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ITの技術や方向性考え方について別の選択肢を追求します

そういえば、メインフレームというマシンがあったな

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ちょっと、挑戦的なタイトルですが、IBM基礎研の宮下さんが「汎用機はやはりえらかった。」というブログを投稿されていたので、触発されてしまいました。どうも、思い出話になりそうですが、お付き合いのほどを。

IBMのS/360、のちにS/370、S/390と進化していったシステムは、現在、IBM System z9と呼ばれています。私のIBMでの仕事の多くがこのS/370-S/390に関連していました。もともと、S/360とは360度、すべてのコンピューティングを実現する「汎用機」という意味でした。

入社して早々には、3090という水冷のマシンの心臓部、熱伝導モジュールのテストシステムのうち、ソフトウェアの部分を米国から導入、立ち上げました。当時は、ニューヨーク州ポケプシーとフランスのモンペリエに同等の工場があり、私は滋賀県の野洲(やす)工場で、米国・フランスの担当者と連絡を取り合いながらの導入でした。

この熱伝導モジュールというのはものすごい設計で、64層のセラミックに立体的に配線をし、100個のチップを同一モジュールに配置。10x10の配列でした。このチップがCMOSではなく、CMOSより集積度が著しく高いバイポーラというチップで、電流を通すと集積度が高すぎるので、激しい発熱があり、水冷でないと温度を一定に保てないほどの性能でした。

3090の後の仕事では、IBMは1990年の初めにS/390を発表しましたが、その発表資料を作ったのは私です。日経新聞に写真入で三井専務(当時)が載りましたが、三井さんの後ろのOHP資料は私の作ったものです。

その後はDB2のプロダクトマネージャになり、データウェアハウスを発表したり、バイポーラチップからCMOSチップへの転換、SMPからMPPへの転換などに係わりました(説明するとたいへんなので省略。すみません!)。MVSというのがこのS/390上でのOSですが、日本中のMVS上のRDBをほぼ100%DB2に置き換えた事も楽しい思い出です。たぶん、メインフレームを語らせたら、まだまだ、IBMの営業さんよりはいけそうな気がします。

で。なぜそんな楽しい思い出ばかりのS/390を捨てて、サンに転職したか。まあ、いろいろありますけど、ひとつには「メインフレームはもういらない」とある時、ふっと気が付いてしまったからです。メインフレームは停止しません。しかし、1秒も停止しないことのために、あんなに高い金額を払っていただいていいのか、技術的な方向性として、このままメインフレームを推奨し続けられるのか、という疑問が沸いてきたのです。

Javaをやりたい!というのも大きな理由でしたが、サンに転職して、サンの新しいサーバを推奨するようになって、少なくとも自分の中での矛盾はありません。

最近サンでは、サンのサーバを「ジェネラル・パーパス・システム=汎用機」と呼ぶようになりました。私はこの事をたいへんにうれしく思っています。私は、IT業界にいる間、ずっと汎用機の推進ができるのだと、ワクワクしています。

 

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