をしていたら、こんな結果にはならなかったのではないか、そんな気にさせられる。逆に言えば、今回の裁判の経緯と判決を見ると、ソフトウェア開発者は、表向きマジメな態度を保っていれば危険は避けられるのではないか、と思わないでもない。もちろん、今回の裁判の経緯は別にして「今度は他にどこでいちゃもんをつけられるかわからない」のは確かで、実際のところはわからないわけだが。

とにかく、この裁判が起こってしまった時点で、すでにソフトウェア開発者は、違法な利用が想定されるソフトウェアの開発にリスクがあることを意識せざるをえなくなっているのは確かだ。今回の判決以降の動きは、そのリスクの程度を量的に測る指針になる。リスクがあることは明らかで、「どこまでいけばどの程度危険か」という話になるわけだ。

★金子氏はダメージを受けたか

社会的な影響もさることながら、金子氏自身はこの判決でどうなるのか。まあ、大局的に見れば別に変化はないだろう。金子氏自身も、一審でこの判決が出るのはある程度覚悟していたのではないか。今、金子氏を評価している人が、この判決を受けて、その評価を下げるとも思えない。金子氏を批判していた人たちも。。。もし無罪だったら驚いただろうが、有罪だったのだから、別に評価は変わるまい。

そういう意味で、今回の判決は金子氏には大きな影響は与えなかったと言えるのではないか。そして、実は結果が無罪だったとしても、実は結果はそんなに変わらなかったろう。検察側は控訴しただろうからだ。どのみち、最終結論は見えない、最初の一歩に過ぎなかったわけだ。

★ひろゆき氏の偉大さとWinnyの役割

実は今日、日本版Wikipediaの中の人と話す機会があった。いろいろとお話を聞いたのだが、Wikipediaが直面するさまざまな問題について話を聞くうちに、「ひろゆき氏の偉大さ」という話が出てきた。

Wikipediaというのは、実はいわゆる「Web 2.0的」と言われるサービスの中でも、かなり特殊な存在だ。Web 2.0的なサービスをいくつか挙げてみよう。Google、Flickr、Wikipedia、YouTube……、日本で有名どころと言えばはてな、mixi、gree。Web 2.0的と言わずに、プラットフォームサービスと言えば、Yahoo、楽天、2ちゃんねるなどか。マイクロソフトを加えるべきかも知れない。どこが境界線なのかは、もちろんいろいろな意見があるにしても。こうして簡単にリストを想像してから振り返ってみると、実はほとんどのサービスは営利企業が提供している。つまり、そのサービスに最終的な責任を負う法人がいるわけだ。

責任を負う法人がいるということは、訴訟リスクを意識せざるを得ないということに他ならない。法人が運営しているプラットフォームビジネスは、訴訟を意識していろんな手を打っているし、組織としての判断をしている。例えば、mixiがある日記を削ったり、あるユーザーを退会させたりするとき、「私たちは、規約に乗っ取り組織の判断としてそういう決断をしました」と言うわけだ。そこには主体がある。

ところが、wikipediaの運営組織には、そういう主体性は薄い。日本のwikipediaにはローカルルールがあるが、wikipediaの運営組織には法人格はない。mixiには代表権のある社長がいて「私がmixiです」と言って話ができるが、wikipediaにはそういう人はいない。ただ、ユーザー間で話し合ってルールを作り、ボランティアである運営者はそのルールに従って運用をしているだけだ。そういう特殊な「場」で、みんなで運営ルールを作り出すのが難しいことは、想像に難くない。

そのルールを考える上では、もちろん法的リスクなどもいろいろと問題になる。ルールは法的な問題をできるだけ避けられるようになっていなければならない。それを検討する上で、いろいろな判例を調べたりする必要があるわけだが、そこで2ちゃんねるのひろゆき氏が登場してくるというのだ。ウェブサイト上でのトラブルで訴訟になるケースを追っていくと、ひろゆき氏の事例が多く出てくる。彼がいろいろな問題を引き受け、いろいろな判例を作ってくれているのだ。

ウェブ上でサービスを提供している企業は、訴訟を避けるように振る舞う。法的な問題が予想されれば、あらかじめ安全側に倒して行動する。従って、普通の企業が提供しているサービスではあまり訴訟は起きない。特に、裁判コストが高い日本ではその傾向が強い。しかし、判例が出なければ、世の中はグレーゾーンばかりで、どこまで行けば黒くなるのかはわからない。。。そこに豊富に判例を提供してくれているのがひろゆき氏なわけだ。ひろゆき氏のおかげで、後進が道を見極めることができているという側面がある。

この話が、僕の中ではwinnyの話とどこか繋がって見える。金子氏がwinnyで世の中に見せたいくつかの問題点は、いつかは我々の社会が考えなければいけない論点だった。その結論が判例という形で示されるのは、都合がよい側面も確かにある。そう考えると、winnyの問題が裁判沙汰になったということには、良かった面もあるのかもしれない。

ただ、最終的な結論は、最高裁で決着がつくまでは得られないだろう。気の長い話になりそうだ。

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