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デジタルとアナログの間を行ったり来たり

壁の絵からお近づきに

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 近年美術館めぐりが趣味になってきたせいか、会議室や応接室でも絵があると注意が向くようになってきた。

クリムト「接吻」 しばらく前、ある応接室ではクリムトの「接吻」がかけてあった。けっこう大きくて圧倒された。ただ客席に座ると絵画は背後。絵が見たくても振り返らないと見られない。

 この絵を飾るということは、この絵が好きなのだろう。この部屋の主は年配の女性で、けっこうお堅いイメージだが、ロマンチストなところもあるのだなと思った。そんなことを考える時点で生意気なのだが、さらに筆者は去り際の雑談ついでに、つい「とてもすてきな絵ですよね。でも客側からは後ろで見えないのが残念」みたいなことを言ってしまった。部屋のレイアウトに不満を言うのではなく、いい絵だからもっと多くのお客さんに目が届くようにするといいですよね、せっかくのいい絵なのですから、そんなことを言った気がする。

 後から「いくらなんでも生意気だよなー」と反省したのだが、主は後に「客にも見えるように配置を換えました」とメールで教えてくれて、次回にそこを訪れたら本当に配置が換わっていた。その行動力に恐縮してしまった。

 つい最近、また応接室で大きな絵を見た。筆者の好きな作家の絵だったので、入室した時から目を奪われた。役職で言えば筆者と雲泥の差ではあるが、年齢は近く、それでいて大きな絵を飾るなんて親近感と尊敬の念を抱いた。

 ただ残念なことに会話はどこかぎすぎすしていた。どうも本音を隠しているようで、ぎこちなさが伝わってくるのだ。立場上、仕方がないところがあるとはいえ、筆者はもどかしさを抱え、部屋には緊張感が漂っていた。そんな日もあるさと思いつつ。

 そして去り際に絵の作者と作品名を言い当てると、主は「ぼくこれ大好きなんです」と力強く言ってくれた。さっきまでの、奥歯に何かが詰まったような言い方とは打ってかわって違う。即座に筆者も「私も大好きなんです!ニューヨークに行くとこの絵を見に行くくらいですから」と言い、勢いで握手を求めた。ちょっと強引だが、最後にそれで笑ってくれたので、どちらもちょっと緊張が解けたような気がする。

 でもちょっと失敗。あの絵は普段はシカゴにあって、ニューヨークではない。ニューヨークにはその作者の絵が最も多く貯蔵されている美術館があり、そこにはよく行くのだけど、その絵は展示されておらず、本でしか見たことがないのだった。きっと主は心の中で突っ込んでいただろう。でもいいさ。それで握手しちゃったもんね。今度「大好きな作者の、本でしか見られなかった絵を(模写とはいえほぼ原寸サイズで)見られて感激です。また見せてください」とフォローしておこうっと。

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