「目的」を「意識」するというのは、いったいどういうことなのか
昨日、一昨日と連日のACNビジネスソリューションセミナーにご参加いただきました皆さま、本当にありがとうございました。昨日は最後のセッションの最中に地震があり、ご心配をおかけいたしましたが、無事早めにお帰りいただけて何よりです。我々は、電車の混乱を避けるという言い訳のもとに、少しばかり打ち上げて帰ってまいりました。
このようなセミナーもそうですが、日々の生活で言えば、食事をすること、飲み物を飲むこと、箸の上げ下ろしまで「目的」があるわけですね。まあ、箸の上げ下ろしまで、と考えてしまうと、脳みそが疲れきってしまうかも知れませんが。
僕が20代の頃に勤務していた企業は、なかなか社長に会う機会がなかったのですが、あるとき大阪に来られた社長とお食事をする機会に恵まれました。その時に言われた言葉が、今でも頭に残ってます。
「大木くん、こういう言い方をすると厳しいようだが、キミが給料をもらっていることにも意味があるんだよ。僕からすればキミに給料を支払う意味があるということだ」
前後の会話がすっ飛んでしまうくらい、この言葉だけが強く残っています。そうか、僕が給料をもらえる意味、理由があるのか、と。それは決して「給料を払ってやっている」というような上から目線の会話ではなく、優しいトーンで言われたため、僕にとって自分の仕事について考えなおす、いい機会になったんですよね。
僕が給料をもらう意味、経営者が僕に給料を支払う意味は、その対価以上の働きをするから。あるいは、それを期待しているから。それが期待通りでないのなら、当然給料は下がるわけです。それは決して、労働時間のことを指すわけではなく、成果のことを指すわけですね。何時間働いたとか、もっと言うと何時間会社にいたか、なんてどうでもいいわけです。まあ、当時は長時間会社にいないと成果は出せなかったですが、長時間いた結果出た成果という話と、長時間いたからどうした、という話は別。ダラダラくっちゃべってるだけ、でも時間は浪費しますしね。
それ以降、出来るだけ日々の行動の「目的」を意識するようになりました。この資料を作っている意味、会議の議事録を録る意味、会議に参加する意味、それぞれの目的は何か、といったことを意識するようになると、気持ちいいくらいに成果が変わってきたのですね。成果が上がると余計におもしろいので、また目的を意識して活動するようになる。いいスパイラルになっていきます。
昨日、一昨日のセミナーでは、ここに来られた方に、どうすれば役立てるセミナーになるのか、を意識した資料にしました。それを考え続けているため、初日と二日目では資料をずいぶん作り変えました。もちろん当社のお客様になっていただくことが最終目的ですが、目先の売上と言うよりも、参加いただいた皆さまが何を持ち帰っていただけるか、ということにフォーカスしているわけです。今回は当社のお客様になってくださらなくても、僕がお話したことを実践してみたらいい結果が出た。数カ月後に「ちょっとまた相談してみるか」というように思い出していただければ幸いなのです。
来週は大阪で、僕にとって今年最後の講演があります。 参加者の皆さまに役立てる講演にしたいので、今週とは資料が変わると思います。ギリギリまで粘ってみたいと思う週末です。