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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

オバマ大統領が自分でTwitterを使った事が無いと騒ぎになった件と、パブリシティが意味するものとしてワタシが理解しているもの

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パブリシティという活動が作り上げるものは一つの虚像である、と言い切ってしまうと身も蓋も無いのですが、これをパブリシティが果たすべき役割に演出というものがある、と言ってしまうとなんとなく判った気になれる部分っていうのがあります。いや、極論ですが。

 

何をどう言うのかというところのボーダーライン

例えば企業としてのパブリシティ活動・・・ ここにはいわば全ての社外に対するコミュニケーション活動が含まれているわけですが、基本的には対外的に良く思われるための活動なわけです。もちろん企業が活動する中で何かしら不都合なことが起きることは避けられず、それを如何に誠実に伝えるか、そしてそれをバネにしてより良くなるかということを表現するという役割があったりもするわけです。

あ、一般的なCMやら何やらも広い意味ではそういう風に捉えることが出来るんじゃないかと思ったりもします。

ただ、これが何らかの対抗組織や競合との関係で何をどう表現するか、どういう場を使うかなどといった要素が含まれてくるとTone & Mannerも含めて選択肢が非常に増えるわけですがけれど。状況によりますが最後の砦は「嘘だけは伝えない」というコトになるのかもしれません。

そして、ここが戦略的なコミュニケーションという事に置き換えられるかもしれません。

 

別のところのボーダーライン

それらの活動を積極的に利用しようとするとき、結果的に一種の別の姿を作り上げてしまう必要がある事もあります。これをココでは演出、と定義してみます。

ある一定の姿を作るために必要な舞台装置を作り、そこで必要な立ち回りや立ち居振る舞いを定義し、それをある部分演じてもらうことにより対抗するなんらかと較べて一定の有利な立場を作る。それが個人か組織かは問わず、そういう行動が必要とされるケースがあります。

たとえば?

大統領選挙なんてのはその際たるものかもしれません。

 

なぜキャンペーンと称するのか?

たとえばアメリカの大統領選挙を考えた場合、必要とされる素質の持ち主に対して必要な資金と必要な部隊を用意し、それを最大限有効に運用するというのは正に兵站、つまりロジスティックスと呼ぶことも出来ます。これが無いと、どのような人も結果的に必要な成果、つまり当選という結果を導くことは出来ないわけです。

もちろん、このアメリカの大統領選挙というのはアメリカの中でも普通の議員選挙とは別のポジションがありますから一般化することは出来ませんが、ある有力な個人を大統領にするための選挙チームというのが組織され、それぞれが当選させるという大きな目標のために活動するわけで、全体の動きは候補者本人が理解していても、個別の動きについて細かく把握することは不可能な状況になるわけです。

これは、いわばある程度以上の規模を持った企業でも同じことが言えるかもしれません。経営陣は全体の動きについて理解はできるが、末端の細かい戦術レベルの話を完全に把握することは困難です。

そんな動き全体をキャンペーンと称し、目標のために邁進するチーム。少なくとも日本にはそういう形で進行するプロジェクトなり動きなりというのは(少なくとも私は)思いつかないので、理解が難しいかもしれません。

 

コミュニケーションを担当するということ

目的として当選させるために如何に柔軟な姿勢をもってメッセージをアレンジし、必要な対象に対して最適な媒体を通して伝えるか。これについては企業活動でもアメリカの大統領選挙でも動機としては同じだとは思います。

ただ一つ大きな違いがあるとすると、企業活動でのコミュニケーションの大きな部分が「今」を伝え、未来を予感させる系の話が多く、たとえば大統領選挙の場合には最低でも向こう4年のビジョンを伝え、未来を信じさせるというところかもしれません。つまり、当選してからが問題で、実はソコに戦略があるわけです。当選と言うのは大きな山ですが、それ自体は一つの通過点でしかないという極論もあるかもしれません。

ただ、当選しないと先に進めない。だからソコに全力を傾ける。これが選挙チームの役割。でも実際に当選した後は別のフェーズに移る訳ですから、この時点で目的も手段も内容も変わって当然です。穿った見方をすると公約違反といわれるものも公然とやらざるを得なくなる可能性すらあるわけです。それすら事前に予期されていたリスクかもしれませんが、それをどのような形で傷にしないかという動きを、この段階のパブリシティは持ったりするわけです。

そもそもチーム自体が変わります。目的が変われば当然陣容も変わります。当然手段も変わります。行過ぎると四の五の言われますが、リスクとして受容できればスルーしてしまいます。

大きな目的のために立てた戦略と戦術は、目的が達成された時点で使命を終えて次の戦略と戦術に置き換わるわけですが、それを如何に何も無かったように移行させるか。

これはオトナの話ですね。

 

なぜこの話にたどり着いたのか

ちょっと前に、オバマ米大統領が自分ではTwitterを使ったことは無いという発言が大きく取り上げられたこと。ワタシ的には「自分でやるわけ無いじゃん」という感想だったのですが、国内外を問わず「そんなの信じられない~」という発言が多く見られました。

いや、素直に、そんな暇ないでしょ。

実際のところ、選挙キャンペーンを運営していた中のインターネットチームが(もちろん最終的にOKを本人?もしくはキャンペーンの統括に)承認を受けてやっていたわけで、実際に流れてきていてたメッセージは高いパブリシティ効果を狙ったものが必要なタイミングで流されていたワケです。いわば、上限140文字に集約されたプレスリリースのようなメッセージを流す非常に良い媒体と認識され、利用されていたワケですね。

だって、広い支持を取り付けて当選するために必要な戦術として位置づけられていたわけですし。

それを恣意的だ、残念だ、そんなのありえないと思ってしまうのは仕方の無い事ですが、そのような組織であれパブリシティという分野で括った場合には当然の活動とも言えます。

 

因みに大統領ともなると当然のように国家安全保障上考慮しないといけない問題も多々あるわけで

本人が何かを直接つぶやく事によって起きる状況についての適切な分析はできませんから、リスクとして受容することは出来ないのも当然です。管理された中で、その時点で適切と思われることしか発言することが許されない立場であればなおの事。

これはいわゆる有名人系のTwitterのアカウントでもよくある話で、本人が書いていると認定されているアカウントでも内容が非常に絞られていたり、時々本人が出てくるけれど基本的にはサポートする事務所のスタッフなどが書いているケースなど、色々です。

同じシステムやサービスに居るからといって、個人としての自分と同じ目線で相手を捉えてはいけないというお話ですね。

 

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