ブログ炎上という自責の杖
今から124年前の1880年に起きたことです。創立して間もない同志社大学で初めての学校内での紛争が発生しました。その事件の発端や推移は以下のリンクをはじめとして様々な資料がありますのでこちらでの解説は省略しますが、最後はこのように収まりました。引用いたします。
学力の違いから分かれていた2年生の2組を年度途中で新島襄校長ら学校当局が合併することを決議したために、2年上級組が反発しストに突入。新島はいったんは教員会議で校則にしたがって1週間の謹慎処分を下したが、途中で処分を解除した。そのために新島は、全校礼拝の席で持参した杖が折れるほど自分の掌を強打し、「今回の紛争は学生や教師たちの責任ではない。すべては校長たる自分の責任である。よって校長を罰する」と言ったという。新島の教育姿勢をよく示す。
この一件は「自責の杖」として折れた杖の実物と共に学内や学外で今も語り継がれています。
話題をオルタナティブ・ブログに変えますと、炎上というものが過去よく発生していました。ゼロになったわけではありませんが、昔と比べればすっかりと落ち着いたように感じます。古いデータですが2010年3月に私が調べた時点では1エントリに50以上のコメントがついたものが10本以上ありましたが、その内訳はこのようなものでした。twitterの流行でブログのコメント欄の過疎化が始まった影響も否めませんが、コメントスクラムが穏やかになってきているように感じられます。
投稿年月 | コメント数 |
2006/7 | 108 |
2006/7 | 78 |
2006/11 | 107 |
2007/1 | 412 |
2007/1 | 394 |
2008/5 | 61 |
2009/3 | 59 |
2009/3 | 74 |
2009/7 | 84 |
2009/12 | 221 |
あまり表立って語られることではありませんが、オルタナティブ・ブログではブロガーズミーティング等の機会に炎上事例について情報共有と反省が行われることがあります。組織だって行うものではなく、飲みながら食べながら自然発生的に開催される感じですが、ついつい「ひどいよねー」と自分たちを正当化してしまいがちな状況であるのに真摯に批判を受け止めることが多いように感じられます。
ブログの炎上は書いた方が悪い、その考え方は私がオルタナティブ・ブログに参加してからずっと変わらず大切にされてきた原則になっているようです。
口の悪い人に言わせればコメントスクラムを起こす方々は「ネットイナゴ」などと表現されることもありますが、自分の至らなさへの「お叱り」と受け止めればきちんと前に進むことができるのですね。