やりたいことがありすぎる時の判断基準は、自分は何者であるか?だと思う。
おはようございます。吉政創成の吉政でございます。
自分がやりたいことがたくさんありすぎて、いろいろ手を付けてしまったり、どれをやればよいのかが分からない時がありますよね。
そのような時は、自分が何者であるかを見つめ直し、その立場でなすべきことをするべきと思います。
自分が何者であるか?
というのは、いくらでも定義できます。
最後は自分の好みだったり、自分の中の正義を基準に決めることも多いように思えます。
例えば、私の場合、
会社の代表取締役
業界団体の責任者
お客様を支援するアウトソーサー
プランナー
コンサルタント
ブロガー
フライフィッシャーマン
パパ
夫
などなど、全て事実です。
一番しっくりするのは「お客様を支援するアウトソーサー」ですね。
私の役割である「稼ぐ」ことの一番の根幹です。
これなくしては家族にとっても私の存在価値は成り立ちません。
10年以上前は同じ立場で仕事をしていたはずなのに、今の自分と比べて数倍の差がついている状態に直面すると、自分のやり方を見直したくなったり、新しいことをやりたくなったりする気持ちが出てくる時もあります。しかしながら40歳を超えた今、個人の能力差は確実に存在します。しかし、自分の人生を振り返ってみても、いつも自分なりに全力で取り組んできたつもりであり、この性格、この能力、この生き方も全て自分のことであり、今の結果は最大限の自分なのです。
人の成長は日々の積み重ねが大事だと思います。
手を広げすぎず、自分よりできる人を見てもあせらず、
自分の立場で、自分ができることを、日々こなしていきたいと思います。
そういう意味では人生は修業の連続のかもしれません。
滝行の連続だったりしてw
※滝行:滝に入って行う修行