情報共有やコミュニケーションの成熟レベル
ボランティア留学で海外へいって子供を教えた事のある人に聞いた話なのだが、日本の文化の紹介も兼ねて折り紙を子供達に紹介しようとしたところ、現地にいた先輩の日本人にこっちの子供は折り紙の素地がないので3回くらい折ったら終わりのモノにした方が良い、というアドバイスをもらったそうである。で、彼女は(超日本的な)鶴とか兜とかの難しい作品を辞めてコップを教えたそうだが、それでも出来ない子供が実際何人か居たそうである。
この話を聞いたときに思ったのが、やはりそれまでに培ってきた風土とか素地というものが影響するのは大きいなぁと改めて感じ入ったものだ。日本だと大半の子供が折り紙に親しんでいて結構難しい作品でもさっさと作ってしますい、中には自作のユニークな作品を考案する子供だっている。当然この一件は、だから日本の子供が才能的に細かい作業に秀でているとか紙系の芸術に秀でているなんて話ではなく、単純にそれまでに経験があったかどうかの差に過ぎないということだと思っているのだが、最近コミュニケーションの分野でもこういった風土や素地という部分の影響力が無視できないと強く感じる。
情報共有なんていう分野を専門にしていると参加者(利用者)に「情報を出して下さい」とか「情報を使いましょう」なんて呼びかけるシーンに多く出くわすのだが、実際にこの時の反応が組織や個人によって全く違う。永年にわたってチームでの活動を基本としていた会社では情報を出すことや使う事への抵抗がわりと低い。一族の世襲によって成長してきた強いファミリー企業の場合もそうだ。社員は皆家族と同じでなので出し惜しみをするという風土ではないようだ。基本的に日本の製造業などでは過去にQC活動や現場での改善運動を通して知恵を出し合って皆で会社を良くしていくことに慣れていて、これまではあまり抵抗感はなかったように思う。
ただここ最近はそういう風土とか素地が崩壊している企業も増えてきているような気がする(この理由についてはいつかまた別途に分析をしてみたい)
情報共有や双方向コミュニケーションへの風土や素地がまったく無い場合、最新の高度な情報共有の仕組みを急に導入しても定着はおろか初期の盛り上がりすら起きない。このあたりについては、最近ところどころで使われているような成熟度レベルみたいなものの導入が必要で、その組織ごとの情報共有や双方向コミュニケーションに対する今の風土や素地のレベルに応じた施策やツールを選択するような仕掛けが必要そうだ。そしてある程度の期間にわたって徐々にレベルが上がるのを待ちながら施策やツールを増やしたり変えたりするような継続的対応をするしかない。
で、やはりナレッジマネジメントって永遠の課題だなぁ・・と思うのである