思い込みの強い人と、どう関わっていくべきか
昨日は地元のお祭り。今年も神輿責任者として、楽しんできました。なんでしょうね、あの高揚感。
地元、墨田区のお祭りは20数名の「世話人」と呼ばれる人たちで運営しています。お神輿のことだけでなく、神酒所(みきしょ)と呼ぶ、いわゆる休憩所の設営、当日のスケジュール、お神輿や山車が巡航する道路の使用許可手続き、当日までの子供たちに配るお菓子の手配などなど、やるべきことは山ほどあります。これが、毎年あるわけです。
そして、それらの世話人の平均年齢は、おそらく60歳超え。僕から下の人を除くと、平均年齢は70歳くらいになると思います。ほとんどが前期または後期高齢者。そういうおじさんたちが、あちこち飛び回り、また一生懸命運営することで、地元のお祭りは成り立っています。そして、そのメンバーのほとんどが町会運営もやっているわけですね。餅つき大会とか、盆踊りとか、これまた年中いろいろな行事を運営してくれています。
こういう人たちは、多くの経験を持っているので、僕たちは学ぶべきところがたくさんあります。基本的にいい人たちばかり。いい人たちでなければ、世話人なんて務まりませんしね。そして、とても良く働く、気持ちいい方々。しかし、その一方で、面倒くさい(笑)特徴もあります。それは、「思い込みが強い」ということなんですね。「こうだ」と思ったら、あまり他人の意見を聞きません。話を聞いているようですが、それは相手が話し終わるのを待っているだけ。全然聞いていない(笑)
今のやり方よりも、「こうするといいんじゃないか」という提案をしても、その場では「いいね、それ」とは言うものの、次の瞬間には今までのやり方をやっている。(笑)一事が万事、こういう状態です。
僕は、この人たちと十数年付き合ってきて、一つの結論に行き当たりました。それは、決してこの人たちを、理論で落とそうとしないこと。論破しようとすればするほど、相手は耳を閉ざすんですね。で、それが積み重なると、「あいつはうるさい」とか「口ばっかりだ」なんて、根も葉もない話になってしまう。これでは、論破した目的を果たすことができません。僕は世話人の一人として、こういう人たちに、どうやって理解してもらって、どうすると前に進むことができるのか、ばかり考えています。その方法の一つが「共感」です。なんでもいいので、共感できるポイントを持ち合う。そこを共有することで、理解しようという姿勢が、少しばかり出てくる。でもって、そこでようやく会話が始まるように感じています。
これは、決して高齢者だけではないと思います。そのことについて経験が長い人ほど、同じやり方を踏襲したがる傾向がありますよね。違ったやり方を怖がっているわけではないのだろうけど、そのリスクが心配なのかもしれませんし、単に違うやり方をしたくないだけかもしれない。そういう人を論破することには、何の意味もない。そんなことを感じている今日この頃です。