イノベーションとアメリカ ― その1
最近「朝まで生テレビ」を見た。日本でのイノベーションの話だったが、若い人たちの話は面白かった。少し「アメリカはなんでも良い」的な話が多かったような気はするけれど、それなりに的を得ていたような気がした。今回はイノベーションとアメリカの社会ということで、2回に分けて述べてみたい。今回のブログではまず筆者が住んだアメリカの幾つかの地域についての感想(独断と偏見)を述べる。そして次回、シリコンバレーは何が違うのかについて考える。
起業文化に関しては、同じ日本といっても地域ごとに事情は違うだろう。それはアメリカでも同じことだ。アメリカ全土がシリコンバレーと同じメンタリティであるわけではない。筆者の今までに住んだ地域での経験から起業文化を比較してみる。それぞれの地域に住んだ時の筆者の状況が異なり、またアメリカの社会にどれだけ溶け込んだかの程度にもよるので、一概にこうだとは決め付けられないが、ひとつのデータポイントにはなるだろう。
渡米に至る動機を簡単に書くと、筆者は人見知りもするし、知らない世界に飛び込むのに臆病なくせに、束縛とかうるさいしきたりが嫌いだ。大学4年の時、就職説明会に幾つか出かけたが、青いお仕着せを来たエンジニアの人の話を聞くたびに気分は沈むばっかりだった。その頃はたぶん普通の日本人と同様に、アメリカへの憧れとその自由さへの期待があった。しかし実際どんな社会なのか、本当に自由なのか、外国人に対してはどうなのかど全く知らなかった。ビザをどうするのかも計画があった訳ではない。それでも無謀にも渡米して今年で35年目になる。
シリコンバレーに落ち着くまで、マサチューセッツ州(中部のアマースト市)、イリノイ州(シカゴ近郊)、マサチューセッツ州(ボストン近郊の128号線沿い)、カリフォルニア州(サンホゼ市)、テキサス州(ダラス近郊)と転々とし、そして最終的にカリフォルニア州(サンホゼ市)に戻って来た。それぞれの地域に関して簡単な感想とその時期の筆者の起業への取り組みに関して述べる。
- マサチューセッツ州(中部のアマースト市):田舎だが典型的な大学都市で、全般的には、キャンパスや大学関係者と付き合う限り嫌な思いをすることはなかった。しかしアメリカ社会に慣れることと、英語を何とかすること、そして学業に忙殺されて、起業とか会社を興すなどということには無縁だったし、そんなことが将来自分の身に降りかかるなどとは想像さえもしなかった。どちらにしろ、今思い返せば、このコミュニティに起業などという文化があったとも思えない。なにせこの時代、まだ「IT」という言葉はなかった。
- イリノイ州(シカゴ近郊):大学院生として暮らした。全米第三の大都会で、人種も多様で人種問題も大きかった。しかしここでも、キャンパスや大学関係者と付き合う限り嫌な思いをすることもなかった。起業するなどという雰囲気は周りになかった。と言うか、博士号を取得するのが一番の目的であったので、他のことを考える余裕はなかった。
- マサチューセッツ州(ボストン近郊の128号線沿い):シリコンバレーとならぶハイテックの東のメッカで、シリコンバレーの景気が悪くなるとIT関係者が西から移動してくることで知られていた。しかしこの地域はボストンも含め、カトリックのアイルランド系白人が多く、政治的には革新でもそれ以外は保守的で、IT関連の技術者が増えるなかで(この時期の職場であるGTEの研究所は外国人の研究員が過半数を超えていた)、以前からいる住民は混乱しているようだった。ボストンやその周辺は人種偏見の問題を抱えており(今でもそうかは分からないが)、アジア人(筆者)が歩き回るとじろじろと見られた。大企業のGTEの研究所にいたこの時期、起業などということには全く興味もなければ、そんなことが現実になるとは思いもしなかった。
- カリフォルニア州(サンホゼ市):HPという大会社に勤めていたこともあり、シリコンバレーに住んでいたといっても外の起業家との付き合いはなく、不景気にも拘わらず雇用は保証されており、生活は安定していた。この時期も起業や会社を興すということからは非常に遠かった。今から思えば、管理職ではなく技術者としての職務をまっとうすることにしか、興味がなかった。
- テキサス州(ダラス近郊):この時期は、人種差別の問題や最悪の気候(酷暑と厳寒の冬)の他、会社内のごたごたなど、多分一番不愉快な時期であったが、起業に向かう第一段階だったのかもしれない。この時期に管理職に就き、更に新たな事業部を会社の中に設置して実際の事業推進の責任者となる努力をしていた。この段階ではまだ会社という枠の中での行動で、新たに会社を興すということまでには至らなかった。
- カリフォルニア州(サンホゼ市):新たな事業部を会社内に設置することが不可能なので、関連会社にグループを移動して、新たな事業部を立ち上げた。この時点から起業や会社を興すことを意識し始めた。できるだけコンサルタントや起業家と付き合うようにした。この時点で起業に目覚めた。しかし今から思えば、まだ日本の会社の視点でものを見ており、本当の意味でシリコンバレーにコネを築いているとは言えなかった。
今までの経験から言えば、シリコンバレーは特殊な地域で、それまで住んだ他の地域とは多分に異なる。一般的にアメリカは東部よりも西部の方が自由でオープンだ。特に北カリフォルニアは自由な雰囲気だ。人は環境の影響を受けやすい。起業文化が根付いていて、またコネを辿れば起業した人やそれを助ける人が周囲に多くいる。次回はこのあたりをもう少し詳しく記述したい。