あのね、ファシリテーションやってるからって、必ずファシリタティブではないんだってば
今はただ会費を払っているだけの幽霊会員になってしまっている、日本ファシリテーション協会というNPOがあります。2007年には、東京フォーラムという大規模なイベントの委員長を担当させていただいたり、以前は監事も担当していました。
このファシリテーション協会での定例会は、ファシリテーションを学びたい(はずの)人たちが来るわけです。でも、必ずしもファシリタティブな人ばかりではなかったりします。むしろ、内輪受けが大好きで、見知った顔だけで盛り上がって、新たに参加した人を置いてきぼりにしていたり。
もちろん、超ファシリタティブな人もいらっしゃいます。穏やかな雰囲気を醸し出しつつも、言うべきところは言うし、だからといって怒ったりはしない。常に、促進(facilitate)するためにどうするか、を考えていらっしゃる気がします。
時折「ファシリタティブじゃない」という言葉を聴くことがあります。何を持ってファシリタティブであって、どうだったらファシリタティブじゃない、と言っているのか、というのもありますが、そもそもファシリテーションはツールであって、その人の性格を表すものではないわけです。
これは企業でも同じで、ファシリテーションを売りにしている会社の社員が、僕のブログに「俺のことか?」と噛みついてきたことがあります。まぁ、そういう人だから、その人にも該当する話だったんでしょう。
でも、少し冷静に考えてみる必要があります。ファシリテーションはツールだと言いましたが、ファシリタティブであるかどうか、は全ての実務に関係するわけではない、ということです。
つまり、もの凄く傲慢で、ファシリテーションとは縁遠いと思える人でも、文章力は優れているかも知れませんし、演説は得意かも知れない。別の良さもあるわけで。
ファシリテーションについて詳しい人だから、ファシリテーションができるとは限りません。
ファシリテーションを仕事にしている人でも、ファシリタティブであるとは限りません。
そして、ファシリテーションとは関係なく、持ち合わせているものもあるはず、です。
なんか、ちょっと気になることがあったので、書いてみた今日この頃です。