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エンタープライズコラボレーションの今と今後を鋭く分析

時短とゆとり

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 昨今、時短時短と騒がれる事が増えてきた。当局の指導もあってサービス残業を辞めさせ不必要な残業をしないように指導する企業や管理職が増えてきてる。
 これ自体は非常に良いことだと思う。残業を辞めてその分早く帰宅して、自己啓発に努めるなり消費活動を行って社会経済に寄与すれば皆が幸せになれるし良いことだろう。

 ただ最近ちょっと気になってきたのが、行き過ぎた勤務時間管理というか結果としての残業時間の抑制や労働時間短縮の為だけの早帰り奨励を結構見かけることだ。いや誤解しないで欲しいのは、無駄なつきあい残業や精神論だけの残業を辞める為のきちんとした管理や早帰り意識の醸成を悪いと言っているのではない。そうではなくて、仕事が不充分だったり中身が伴って無くても時間が来たら打ち切らせたり、決められた最低限の仕事を終えた後にちょっと追加の仕事や品質を上げるための努力をするような工夫も控えさせるような時間管理指導や早帰り抑制をどうかと思っている。

 なんと言えばよいのだろう。仕事でしか身につかないスキルや知恵はあるはずだ。最初は効率が悪くて慣れた人の数倍時間をかけて夜までかかってやっと出来たような仕事でも、そうした苦労をした経験があるから工夫して早く終わるようにするのだと思う。そもそも知恵を振り絞ったりアイデアを出すには、ひらめきだけではなくインプットを蓄え醸成する為に必要な時間がそれなりにかかる。それに仕事の本質はイレギュラー処理にある場合もあって、こういう場合は相当の数をこなさないとそもそもイレギュラーケースに出会えない。
 いくらマニュアルを整備して業務のやり方を標準化しても、成功事例を集めたノウハウ集を読ませても実際の肌で感じた体験時間が足りないと本当には身につかないし、とっさの時にせっかくのノウハウの知識が出てこないだろう。
 行き過ぎた勤務時間管理は、こうした学習の機会や将来の“伸び”の機会を失わせるものではないのか。

 家に帰って自分で努力や勉強すれば良いなんて意見もある。それはそうだ。でもあたりまえだが仕事を最もやりやすい場所は会社である。周囲の環境やツールの整備度合い、いざというときに直ぐにフォローを貰えるなど会社で学習するメリットは大きい。
 何か若手に対する安易な時短の指示を見る度にときどきこういう事を思う(そしてそのしわ寄せが、残業しても残業代のかからない裁量労働者や中間管理職に押し寄せているという噂もよく聞く)実際若手の中にもこういう事を感じていて、早く帰れなくて良いから仕事くださいなんて言う発言をする人が前より増えてきている印象もある。そういえばついこの前読んだ若い人のブログにもちょっと似たような事が書いてあった。

 なにかこういうのって最近話題になった「ゆとり教育」に通じる部分もあるような気がする。「ゆとり教育」については私はあまり詳しいことを知らないが、どうやら学習時間や学習の内容を減らしすぎたために学生の学力が落ちて結局日本全体の地盤沈下につながったというような話らしい。「ゆとり教育」は失敗事例として既に修正され始めたようだが、「行き過ぎた時間管理」もいつか修正されるのだろうか。

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