「若者にチャンスを与えない風土」をイチローの移籍になぞらえて説明するのはわかるんだけれど
メジャーリーグのシアトルマリナーズからニューヨークヤンキースに「電撃」移籍したイチロー選手の話は流石に驚きました。移籍の発表直後の対マリナーズ戦でもキッチリ打ってキッチリ走ってと、求められる役割をキチンと果たせるプロフェッショナルの姿は、やっぱりカッコ良いなぁと素直に思うところです。勿論、持って生まれたモノに不断の努力の結果としてそこに居るわけで、それこそ正にプロフェッショナルの姿であると思います。
ただし、年齢をはじめ本人が持つ状況は楽観視できるものではなく、特にマリナーズで得ていた色んなオプションを放棄してまで移籍を志願した背景については記者会見を通じても知る事が出来ました。実は神戸の実家が神戸総合運動公園野球場(当時はグリーンスタジアム神戸、今はほっともっとフィールド神戸)の直ぐ近くだということもあり、それなりに近しいものを勝手に感じていたりはしたのですが、まぁそれはどうでも良い話。
これを受けて「若者にチャンスを与える事」云々論が出てくるのは判るんですが
この今回のイチロー選手のマリナーズからヤンキースへの移籍について「後進に道を譲る勇気」とか「若者にチャンスを与える事」云々という話で何気に盛り上がってる流れが見えたりしています。それは判ります。その流れは判ります。
ただし忘れてはいけないのは、イチロー選手は既にメジャーリーガーとしては既に終わりに近づいているという事実であり、それでもこれまで勝ち得てきた多くのモノを捨ててでも花道を自分でアレンジできる数少ない人だという事。それくらべてレイズから戦力外通告を受けた松井さんは大変だよねという話はおいといて・・
違う背景をもった事象を引き合いにして何かを説明しようとしていないかな
メジャーリーグと日本企業を横に並べて云々という話。確かに同じような流れを良く見るんですが、それってメジャーリーグというシステムの話、更には日米の社会構造の根本的な違い事を全部棚に上げて自説を主張する潔さを常に感じる事があります。確かに実力主義であるメジャーリーガーの世界には、これは別にNBAでもNFLでなんでも良いんですけれど、そこに毎年何人も入ってきて玉突きで毎年何人も消えていって、その先に彼らがどうしてるかってのをあんまり知らないでしょ?と思う事が時々あったりするわけです。いや、勿論私が全部を知ってるわけではないのですが、ものの本を通じて、テレビ等のドキュメンタリー等を通じて少しは触れています。その後も成功している人も居れば非常に苦しい人もいる。これは、本当にその人それぞれ。
で、大事なのはそもそもプロフェッショナルなスポーツプレイヤーは一生プロフェッショナルなスポーツプレイヤーで生きて行ける訳じゃないというところ。どこの国のどの競技でもそうだけれど適所がなくなったのであなたはもう適材でないとどこかで判断されるか、その前に嫌になっちゃうか体を壊して辞めるわけだし、その状況で横滑りで別の場所を見つける事が出来るのも一握り。あとは引退して別の仕事を探すわけですよ。因みにそれをどこまで許容するかってのは非常に難しい話ではあると思うのですが、別にアメリカ全体がどんな状況であっても再起を期しやすい社会ではないわけで、だからウォールストリートを埋め尽くす金持ちけしからんデモが起きるわけです。
プロフェッショナルなスポーツプレイヤー、そしてそうじゃない人
それがプロフェッショナルなスポーツプレイヤー周りの話だとして、方やサラリーマンでも自営業でも自由業でもノマドでも、そこでの活動は一生の間生活してゆくためのであり、そのどこかで以降全く働かなくても喰えるようになる人というのはやっぱり一握り。簡単に引退してる場合じゃない。
よってもって、グロスで人生全体を見たときに、「表に出ている華やかな部分」と「自分が何となく良く知ってるしんどい部分」を比較してあっちの庭は青いぞといい続けるのはどうなんでしょうねと思う事がそれなりにあったりします。個人的には。
イチローを見習って後進に道を譲ってはいかがかと進言する…?
それらを踏まえるに、ある一定のポジションを取った人がその地位を守ろうとすることによって若手の成長を阻んでる系の話について、半分は判るし半分は何か違うぞと思います。更に言うと嫌なら外に出るかそれを受け入れて諦めて居続ける(居直る?)のも一つって話もあって、これも半分は判るし半分はそれはないだろと思ったりもします。これは自分の過去から今まで歩いてきた経験と、今の状況が丁度一番中途半端な年齢とポジションにあるお陰で、良くわかる部分があるし、それは無いんじゃないの?とかそれはしんどいよとか思う部分もあるわけです。
たとえば居座り続ける人に対して「今度は「あなたがイチローを見習って後進に道を譲っては」と言い返してあげるといいのではないか。」ってのもとても良くわかるのですが、状況によっては立派な死刑宣告なることもあるわけです。私個人として事実そう言いたい人が居ないかと言うと嘘になるのはどうでも良い話なんですが、他人の人生なんざ知っちゃこったねぇ俺たちは大変なんだよこんちくしょーというのもある意味正論であるし、でもそれは実はそれぞれの年代がそれぞれの背景の中で考えてることだし、たとえ今それを誰かに通告する立場となったとしても、多分5年とか10年とか20年とかしたら同じこと言われるよってのも正論でありまして、なかなか深い味わいのある社会風景であります。
あ、もちろん、件のイチロー選手のヤンキースでの活躍を祈る気持ちに些かの曇りもないんですが。