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ダン・ギルモアさんのブログジャーナリズム論

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『ブログ 世界を変える個人メディア』の著者ダン・ギルモアさんと、この本の巻末に解説を執筆した朝日新聞記者の服部桂さんを講師とするシンポジウムが、国際大学GLOCOMで9月26日に開催された。ギルモアさんはシリコンバレーの日刊紙のコラムニストを辞め、自らベンチャー企業を興してブログジャーナリズムの新しい可能性に賭けている。

本の原題は『We the Media:Grassroots Journalism by the People, for the People』なので、『ウィメディア(わたしたちメディア):人びとによる人びとのための草の根ジャーナリズム』とでも訳せばいいのだろうか。ギルモアさんは「オールドメディア、ニューメディア、そしてウィメディアへという進化の過程で、草の根ジャーナリズムがどう変化するかについて話したい」と前置きをして語りはじめた。

わたしが最も共感したのは、彼の次の発言だった。

「ジャーナリズムの世界に25年間身をおいて学んだことは、読者はわたしよりもよく知っているということだ。大手メディア企業がコントロールする既存のジャーナリズムは、トップダウンのレクチャー(講義)型だ。しかし、ブログによって読者とコミュニケーションを取りながら会話型のジャーナリズムへと転換しつつある。これはジャーナリズムに対する脅威ではなく新しい機会なのだ」

確かに、自分がよく知っている内容に関する新聞記事やテレビ報道に接したとき、「ちょっと違うなあ」と感じることは少なくない。逆に、記事を書く立場になると、取材協力者や一部の読者ほど深い情報や知識を備えていないことを常に痛感する。こうした感情を無視して、従来は上からレクチャーをするかのごとく一方的に報道するから、なんだか権威的で偉そうになるし、ギルモアさんも指摘しているようにメディア業界がひどく保守的というか守旧的になる。

ブログには、このような問題を打ち破る可能性が秘められている。ニュース原稿は記者と読者によって修正と加筆を繰り返しながら、だんだんと事実に近づき、その背景分析を深めていく。だから、ブログジャーナリズムを強く意識した試みが日本でも始まってきたのだろう。

IT分野ではいうまでもなくこの「オールタナティブ・ブログ」がそうだし、つい最近、一般メディアの分野でも大手マスコミのOBや現役ジャーナリストが参加するニュースブログサイト「メディア・レボリューション」が開設された。

ギルモアさんに限らず、インターネットが可能にする草の根ジャーナリズムが民主主義の進展に不可欠だと主張する論者は多い。すでに、韓国をはじめとして多くの市民レポーターが世界中で活躍し、大手メディア企業が報道しない、あるいは報道できない情報がインターネットで流れて既存ジャーナリズムに大きな影響を与えるまでになっている。

虚偽の情報はすぐにネットで暴かれるので、政府や企業は嘘をついたり、不都合な情報を隠したりできなくなってきた。トップダウンによる意図的な情報操作はますます不可能な時代になっている。そして、これは間違いなく民主主義にとって望ましい変化だ。

しかし、ブログが切りひらく新しいメディアの世界は、ほんとうに手放しで歓迎できるものなのだろうか。

近年のネットワーク理論によれば、ネットワーク化された環境ではベキ法則が働き、著しい不均衡が生じやすいという。たとえば、一部の人気ブログサイトにアクセスが集中し、一方であまりアクセスがない膨大な数のサイトが存在するという偏った現象を指す。多様な選択肢があって、誰からの強制もなく個人が自由に行動できるようなネットワークの環境こそが、皮肉にも、ひどい偏りや不平等という結果を生み出しかねないというのだ。

しかも、人びとはますます「お気に入り」の情報と意見だけを効率よく収集するようになっている。

ブログ圏のなかで、特定の議題と意見だけが自己組織的に膨張し、それ以外の多様な言論が(強制的ではないものの)排除されてしまう危険を誰が否定できるだろうか。ひょっとすると、わたしたちは自らの手で無意識のうちに情報操作を行って、おそろしく民主的な手続きを経た結果として、画一的で全体主義的な社会の到来を招いてしまうかもしれないのだ。

たぶん、この見方は悲観的すぎるだろう。圧倒的多数のマイナーな存在は「ロングテイル」(長い尻尾)とよばれていて、これを生かそうという議論がすでに始まっている。商取引においてロングテイル市場を活性化するのはなかなか難しそうだ。でも、ブログジャーナリズムの世界が今後発展していくためには、ロングテイルの議題と意見に常に注意を払い続けるブログエディターの存在が重要になるだろう。

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