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書評『ユニコード戦記』

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「読書の秋」ということで、何回かに分けて書籍を紹介しよう。なお、本稿は2011年8月8日と15日に、Web媒体「Computer World」に掲載したものを基に、若干の修正を加えたものである。

最初に紹介するのは『ユニコード戦記』(小林龍生著)である。ユニコード(UNICODE)は、WindowsやMacOS、Linux、Java等で用いられている文字コードで、世界中の文字を統一的に扱うために制定された。

『ユニコード戦記』は、国際文字規格である「ユニコード」制定の舞台裏を描いた書籍であるが、大きく3つの読み方がある。文字コードの問題、国際会議の問題、そして英語の問題だ。

 

■文字コードの問題

文字コードとしてのユニコードは、中国・日本・韓国(CJK)の文字を統合する「ハン・ユニフィケーション」問題が誤解されたことから、感情的な批判が非常に多い。特に、初期の段階で、ユニコードは

字体が同じ漢字には同じ文字コードが与えられ、歴史的な背景は無視される

と報道されたことが感情的な悪印象を与えた(実際には「文化的背景を配慮し、区別が必要な文字には別コードを割り当てる」という規則もある)。

ラテン文字(ローマ字)のAと、ギリシャ文字のアルファ(α)の大文字は、歴史的には同じ文字だし字体も同じなのに別のコードが割り当てられているのは不公平だ

という意見も聞いたことがある(これは文化的背景を考慮している)。

極端な意見では「ユニコードの採用は漢字文化の冒涜であり、採用推進派は日本文化を破壊する国賊だ」というものもあった。

しかし、本書を読むと、これらは「贅沢な悩み」だと感じる。

ちなみに、漢字を使っているのは中国・日本・韓国・北朝鮮・ベトナムの5カ国(見方によっては4カ国)である(もっとも北朝鮮は自国の文書には原則として漢字は使わないし、韓国でも漢字の利用頻度は日本よりもかなり低い)。ベトナムの文字はあまり知られていないが、ベトナム文字チュノムは漢字をベースとして作られており、漢字を使う機会も多いらしい(植民地化以降、正書法はラテン文字)。そして、漢字文化圏4カ国(CJKV)は、箸文化と一致するという話だ。真偽は確認していないが面白い話である。

実は、ユニコードが制定されることで、初めて自分たちの文字をコンピュータに記録できるようになった国や民族がある。文字を記録できないということは、そもそも「情報処理」ができないということである。日本人に対して「コンピュータで扱えるのは英語かローマ字だけ」と制限されることを想像してみてほしい。ローマ字は日本語表記の方法ではあるが(だから小学校の「国語」の時間に習う)「日本語を使っている」とは言いにくいだろう。

本書には、文字コードの重要性や課題解決の方法についての議論が数多く含まれており、いずれも非常に面白かった。技術的な内容も含まれるが、ITに関する深い素養がなくても読めるはずだ。巻末にはユーモアに満ちた用語集もある。

 

■国際会議の問題

しかし、本書の真骨頂は、文字コードそのものよりも規格を決める国際会議の進行についてである。国際会議では「日本のためのだけに国際規格を制定することはできない」と言われ、国内からは「日本の文化を守れ」と理不尽な非難を受ける。どこで妥協するかは非常に重要な課題である。

国際規格というのは「世界中の人が幸せになるための約束」であるが、実際には各国の駆け引きの場である。これに業界標準や個々の企業の思惑が重なり、きわめて複雑な状況になる。もちろん、根回しは不可欠である。本書には、根回しの宛先を間違えて大問題になるエピソードも紹介されている。

ある規格に反対するには、単にその規格で起きる問題点を指摘するだけでは不十分だという指摘も面白かった。対案のない反論は、検討中の規格に「○○という不具合が考えられるので、××という使い方は避けるべきだ、と注釈が付くだけ」だという。

考えてみれば、社内会議も同じである。単なる反論は、会議を混乱させるだけで非常に嫌われる。IT業界には単なる反論を一蹴する強力な言葉がある「じゃあ、その問題は運用でカバーしましょう」。そして、その運用はたいてい失敗する。

国際規格の舞台裏は非常に複雑だ。しかし、その原則は社内会議でも変わらない。文字コードや国際規格にそれほど興味のない人でも、リーダーシップについて興味があるなら読んだ方が良い。

 

■英語の問題

3つめは英語の勉強法についての体験記だ。これは本書の主題ではないが、付録として挙げられた英語の勉強法は非常に興味深い。国際会議の議長を務めていた著者も、最初は観光するにも苦労するくらいの英語しかしゃべれなかったらしい。

ダイエットもそうだが、英語学習は始めるよりも続ける方が圧倒的に難しい。始める動機は1回限りだが、継続する動機付けは毎日必要になるからだ。著者の動機は何だったのだろう。当時の著者の所属会社であるジャストシステムの利害はもちろん、日本の国益すら超越し、世界のために尽くす使命感なのであろうか。

どの読み方であっても十分面白い。お勧めする。


ユニコード戦記 ─文字符号の国際標準化バトル

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▲私の蔵書の一部。単に乱雑なだけではなく、整頓も全くされていない

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