全楽章静かに終わるブラームス3番はガス欠知らず
明日はサマーコンサートの本番。本日は、最後の練習、いわゆるゲネプロである。
今回演奏する曲目は、ブリテンの「ピーター・グライムズより4つの海の間奏曲」、マーラーの「葬礼(交響曲第2番 第1楽章の第1稿)」、ブラームスの「交響曲第3番」の3曲。それぞれ、ペース配分も濃厚さもずいぶん異なる曲が並ぶ。
オーケストラのペース配分は、1万メートル走なんかと違って、マイペースというわけにはいかない。メリハリは音楽の流れによって与えられるので、たとえ数10分全力疾走を強いられたとしても、音楽のためにはやらなくてはならない。なんとも難しい限りだ。
しかし、今回のブラームスは、メインの曲目でありながら、目いっぱい盛り上がって大音響でフィナーレとはいかず、コンパクトに静かに終わる。旋律がすべて溶けていくような静寂ともやもやでエンディングとなるのだ。
といっても途中盛り上がらないわけではなく、ドイツ的というかジプシー的というか、ブラームス的なメリハリ、バリバリは十分ある。ブラームスの弦楽器は、全般的にしっかり立つ音を出さなければならないし、能動的にリズムを作っていかなければならないので、肉体的ににも精神的にもかなりのパワーを要求される。
かくして、このようなパワーを要求される夏の演奏会で全力投球すると、最後の数十小節で、正直息切れする恐れがある。実際、最後のかけこみでここ数日集中練習しているし、前日、当日と本番まで、結構な量練習している。ガス欠注意なのだ。
しかし、ブラームスの3番についていえば、過去の練習の経験から、要求されるパワーのわりにガス欠の恐れは少ないようだ。全曲は、最終的にもやもやに包まれていくので、その前の盛り上がりは、幻の宴のようになる。潮が引くように曲を締めくくれるので、中間の力の入れようがかなり自由なのだ。
でも、あの宴をもう一度、という要望には、もちろんアンコールで応えるのだが。