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奈良の山での中学生遭難のニュースを見て思い出した怖かったこと

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大阪の中学生らが奈良で登山中に一時行方不明になったというニュースを見て、高校の頃に阿蘇で遭難しかけた時のことを思い出しました。

無事救助のニュース(読売新聞より http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120815-OYT1T00144.htm
思い出したのは、夏休みにクラスで出かけたキャンプ先での山登り。
これが山頂にたどりつくまではよかったのですが、問題は帰り道でした。
行きのルートがさして面白いものでもなかったこともあり、誰かが「こっちから行こう」と言いだしてそのまま勢いで下りはじめたのです。
夏の天気のよい日、あまり深く考えていない高校生、20人くらいが一斉にわっと動く、というような感じで、そのままどんどん進むことに。
ところが周囲の草むらはだんだん深く藪も険しくなってきてだんだん怪しい雰囲気に。
そもそも登山ルートがあるのかどうかすらよくわからない山になんの準備もせず、もちろん地図も持たずに軽装で出かけるというのは今から思えば軽率すぎる行動だったと思います。

案の定、どこにいるのかも全くわからなくなり、戻るにも藪の中をまた登る大変さに躊躇する状況に。そして、水筒に持ってきた水も底をつく寸前。
仮に無事降りきったとしても単に山奥に入り込むだけかもしれないわけなので、まさに遭難状態だったのだと思います。
このとき感じた怖さは身の危険より、一行の中に生まれた感情的な軋轢。
「おまえらがおかしな方向に先導するからこんなことになったじゃないか!」
「うるさい、先頭は一生懸藪こぎしながら道をつくってるのに後ろでつべこべ言うな!」
「いやいや、大丈夫大丈、元気出してがんばろうよ!」
「なに呑気なこと言ってるんだ!」
誰が何を言おうが、何かを提案しようが、反発や非難が起こるようになってしまい、「これはマズイな...」と感じました。
実際には、しばらく後に偶然(たまたま)、普通に車が通る道路に行きあたり難を逃れ、それこそ新聞沙汰にもならずに済みましたが、あのままもっと時間が経っていたらと空恐ろしくなります。
チームやグループが苦境に立たされたときに、雰囲気が悪くなるとか喧嘩が起こるというのは、会社でもそうかもしれません。そして、それは目の前の問題よりも怖いことと言えるのではないでしょうか。
大きな問題に直面したときに、いかに無用の軋轢を避けチームワークをもって立ち向かうことができるか、そう行動できるように備えるか、とても大事なことなのだろうと思います。
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追記
今回遭難された生徒さんたちはみな無事だったとのこと、本当によかったです。
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