ノマドワーキングってなんでしたっけ?
ノマドワーキングという言葉はもう十分に定着・・・というか、どんどんブレ始めているようです。昨年、社員が出社しなくても仕事が止まらない会社のつくりかた という本を書いたのですが、その中でもノマドワーキングについてご紹介しています。そこで僕が定義しているのは「どこでも仕事が出来るワークスタイル」のことなのですが、いつの間にかカフェで仕事をすること、に変わってきていたりするのでしょうか。
中には「ノマドになりたい」とか、「ノマドの連中は」なんて会話が飛び交っていたりして、もう何が何やらわかりません。「ノマドになりたい」という文字を見ると、爆風スランプの「ウワサになりたい」という曲を思い出すのは僕だけでしょうか。
そんなことを感じていたタイミングで、境治さんがこんなブログを書いておられました。
もうタイトルだけで「そうそう!」と扇子で膝頭を叩きたくなります。
会社なんて関係ない。会社の前に自分がいる。だから、会社員でもいいし、そうじゃなくてもいい。本来のノマドとは、ノマドにやっぱり思想があるのなら、そういう姿勢であるべきなのだ。ノマドはワークスタイルに過ぎないのだから、会社員であるかどうかは意味がないのだ。会社に縛られない生き方をするからこそ、会社員でもいいのだ。もちろんフリーランスでもいいのだ。どっちだっていいのだ。
「そのとおり!境さん、まあ一杯どうぞ」と、徳利の首を持ってススメたくなるくらい納得ものです。
ブロガーとして大好きなやまもといちろうさんは、ここでこういう話をされています。
面接で「ノマドです」と言われても、「で、あなたは何ができるんですか?」ってことですし、現実的な問題として、セキュリティ面でどこで働くのかは非常に重要な要素。ノマドだから雇うということはありえないし、むしろ逆。まあ、それ以前に、いい悪いは別にして、個人的に「そう言えてしまうお前ってなんなの?」と精神的に引いてしまうわけですけど。
あくまで働き方の一つでしかないことを主軸に話していると、こう言われてもしょうがないわけですね。
また一方で、逆にノマドワーキングを否定する方もいらっしゃいます。それはセキュリティ面だとかいうことではなく、カフェで一杯のコーヒーで長居することであったり、自称起業家が多い、などということについてであるようです。
それも本質でもなんでもなく、個別の問題だと思うんですけどね。
あくまで最近の言葉ですから、人によって定義がずれるのは致し方ないのかも知れません。しかし、ビジネスパーソンである以上、フォーカスすべきところは道具とか方法ではなく、達成するところにあるべきだとは思うのですよね。そのうえで、やりやすかとか、働きやすさといったものがあるのだろうと感じている今日この頃です。