発注者責任ということ
先日来、話題になっていることで感じたことです。
日本では、「お客様は神様」なる妄信があり(歌手の三波春夫さんの言葉を誤解した、という説もあるようですが)、すべての問題は受注者にアリ、という風潮を持った人たちがいるようですが、はたしてそうなのか、と。僕は、ちょっと違和感があるのです。
僕は、自社の仕事として「発注者」「受注者」および「発注者の補助」など、いろいろな立場になることがあります。発注者の場合も、自社のことで発注することがありますし、お客様に納品するものを発注する場合もあります。ハードウェアやソフトウェア(完成品という意味で)もありますが、未確定のものを発注する場合もあります。この「未確定のもの」の発注が一番むずかしいわけです。だから、弊社のお客様の中には「発注者の補助」をご依頼いただくことがあるのですね。自分たちだけでは経験とか知識が足りないため、我々に支援をご依頼いただくのですね。
発注者は、納品いただくものについて、何をもって完成か、といった定義をする必要があります。でないと、例えば開発するソフトウェアなら、ゴールが分からないので、受注者側に立つと、とても怖くて受注できない。もちろん、発注者側にとっても、いつになれば完成するか分からない。そんな状態では、発注もできなければ、受注してくれる会社も見つからないですね。
最近は「グランドデザイン」という言葉が普及してきましたが、その定義は明確ではありません。まぁ、当たり前で、それぞれのものによってゴールが違うわけですから、グランドデザインもそれぞれに変わってくるわけです。ソフトウェアなのか、デザインなのか、あるいは建築物なのか。もしかすると、街や公園を発注するのか。それぞれ、ゴールは違っていて、当然グランドデザインが違うのですね。なのに、グランドデザインを明確に固めないまま走っている光景を見かけることが、しばしばあるのです。
何かトラブルがあると、受注者だけが責められるのも、このあたりが不鮮明なまま走ってしまったからだと感じています。まぁ、外野が揶揄するのは別の問題がありますが、それにしても税金を注ぎ込んでいるとなると、外野とは呼べなくなってきますしね。
ダラダラと書いてしまいましたが、受注者責任は当然ある一方で、発注者責任も明確にし、二人三脚でゴールを目指すのが一番美しい姿であると感じた今日この頃です。