地域活動に参加すると、自分のスタンスが明確になる
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昨日は地元のお祭り。遠方から来てくださったみなさまには感謝です。
我々世話人だけではお祭りは出来ません。ですので、子供神輿や子供たちの山車には大勢のおとうさん、おかあさんたちが付き添ってくださり、交通警備や休憩所で出されるお菓子を配ったり、と走り回ってくださいます。
各休憩所では、子供たちにはお菓子、大人神輿にはお茶や食べ物、ビールなどいろいろ用意してくださいます。地元の信用金庫からは、袢纏を着て手伝いに来てくださいますし、地元郵便局からも女神輿を担ぎに来てくださいます。
また、多方面から担ぎ手のみなさんが来てくださいます。三社祭や神田祭のような有名なお祭りには、別に募集をしなくても人は集まってきますが、そこまで有名ではないお祭りですと、こちらも「助けてあげよう」という気持ちを持って集まってくださいます。
もちろん、お祭りは当日だけでなく、準備から後片付けまでありますし、地元の大勢の方の寄付も重要な役割を担っています。大勢の人のボランタリーな精神、活動で成り立っているのですよね。
そういう中で、自分自身はどのように関わっていくのか。地元のために「やってあげている」と思うのか、あるいは「参加させてもらっている」と感じるのか。人さまざまだと思います。
そういう中で、自分自身はどのように関わっていくのか。地元のために「やってあげている」と思うのか、あるいは「参加させてもらっている」と感じるのか。人さまざまだと思います。
最近は地域の活動に参加しない人が増えていると聴きますが、結構おもしろいものですよ。特にマンションに住んでいると、地域の人との交流は少ないでしょうが、そうやって交流してみると自分が住んでいる街を再発見できることがたくさんあります。そうやって、自分のボランタリーな活動が、巡り巡って自分に戻ってくるのかもしれません。また、そういう自己満足も地域活動の大事な動機付けであるのも間違いないのだろうと思っている今日このごろです。
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