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侘びとして深夜労働

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夏休みということで早起きをしてラジオ体操に向かう子どもを見かけた方もいらっしゃるかと思います。生活リズムが崩れがちな夏休みに早起きを推奨する仕掛けはおもしいろいものです。

私が学生のときにコンビニエンスストアで深夜バイトをしていました。特に深夜バイトは学生は学業に支障が出やすいですし、かなり少なくなったとはいえ強盗の危険もあります。もし帰りたくなっても帰る足(公共交通機関)がありませんので、自転車や徒歩で来られるような距離に住むバイトを確保するか、そうでなければ車やバイクを止められるお店でなければなかなか勤めたくない環境です。

深夜のお客様は確かに見た目が怖い人や酔っぱらいもいるのですが、感じが良い人が多いことにも気づかされます。夜に開いているお店が少ない中で、明るく清潔で食べ物も漫画もあるコンビニはほっとできる場所なのですね。他の時間に比べて話しかけてくれたりするお客様が多かった気がします。また、自分自身も稀に始発前の変な時間に仕事を終えた場合には近所の牛丼屋などに行くことがありましたが、そんなときは店員さんに親切にしてあげたくなるものでした。また、京都市では当時家庭ごみを夜間に回収していたり、パトロールをしている警官がいたり、道路工事の人がいたりという感じに中高生のときまでは出会うことのなかった夜の世界の人達を身近に感じたことを覚えています。自分の寝ている時間帯にも社会を維持してくれてる人がいるんだなー、あ、自分もその一員になってるのか、と大学生ながらに充実感がありました。

私はそれまで夜の世界の人達を見ると「自然でないことをしている」すなわち皆のため社会のために何かを犠牲にしている偉い人たちというように感じていました。しかし自分もコンビニの夜勤をしばらくやってみて体が慣れてくると、別に何かを我慢しているわけでもなく自然体でいられるんですね。ラジオ体操などを通じて自然と早起きを礼賛する環境で育ったために深夜まで起きていることを大変なことであると思うようになったのかもしれません。条件を整えさえすればさほどしんどいことではありません。

その一方で、この感覚を利用して平日日中勤務のサラリーマンでも「侘び」の姿勢を示すために敢えて徹夜や深夜残業をするといったことがあるのではないかと思います。「昨日2時まで頑張ったのですがここまでしかできませんでした!」というようなフレーズは一度くらいは耳にしたことがあるのではないでしょうか?それは何も生み出さないのですが、自分を痛めつけることで許してもらう雰囲気を醸し出すことができます。(効果は相手によって異なります)

そうか。夏休みの風物詩といえばラジオ体操ともう一つ。8月31日の深夜まで宿題を続けたけど最後まで終わらなかったというのもありましたね。大人になっても同じ過ちを繰り返さぬよう、子どもたちには計画通りに進めることを教えてあげなくては。

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