「企業にとってのニコニコ動画」の舞台裏(1)
標記のITproでの短期連載は終了したが、かなりのアクセスを集めておおむね好評だったようだ。実はあの連載は我々にとっても挑戦であり、内容を書くのに相当に議論を重ねた。その中にはボツになったアイデアもあるし、当時は上手に言語化できずにいたものもある。
ここであの短期連載を振り返ると共に改めてそれらのネタを引っ張り出して、今後の議論のための礎にしてみたい。
※他のメディアでの連載の反省をここで書くというのはちょっと反則かも知れないが他にそういう場が無いし、こういう使い方こそブログらしいと思うので挑戦してみたい
さて誤解が無いように先に結論から書いておくが、我々は今のニコニコ動画で起きている現象やそこでの人々の振る舞いに注目することでいろいろな事が学び取れると思っている。そして出来るならば企業(組織)の中にニコニコ動画的なものを上手く取り入れるべきで、それがその企業(組織)の競争力向上やひいては日本経済全体の復活に繋がると信じている。
ここで一つ注意して欲しいのは、ニコニコ動画をそのまま企業(組織)に導入しろと言っているのではない。それは明らかに失敗するだろう。我々が薦めているのはあくまでニコニコ動画的なものである。実のところそれがどんなシステムでどのような仕組みなのかは、我々も正確に描ききれてはいない。もしかしたら企業(組織)の中でのニコニコ動画的なシステムは今のあれとは似ても似つかわないものかもしれない。こういった事を時間がかかってでも少しずつでも明らかにしていきたいと思っている。
さてそれでは以下に、短期連載時およびその後に関係者間でいくつかのお題について議論した内容及びアイデアと仮説を以下に箇条書き形式で羅列してみた。
お題:ニコニコ動画の凄さや楽しさは何か?
- よく言われるのが、元のコンテンツにコメントで突っ込んでいくことに楽しさ、そしてこの際に非同期なコメントを各作品内のタイムライン上に並べることであたかも同期的なコミュニケーションを感じさせるという臨場感の創出。
- 最近ではコメントだけではなく、ニコニコ動画という場を使って作りかけの作品を共同で完成させたり一端完成した作品を他の手法や趣向などを使って再加工したりする、新しいコンテンツ創出の過程そのものも楽しめるようになってきている。
- ニコニコ動画を象徴するタグに「愛すべき馬鹿」というのがあるが、ああいう一見して無駄で途方もない作業を苦にせずやってしまう職人がいて、それをやった結果本当に無駄だったのか、あるいはどこかに目を見張るものがあったのかを横で皆で目を皿のように鑑定していて、中の一人が宝のかけらを見つけてそれを次に生かす(そのときに最初の屍になった職人をきちんと皆で褒め称える)というそういう貪欲さとノリが共存しているのも凄い。
- チーターマンブームの時にあったように、ひとつのネタを皆でとことんシャブリ尽くしてその骨の髄までしゃぶる行為自体を見て楽しむ部分もある。その結果として繰り返しの面白さ(あんまり面白くないことでも繰り返されるとだんだん面白くなってくる)とかそういう効果も現れたりする。
- ニコニコ動画ではオタク同士の垣根が下がるという効果もあるようだ。アニメオタクと鉄道オタクと特撮オタクなどというようにオタクの専門分野は意外と細分化されているものだけどニコニコ動画の作品にあたっているいるうちについつい専門外の知識も勉強し始めるということは多いらしい。
お題:その凄さのうち、我々が見習うべき事は?
- 次々とコンテンツが生み出されたり、本来全然関係ないものをMADなどで融合する過程において、従来にない新しい気づきや発見が沢山生まれる。沢山のコンテンツが生まれるということは、その中に含まれるアタリの数も増えると言うことで競争面で優位だし、新しい気づきや発見は差別化のポイントになる。短時間で沢山のアイデアを試す方法、新しいアイデアの組み合わせを皆で出し合う仕組みなどは企業(組織)内で取り入れるとメリットが大きい。
- 「愛すべき馬鹿」によって一見無謀とも思えるようなアイデアも臆面もなく試される。その大半は確かにくだらない事だけど、中にはいくつかとんでもない大発見がある。企業(組織)でも失敗学のように失敗をマネジメントして役立てようとする試みが行われているが、そもそも失敗の数が少ないとそこから学ぶ事も出来ないわけで、失敗を適度かつ適切に起こさせる仕組みとしても面白いのではないか。
- 特に最近の企業(組織)では、とりわけ失敗を恐れる風土が強まっていて挑戦の前に机上で議論しすぎて折角の尖ったアイデアが潰れたり、時間が無くなって結果的に新しい事への挑戦や試行の回数が減ってしまうケースがあってこれが特に若手社員の閉塞感に繋がっていると思うので、やはりニコニコ動画的な仕掛けは魅力だ。
- 垣根を下げるという面では、タコツボ的に自分の専門分野に閉じこもりがちになる研究者に壁と取っ払わせる手法として使えないか。元々学際というか異なる学問領域間でのコラボレーションやシナジーがブレイクスルーにすながりやすいと言われている。
お題:逆に凄さが伝わらないところは?欠点など
- 時々視点というか分析がマニアックに行き過ぎることがある。たとえば初音ミクで「初音ミク3D、発進!!」というすごい3D化作品が出たときに、「あのスカートのひらひらがすごいんです」なんて感想があってその方面に詳しい人の間では凄く感心されたようなのだ。
- これはちょっと普通の人には理解できない。この凄さが伝わらない部分をどうみるか、専門的になりすぎるとフォローできないということは、やはりああいう場での創作物には上限があるとみるのか、それともそこまで行けば勝ちなのか。
- あとコンテンツ創出や変化の過程を見る(楽しもう)と思うと継続的に見ていないと理解が出来なくなる。前にあったコンテンツを礎に次にコンテンツが生まれるのがこの場での進化の凄さなので、どうしても継続的に見る必要がありこれが時間を取りすぎる嫌いがある。
- 突然参加したり長期離脱から帰ってきた場合の場の障壁が高いという欠点がある可能性には注意すべき。
お題:企業(組織)の中にニコニコ動画をつくると効果はあるのか
- ニコニコ動画そのものを作ってもだめだろう。そもそも動画などのリッチコンテンツを作ることがコアコンピタンスに直結するようなビジネスってほんのわずかだ。
- ただニコニコ動画で取られているコンテンツ中心主義のコミュニケーション促進という手法は、従来の掲示板のようなコミュニケーションを主としたコミュニケーション促進手法よりは企業(組織)に受け入れられやすい可能性がある。
- あと動画(画像)ライブラリとしてのニコニコ動画のシステムは、それなりにこなれているので社内の教育ビデオのライブラリなんかには有効だと思う。タグつけやそれを使ったコンテンツ管理は便利だし、状況や制度が変ったときにビデオを全部作り替えるのではなく変更点部分だけをテキストインポーズで書き加えるなんて使い方が考えられる。
長くなったので今日はここまで。残りの5つのお題
「企業(組織)にニコニコ動画的な場はいらないのか?」
「ニコニコ動画は救世主なのか?」
「本題。で、そういう場や仕掛けはどうすれば出来るのか?」
「企業(組織)の中にはそんな才能を持つ人はいないのでは?」
「場の運営サイドとして学ぶべき点は?」
については次回。