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大学のとき男→男のセクハラを受けた

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定期的にセクハラに関する研修を受ける機会があるのですが、それを機に思い出しました。大学のときバイト先で男の先輩からセクハラを受けました。

二人きりになったときに背後から私のズボンの両ポケットに両手を入れ、揉む。

それだけなのですが、嫌でした。それは実は揉まれることが嫌だったということではありません。(いや、嬉しかったということもありませんが)そのことを相談できないことが苦しみのほぼすべてであったと言えます。

職場の雰囲気はフランクな感じでした。何人かの男たちでプロレス技をかけあうとか、寒い日にジャンケンで負けた人の背中やお腹で冷えた指先を温めるとか、濡れタオルでしばきあうというようなことがありました。とはいえ両手で揉む(しかもわりと紳士的に)というのは明らかに初回から身構えるできごとでした。「いつもの遊びがエスカレートしたのか」という考えは自分に言い聞かせるために思い浮かべるだけで、自然にそう思えるような状況ではありませんでした。

上司に相談できるかといえば、ひょっとして上司も加勢したらどうしよう、というありえない心配に加えて、相談された上司も困るだろうという思いと、何か怒られそうな予感と、本人にバラされたら面倒だという思いから難しいように思われました。そういった無力感はセクハラ行為そのものよりも大きな悩みでした。

とはいえ全然ひきずるようなものでもなく、未だに嫌な思いがあるということもないですし、男性が好きな男性の方に嫌悪感とか拒否感を持つということはありません。ヤマジュン先生関係のネタを見れば笑います。肯定的な思いや興味を持っているということもありませんが。むしろセクハラ体験以前のほうが自分と縁遠い世界であるように思えたためか、マイノリティな方を蔑むような考えを抱いていたように思います。

この体験から考えるに、実際にセクハラの被害にあうとこのような気持ちになるのではないかと思います。

  • 相談できない(被害な長引きそう)絶望感
  • 周りが気づいてくれない疎外感
  • 周りの人にとって自分の問題は大したことじゃないんだという劣等感
  • 他の人からも狙われるかも知れないという周囲の人への疑心暗鬼

非常に言葉は悪いですが、揉まれても文字どおり「減るものじゃない」んですよね。受け止め方の性差と個人差は非常に大きいかもしれませんが、その事自体で気が滅入ることはないのではないかと思います。それよりも相談できないことや、それにより周囲の仲間であるはずの人を信じられなくなるような心理的状況こそがセクハラ問題の根を深くしているのではないでしょうか。

最近では男性から女性へのセクハラといっても触るとか、下着の色を聞くというような直球を投げることは非常に少なくなってきているという印象があります。それよりも普段の何気ない発言のなかに性的な言動が含まれるケースでは、傷つけた側もそのことを認識できないということが問題になっています。これは女性から女性への発言も対象になるようで、先輩の女性社員が新婚の後輩女性に「子どもはいつ頃の予定なの?」と聞くこともタイミングや両者の関係次第ではセクハラに該当すると言われます。これも相談しづらい悩みを抱えるという根っこは同じことかもしれません。その予防には普段から密なコミュニケーションにつとめ、相手の性格や心情を把握して思いやりのある会話を心がけるのが良いと聞きました。おっさん化が進み、話しかけようとすること自体がセクハラだと言われてしまったらどうしよう。

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