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DSの成功で重厚なゲームが無くなるかもしれない

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Xbox,PS3の不振とDS、Wiiの流行で
お手軽簡単なゲームが主流になりそうです。

ゲーマーについて

ゲームの世界もファミコンとスーパーファミコンが
中心だった頃はお手軽簡単なゲームが中心でした。
中にはクソゲーと呼ばれるお手軽でも簡単でもない
地雷のようなゲームもありましたが、
多くのゲームはスーパーマリオのようなわかりやすいものでした。

プレステやセガサターンなどの登場で
ゲームは表現力の向上と容量の増大を果たしました。
昔からゲームをやってきた人にとっては、
ポリゴンがぐりぐり動く3Dゲームや、
主人公が笑ったり泣いたりするアニメーションを見ることは
念願だったことでしょう。

しかしそのような「ゲーマー」の人にとっての喜びは、
ゲーム市場のもう1つの主人公である「子供ゲーマー」にとっては
マイナスに働きました。ゲームとゲームの間に延々と繰り広げられる
シリアスなドラマ。分厚い説明書。攻略本を買わなければ
到底クリアできない難解なシナリオなどです。

このような背景があり、ゲームの業界はお子様ゲーマーと
大人ゲーマーに分かれてきていました。
プレステおよびプレステ2はそのどちらも包み込む事ができた
ハードであったように思います。
セガサターンとドリームキャストは大人ゲーマー向けでした。
ニンテンドー64はどちらかと言えばお子様ゲーマーが中心でした。
Xboxは大人ゲーマー向けです。
3DOやネオジオなど消えて言ったゲーム機は大人ゲーマー向けでした。
PC-FXは大人ゲーマーと言うよりはアダ(略

そして携帯ゲーム機ではワンダースワンやゲームギアなどの屍の上に
ゲームボーイ系統の各機種とニンテンドーDSが君臨しています。
これはポケモン効果によるところが大きいと思われます。
PSPもスリム化してワンセグ外付け可能になるようで、後を追っています。
これら携帯ゲーム機はお子様ゲーマー中心と言ってよいと思います。

このパワーバランスを崩したのがWiiとDSです。
Wiiはフィットネス中心のゲームが得意です。
DSは脳トレに代表される教育ソフトやレシピソフトなどが多数投入されました。
この2つにより、普段はゲームをしない層を開拓されました。
その市場が大きくなり、ゲームのヘビーユーザー層のパイが小さくなりつつあります。

ここにプレステ3やXBOXが得意とするような重厚な3DCGゲーム満載のゲームを
投入しても一部のヘビーゲーマー層の市場しか獲得できません。
逆に、わかりやすくて簡単なゲームは広くたくさん売れると予測されます。

円本の広がりとの類似性

この構図は円本の広がりと似ているように思います。
円本は1冊1円の本です。もちろん現代の話ではなく、
昭和2年(1927年)から刊行された「日本文学全集」などの本です。
それ以前には、文学の本というのはインテリな人が読むものでした。
ところが1900年初頭あたりに今の高校・大学にあたる学校が
日本各地に作られてきます。このことが変革を起こします。

京都帝国大学……1897年 ←折田彦市先生の努力によります。
東北帝国大学……1907年
九州帝国大学……1911年
北海道帝国大学……1918年
(Alma Materである同志社大学は1875年創立ですが、私立大学になったのは1920年です。)

高等教育を受けることが珍しくなくなり、本を読む人が増えました。
そこにサラリーマンという労働スタイル=自宅以外の場所で働く=通勤する
という職業も増加します。結果、バスや電車で本を読む機会が増えました。
いくら高等教育を受けていても出勤・帰宅の時間にハイデガー読むのは
つらいですので、おもしろおかしい本が大ヒットするようになります。
「お前、今月の●●先生の新刊読んだ?」などといって共通の話題にもなります。
こうして娯楽という側面が強い読書が日本に広まっていきます。
お堅い本は一部の人にしか売れなくなり、
さっと読めておもしろい本はたくさんの人に売れるようになりました。
この風潮は今に至るまで変わらないと思います。

ゲームと本の市場の類似点

さて、本の市場というのはネットの侵食に対して
思ったよりも影響を受けていないように思います。
しかしその一方でケータイ小説(笑)というようなジャンルも現れています。
これは本が読まれなくなった結果として、出版コストが遥かに低い
ケータイ出版というスタイルが生まれてきたという現象です。

もしケータイ小説が儲かることが広く明らかになった場合、
いくつかの出版社がケータイ出版に転換しても不思議ではありません。
そうすれば、移転した会社の分だけ重厚な本は出版されなくなります。
もし装丁や編集に独自の技術やスタイルを持つ出版社が書籍の出版をやめてしまえば、
その作業がロストテクノロジー化する可能性も否定できません。

同様のことはゲームでも発生し得ます。
DSやWiiで主流のゲームは壮大なCGムービーや複雑な遊び方を必要としません。
そのようなゲームを開発するほうが、PS3やXboxのゲームを開発するよりも
売り上げと利益が出ることがわかれば、そちらへ移行する企業は増えるでしょう。
結果として、PS3やXboxの市場は減少する可能性があります。
そして技術者も流出し、気づいたら誰もプログラミングできないという状況になるかもしれません。

本というのはハードウェアの壁というものがありませんので、
「純文学」というジャンルが丸ごと脱落することはありません。
しかしゲームの市場は違います。PC-FXや3DOといったハードウェアを
見かけることが無い様に、ハードウェアごと脱落してしまいます。
なぜなら、PS3向けにプログラミングしたソースコードを
そのままDS向けに流用することはできないからです。(たぶん)

行く末

ハードウェアごと脱落した市場では、中古市場で既存ゲームの流通は行われますが、
新規参入するゲームメーカがいなくなり、緩慢な死が与えられます。

本の世界では、お手軽な円本が流行した時に
「本というのは重厚なものであるべきだ。なんだこの軽薄な風潮は!」と
怒り狂った文学者がたくさんいました。

青空文庫から引用します。原典はリンク切れ中ですのでリンクしませんが、
ローカルに保存してありましたのでそこからコピペしました。

宮武外骨『一円本流行の害毒と其裏面談』(1928) より。

版刻の売本が始まった慶長以来未曾有の大弊害なり
円本出版屋の無謀
図書尊重の念を薄からしむ
円本著訳者の悖徳
予約出版の信を失なわしむ
普通出版界に普及せし悪影響
融通金主の当惑
多数少国民を荼毒せし文弱化
印税成金の堕落
広告不信認の悪例を作りし罪
国産用紙の浪費
批評不公正の悪習を促せし罪
製本技術の底下
通信機関の大妨害
一般財界の不景気を助長す
運輸機関の大障礙
一般学者の不平心を醸成す
全国各地津々浦々までへも及ぼせし稀代の大流毒なり

いきなり「慶長以来未曾有の大弊害」と叩いています。
これだけ他人を叩けるならば現代に蘇って2chに行っても泣かずに済みそうです。
おもしろいのでいくつかを抜き出してゲームに当てはめてみました。

ゲームを大切に思う気持ちが無くなってしまうぞ!
ゲーム予約して楽しみに待つ気持ちが無くなるぞ!
お手軽ゲームがヘビーゲーマー界を侵食するぞ!
重厚系ゲーム開発屋が融資に困るぞ!
多くの国民のゲームスキルが低下するぞ!
広告ではおもしろそうなのにクソゲーじゃないか!
シリコンの無駄遣いだ!
ポリゴン開発のスキルが低下するぞ!

などなど。ゲームに対する似たような思いをネットを探してみたところ、
いくつものサイトが見つかりました。
例えば、DSのソフトが売れるようになったら技術者がDSに移転してしまって
PS3やXboxの開発者層が薄くなるのではないか?
という指摘が随分前にされていました。

もしそのような事が現実になった場合、
上で述べた「ハードの壁」という書籍とゲームとの業界構造の違いにより
負け組みハード市場は「縮小」でなく「撤退」となってしまうしょう。

書籍の分野で、撤退してしまった分野というのはほとんど無いと思います。
しかし、今生きている日本人で純文学・哲学・思想から1人ずつ挙げろと言われると答えに困ります。
これは私だけじゃない……ですよね?
普通の人があまり純文学や哲学・思想というジャンルを読まなくなり、
宇宙人・未来人・超能力者に囲まれて学園生活を送ったり、世界の中心で愛を叫んだり、
背中を蹴ったりする作品のほうが大きく取り扱われます。
この流れはゲームも本も一緒です。
「売れないものは創生されない。売れるものが作られる。」ことに違いはありません。

円本が切り開いた大衆文学の歴史に学ぶところは大きいです。

# 2007/7/24 リンクを追加

一円本流行の害毒と其裏面談
宮武外骨

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