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IT技術者教育に携わって25年が経ちました。その間、変わったことも、変わらなかったこともあります。ここでは、IT業界の現状や昔話やこれから起きそうなこと、エンジニアの仕事や生活について、なるべく「私」の視点で紹介していきます。

スティーブ・ジョブズからのプレゼント「知的自転車」

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2011年10月9日付けでComputer Worldに書いた記事を若干加筆しました。スティーブ・ジョブズ氏が亡くなった日(2011年10月5日)の直後だったことを考慮してお読みください。

そして、この続きを会社のブログに「さようなら、スティーブ・ジョブズ。知的自転車をありがとう」として書きました。こちらもよかったらどうぞ。

なお、知的自転車発言はオリジナルビデオ映像が公開されていたのですが、いつの間にか消えていました。


■スティーブ・ジョブズが「発明した技術」など何もない?

スティーブ・ジョブズの功績をざっと挙げてみよう。Apple II、Macintosh、iPod、iPhone、iPad、そしてiTune Music Store。どれも歴史に残る偉業に違いない。だが「ジョブズが発明した技術は何もない」ことは、エンジニアなら誰でも知っている。

世界最初の、完成品としての商用パーソナルコンピュータ「Apple II」はアップルの共同創業者であるスティーブ・ウォズニアックが個人で設計したものだし、MacintoshのGUIはゼロックス社パロアルト研究所の成果を取り入れたものだ。携帯音楽プレーヤの構想は1997年に三洋電機オーディオ部門のトップだった黒崎正彦が提案したものが最初だという説もある。

iPhoneの研究は2004年頃から始まっていたようだが、2002年にはHandspring社によってPalmOSを採用した携帯電話付きのPDAが発売されている。2010年に発表されたiPadはタブレットPCを革新したが、タブレットPCそのものは2002年からある。

iPodの成功の最大の要因はiTune Music Storeだと言われるが、オンライン音楽配信はそれ以前からある。たとえばレーベルゲート社の設立は2000年で、iTune Music Storeは2003年の開始である。

■「自分ならもっと上手くやれる」という信念

それでは、一体何がジョブズの功績なのか。それは「今あるものよりも圧倒的に素晴らしいものを『再発明』した」ということだ。改良なんていうレベルではない。

先週から、ジョブズに対する追悼文が多く公開されている。筆者が最も感心したのはアスキー総合研究所で、元月刊アスキー編集長の遠藤諭氏のコラムである(実際にはCEO引退時のコラム)。

ジョブズは「技術の発明」はしていないが、「自分ならもっと上手くやれる」という信念は誰にも負けなかった。

ウォズニアックが作ったApple Iを見て、ジョブズはこう言ったと伝えられている。

「これにキーボードを付けてプラスチックケースに入れたものを売ろう」

本体とキーボードが一体になったこの形態は、その後IBM PCが登場するまでPCの標準形となった。

その他の製品も、よい素材を見つけてきて、他のものと組み合わせ、全く新しいものを作るというプロセスは共通している。ノートPCより重かったタブレットPCは、iPadでやっと実用的な道具になった。「iTune Music Store」と「iPod」、そしてPCの連携は他の誰にも真似できないシステムだ。

ジョブズは「技術」、つまり素材を発明してはいないが、製品やサービスを発明した。タマネギ、ジャガイモ、ニンジン、肉があれば誰でも美味しいカレーが作れるわけではない。

ジョブズは単に美味しいカレーというだけではなく、誰も見たことも食べたこともない、それでも確かに「素晴らしいカレー」としか言えない料理を作ったのだ。

■本質を見極め、不要なものを切り捨てる

Macintoshは最初からネットワーク機能を備えた先進的なシステムだった。Macintoshでは初期のモデルからLocalTalkという専用のネットワークを使ってプリンタを共有できた。というより、LocalTalk接続のプリンタLaserWriterは最初からプリントサーバーとして構成されており、Macintoshはそのクライアントとして動作したみたいである(この辺、筆者はあまり詳しくないので、間違っていれば指摘してほしい)。

ところが、ネットワークやGUIの先進性に比べ、タスク管理メモリ管理とは非常に貧弱だった(もちろん現在では改善されている)。

複数のプログラムを同時に実行するという意味でのマルチタスクは(一部アクセサリを除いて)できず、タスク切り替えのみが可能だった。そもそも1人の人間が複数の仕事を完全に同時にこなすことはできない。だから素早い切り替えさえできれば問題ないということなのだろう。

また、かなり後になるまで効率のよいメモリ管理機能も持たなかった。i386で動作するWindows 3.xは、すでに部分的なデマンドページ仮想記憶機能を持っていたのに、Macintoshのアプリケーションは、個別にメモリ割り当てを必要とした。しかも、その割り当て方が分かりにくい。筆者はメモリ不足で動かないアプリケーションを動作させるのに2日間を費やした。インターネットが一般的ではなかった頃である。

マウスだって「1ボタンマウスは作業操作効率が悪い」という研究成果が1970年代にはあったはずである。しかし、Macintoshは熟練者の作業効率より、初心者の覚えやすさを優先して1ボタンマウスを採用した。

本質を見極めて、不要なものを切り捨てる割り切りがジョブズの哲学だ。マイクロソフトだとこうはいかない。YouTubeに「もしもマイクロソフトがiPodのパッケージをデザインし直すとしたら」というパロディビデオがある。噂ではマイクロソフトの社員が関わっているらしい。このビデオを見ると、アップルの特徴が逆によく分かる。

■欲しいのは自転車

ジョブズはかつて「パーソナルコンピュータとは何か」と聞かれてこんなことを言っている。

それについては、自転車とコンドルとのアナロジーで答えたい。数年前に、僕は「サイエンティフィック・アメリカン」という雑誌だったと思いますが、人間も含めた地上のさまざまな動物の種の、運動の効率に関する研究を読みました。その研究はA地点からB地点へ最小限のエネルギーを用いて移動する時に、どの種が一番効率が良いか、結論を出したのです。結果はコンドルが最高だった。人間は、下から数えて3分の1のところにいて、あまり印象に残っていません。

しかし、人間が自転車を利用した場合を、ある人が考察しました。その結果、人間はコンドルの倍の効率を見せました。つまり、自転車を発明した時、人は本来持っている歩くという肉体的な機能を拡大する道具を作り出したといえるのです。

それゆえ、僕はパーソナルコンピュータと自転車とを比較したいのです。なぜなら、それは、人が生れながら持つ精神的なもの、つまり知性の一部を拡大する道具(ツール)だからです。個人のレベルでの生産性を高めるための特別な関係が、人間とコンピュータの関わりの中で生まれるのです。

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出典:旺文社「TWO STEVES AND APPLE」
(復刊ドットコムで復刊リクエスト受付中)

これが有名な「知的自転車(Intellectual Bicycle)」発言である。

同世代のビル・ゲイツは、個人用のコンピュータからスタートして企業活動をサポートするようになった。企業活動時間は個人生活時間の1/3を占めるうえ、収入の大半の源であるから、別に矛盾することではない。しかし、ビル・ゲイツも、実は純粋に個人的な活動をサポートしたかったような気がする。

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▲ジョブズが説明する知的自転車の図(「TWO STEVES AND APPLE」より)
手書きだがジョブズ本人が書いたかどうかは不明

自動車やバスではなく、自転車を作りたかったジョブズは、企業活動をサポートする製品をほとんど出していない。Macintoshは最初からネットワーク機能を持っていたのに、Active Directoryのような統合ユーザー管理システムはなく、複数のコンピュータの設定を一括管理するグループポリシーのような仕組みもなかった。それは、コンピュータが個人のプライベートな領域だったと考えていたからかもしれない。誰も、自分の自転車の色や形に口出しして欲しくないはずだ(もちろんブレーキは必要)。

■スマートフォンの行方

企業内でスマートフォンの活用が進んでいる。個人所有のスマートフォンを企業システムに接続することも増えてきた。しかし、企業システムに接続するなら、企業のルールに従う必要がある。これはジョブズの思想に合わないように思えてならない。

これからもアップルは個人の知的生活をサポートすることに徹するのか、あるいは企業活動も含めてサポートするのか、ジョブズならどう判断するだろう。

ともかく、スティーブ・ジョブズは我々に、知的能力を大きく拡大する自転車を贈ってくれた。感謝して、氏のご冥福をお祈りする。

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