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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

活字離れって一体何がトリガーになってるのかをふと考えてみた

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いわゆる活字離れ。これがある意味現在の新聞や雑誌の凋落、あるいはWebメディアの興隆みたいなところの理由の一つといわれているのですが、なんだかふと腑に落ちないところに気が付きました。そもそもWebであっても新聞であっても雑誌であっても、多くの情報は文字を使って伝わるわけです。絵や図版、そして写真だけでは無理。

でも、なんだかちょっと深刻な話が実は裏側に横たわっているような気が・・・

 

なんだか、全ての根本の問題のような気がします。これ。モノゴトの裏側を新聞記事の限られた紙面の中で全部解説するのは無理で、ある程度の前提知識レベルを想定して書いてあったりするものがあったりします。時事問題だったり、あるいは経済問題であったり。そして政治や社会問題などについても。

もちろん有る一定の解説が付くのはアルと思いますが、それこそWikipediaなどへのリンクが付くわけでも無い事から、前提知識が無いと理解しづらいものがあるかもしれません。でも、いわゆる一般紙と呼ばれるものであればそれほど一つ一つの事象を深堀りすることってそれほど無いと思います。読者層をある程度定義した上で書くと思うんですね。

これが経済紙と呼ばれるものや業界紙と呼ばれるものであれば、それこそ夫々のある程度の予備知識が無いとなんでそうなってるの?なんて解説なしに今の状況の報道になったりするわけで、確かにこれはハードルが高いとは思います。たとえば繊維関係とか金融関係、流通関係などの専門誌を私が見てもチンプンカンプン。そりゃ仕方ない。

でも、いわゆる一般紙が対象となり、そこに書いているのを理解するのは難しいとなると・・・ 

 

そもそも関心が無いからわからない?

とりあえず、まぁ、世の中でもよく言われているので、媒体としての新聞や雑誌などから関心が離れるってのは百歩譲って「そうですね」としましょう。

じゃ、Webでも良いから世の中の動きを追いかけてる?と聞いたとき、そもそも新聞や雑誌の記事内容を理解するのが難しいとなると・・・ これはちょっと話が別です。文字を通じて報道されていること、伝えられていることを理解するということは、紙だろうが画面だろうが関係ない話です。

なんでそうなっちゃってるんだろう?
そうじゃないかもしれない。

でも、活字離れが文字通りの活字離れだとすると、Webの世界になったから云々とか、Kindleがどうのこうのとかとは全く別の次元に問題の根っこが有る気がしてきました。

 

そもそも自分の外の世界に関心が無い?

そんな話が世代論の中で語られることもあります。ただ、ワタシ的にはこれは世代論にしたくない気がします。自分の世界の外で何が起きているかを知る方法としての・・・たとえば視覚として伝わるものの中で非常に大きな割合を占めるはずの、一番根本である文字として記されたものを読んで理解し、自分なりに租借して意見を持ち・・・という一連の行動の一番手前が欠けてしまっている、というコトなのかもしれません。

どうなんだろ。

学校教育で何をどうしてきたか、とかまで遡ると大変なことになりそうなので止めますが、ここにはちょっと深い話が横たわっている気がするんです。まだ漠然としてますけど。

 

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