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なぜ若者はお金を稼ぐことを悪と捉えるか?(あるいは、お金を使う快感について)

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最近の若い人はお金を稼ぐことを悪いことと捉えることがあるようです。なんでなんでしょうかね。

と他人ごとのように言いつつも自分自身も、特に初任給から数ヶ月の間はお給料をいただくことに罪悪感を覚えていました。その観点から3つの原因が思い浮かびます。

1)大学時代のバイト経験で得た労働観
2)新卒の募集サイトが美し過ぎ
3)お金を使った経験がない

1つ目は大学時代のバイトです。バイトの給料は安いです。安い報酬体系に慣れた状態からいきなり月に20万円前後の給料をもらいます。場合によっては毎日研修しかしません。何も生産をしていないのに月に20万円前後ももらって大丈夫かな?という気持ちになることもあるでしょう。

それに加えて、バイトを大量に使うようなビジネスモデルでは、決して一般的なことではないながらも、限定的に「ぼったくり」のようなビジネスモデルもあります。バイト生活の中で、プロモーションの妙だけで利益率を押し上げる経験をしたことがある人もいるでしょう。例えば、本当は100円くらいの価値しかない商品に1000円くらいの値段を見せ値にして50%OFFの500円!(400円ボロ儲け)みたいな商法に手を染めた経験があれば、利益=ぼったくりが具現化したモノみたいな思想に染まることがあるかもしれません。そこまで極端ではないにせよ、どこかで利益とは「騙して得るもの」だというビジネスモデルに袖を擦り合ってしまうと20歳そこそこという年齢も踏まえるとすっかり刷り込まれやすい年頃でもあり、働くことは騙すことみたいな思想を持ってしまうきっかけになることもあるでしょう。

2つ目は企業が学生を誘引する新卒募集サイトに登場する社員のコメントです。彼らの仕事内容は得てして美しすぎます。今、一部で非常に話題になっているニトリの社長のようなぶっちゃけた経験を登場させる企業は一握りです。そして何故かわかりませんが年の売上が○億に達したとか、○年○億の契約をゲットしたみないな生々しい話はあまり登場しません。(入社したら「成果主義」でそれらを求めるのに新卒サイトだけノド越し爽やかにするのはフェアでないと思いますが。)どちらかというとCSR的な色合いの強い社会貢献や自己実現といった文脈に適合する先輩経験談が重んじられがちであるように思います。そうすると、そうした経験ができるものと信じこんで収入とかは二の次として就職した学生が、新卒配属先として情弱ビジネス御用達みたいな部署に突っ込まれ、例えば携帯電話の料金プランで2年縛りの存在を如何にユーザに忘れさせ、更に解約までの画面遷移を複雑にして解約ハードルを高くして「解約コンバージョン」を下げまくることをミッションとする部署などに配属されてしまうとしたら、もしそれが企業の利益率を直接的に押し上げ株主の期待に応えることに貢献する仕事であったとしても、新卒募集サイトのキラキラ感との落差からしてそんな毎日じゃ気の毒なことでしょう。

そして3つ目はお金を使った経験が少ないことです。というのも私のこれまでの30数年の人生からすると、詐欺的なビジネスは別として、それなりに有名で長年の実績のある企業にそれなりにお金を払うとビックリするほどパフォーマンスが良く気持ちのよい思いをすることができるという経験則があります。平たく言うとディズニーに5000円払っても帰り道はニコニコできるみたいなもんですね。

永井孝尚さんの「100円のコーラを1000円で売る方法」という著名な書籍があります。そちらを読むとわかるように単発で詐欺的な商法であれば持続的に1000円の値段を維持することはできません。バリューがあるからこそ、すなわち1000円払ってよかったと実感するユーザがいるからこそ今も1000円のコーラが存続し続け得るのです。様々な業界に「1000円のコーラ」的なビジネスがあります。ただ、傍から見るとぼったくりと見分けがつかず、実際に経験をしてみないと1000円払って良かったか公開したかという審判は難しいのです。

果たして1000円払って良かったなという実感の正体は何なのでしょうか。その正体とは、自分で1000円分の労力を費やしたとしても、それを得られないだろうなという想像ではないかと思います。言い換えれば、1000円を払うことで自分自身の1000円分の全力投球を他人にやってもらうということです。更に踏み込めば、自分が過去に行った全力投球の1000円分を他人の1000円分と交換することに他なりません。つまり、自分がいつも全力投球をしている人からすれば、お金を使うということは自分が過去に流した汗を振り返り、自分でそれを追認し、他人にも同様の努力を依頼することになるのです。

気持ちの良い商品やサービスというのは得てして高級です。気持ちの良い風のサービスを驚くような低価格で実現するビジネスモデルも有りますが、本当に良い財・サービスとなるとなかなか価格が下がりません。それはなぜかといえば、それらを得たい・経験してみたいと思う人が自分以外にもたくさんいるからです。それを大量に供給することは簡単ではないので、需要と供給の不一致が生じてすぐに価格が上がります。高い価格を乗り越えてでも得たい・経験したいと思わせるだけの財・サービスというのは本物の価値を伴っています。そこにお金を払えば満足を得ることができると理解されているからです。そしてそのお金の出元を振り返れば、自分自身がお客様に対して高品質な財・サービスを提供してきたことの裏返しということになります。つまり良いサービスにお金を払うことは自分自身が良いサービスを提供していることに帰結するのです。ということは、より良いサービスをより多く受けるためにはより多くのお金を稼がなくてはなりません。そのためには自分がより多くの努力をしてより多くのお客様に対してより高い満足を提供す必要があります。

お金を稼ぐことをあまり良く思っていない若者であっても、お客様に高い水準の貢献をすることを悪いと思う人はほとんどいません。むしろ、低い水準の財・サービスを提供しつつも、情報戦によってあたかも良い内容であるかのように騙してぼったくるビジネスモデル例外的に成長しつつあることから、真に価値あるサービスであるのにもかかわらず「高い」というだけでぼったくりと捉えてしまう風潮が若い人の間に広まりつつあるように感じられます。

とすれば、自分自身がコーラでも腕時計でも車でもレストランでもホテルでも何でも良いので、高いけど本当に良いという経験を積み重ねることが必要なのではないでしょうか。稼ぐというのは自分以外の人々に自分の能力・価値を認められることなのだと、つきつめれば、様々な労力や工夫が込められた財・サービスを受容できるのは、自分自身が同様の水準の財・サービスをお客様に提供出来ているからんだという円環の中に入ることができれば、もう稼ぐことは悪いことだなんて感じることはないのだと思います。

もっとも、ライフスタイルが変化したことによって車も要らない、酒も飲まないであまり消費をしなくなってしまったことで上質な価値を経験する機会が減っていることはたしかでしょう。そのせいで自分が他者に対して高いレベルで財・サービスを提供できていることを実感する場面が減ってしまっているのかもしれません。

そこのところは日経平均が2万円に来たというところを記念して、バブル世代が万冊を扇状に開いてタクシーを止めることでもって後輩たちに叩き込んでいくところなのか、いやそれはさすがに違うだろと思い悩むところであります。

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